いつかの泣いてる私が不憫で泣いてる。
カウンセリング2回目
前回のカウンセリングの後、学科の先生に私の状況が報告されていた。
「水和さんの状況はわかった。でも水和さんがこうしてほしいと言ってくれない限りこちらからは動けない」という返答だったらしい。
カウンセラーさんも「今まで耐えてきてたのかもしれないけれどその荷物を少し降ろして楽に生活していけたらなって思ってるよ」って。
だんだん時代は変わる。環境が変われば人も変わる。
わかってる。
私だけが変われない。いつまで経っても受け入れられない。
私は配慮されていい人間じゃない。私は甘え。
2年前の受験の時から大きく変わっていった。公的な支援を受けることを勧められるようになった。
その時も何回も先生に言った。
「私はずるくない?」
あの時から何も変わっていない。
「お前は耳が聞こえない子が筆談で面接を受けていたらずるいと思うのか?」
「思わない」
「それと同じ」
「でも解せない」
頭ではわかってるのに目に見えないからと差別しているのは自分自身なのだと自覚する。
今も毎日にこにこ元気で派手な見た目をした自分がカウンセリング室に足を運ぶのは抵抗がある。話せない自分も死にたい自分も何もかも受け入れられてないのは結局自分だ。
私はさしずめ認めるのが怖いのだ。
だって認めてしまったら、過去の私はどうなる?
ずっと困ってる子なのに周りには困った子だと言われ、守られることなくただ私が悪いと自分を責めて生きてきたあの幼い私があまりに不憫ではないか。
逆だったらまだいい。子どもという守られるべき存在の時に守られて、大人になったら手放されていく。これなら納得出来る。道理だと思える。
あの頃の環境が間違っていたと認めたくない。
いや、正しくなかったことぐらいはもう知っている。でも飲み込めない。飲み込みたくない。
こうあるべき なんてものに執着したって仕方がないのにね。
私の生きづらさは私のせいだって、自分に責任を押し付けるのは楽だ。ようはこれも一種の逃げ。
そうやって自己責任だって言い聞かせて生きていくのもひとつだよって何回か言われたことがある。それもまた優しさなのかもしれない。でも見放さないでって言いたくなる。
だって本当はちゃんと認めたいから。受け入れたい。
苦しいことは変わらないのだから、受けられる支援や制度は利用した方がいい。その方が生きやすいのは息がしやすいのは確かな話で、何も自ら落ちていく必要は無い。
なのにずるいと思う。ずるいと言われるのが怖い。もし周りがすごく優しくて何も言わないでいてくれたとしても自分が言うから耳を塞いでも聞こえてきてしまう。きっとあの頃の1人で泣いていた私の声なんだろうね。多分、置いてかないでって言ってる。泣いて喚いて今の私をも不幸に貶めようとしてくる。
そんな幼子を「足引っ張らないでよ」って突っぱねてしまうこともできずにいる。
そうだよね、誰かが助けを求めさせてくれてたら受け入れてくれてたら腕は汚くならなかったかもしれないし市販薬に依存もしなかったかもしれないよね。
なんてタラレバすぎるからもう言えない。こんなの過去を愚推しているだけに過ぎない。
ハンデがあるからって何かを諦めなくていい。
頭ではそう思ってる。
でも自分という精神疾患患者には配慮を受けるぐらいなら、あれこれ手に入れようとせず捨てろよとそう思ってしまう。教職もプログラムも辞めてただ必要最低限の暮らしをして得るのは大卒の肩書きのみにしなくてはいけないという考えにナチュラルに至った。
自分で自分の権利を剥奪しようとした。
そんなことを平気でする自分に驚いて怖くなった。
所詮は脳が作り上げた綺麗事なのだと嫌気がさす。
誰かの心に寄り添いたいのに攻撃しかできない自分が死ぬほど嫌い。柔軟性のないってすごく嫌な人間だ。嫌い。
こんな凝り固まった思考の持ち主が今になって○○に悩んでます困ってます助けてください何とかしてくださいなんで言えるわけないじゃん。
言って甘えんなって思われたくない。「みんなそうだよ」ってすぐ言うよね。「みんなそう」の“みんな”とか“そう”って何?つい2日前にも言われたよ、満員電車が本当にダメでって言った時に満員電車が得意な人なんていませんけどねって。へぇじゃあみんな救護室とか行くんだ、よく成り立ってるね、駅って。なんて死ぬほど嫌味ったらしい棘を飲み込んだ。
ねぇ、みんなって何?
配慮とわがままを履き違えたくない。基準がわからないし多分人によっても違うからもう既に履き違えてるかもしれない。
そうやって強がって考えて生きてたら何に悩んだり困ったりしているのかわからなくなってきた。ただ漠然と目の前に苦しみが存在している。暗闇だから何も見えない。手探りで探し当てても、探り方が荒かったのか形が分からないから明確に言語化できない。
でもね、言ってみるもんだなって思ったこともある。
なんの支援も申請してないけれど。
どうしても解剖したマウスのスケッチができなくてそれをカウンセリングで話した。鼻で笑われそうだなって思って学科の先生には言えなかった。みんな同じだよなって思って友達にも言えなかった。
私の頭には無理して描くか未提出かの2択しかなかった。
カウンセラーさんがイラストを見て描くという案を出してくれた。
勿論、本当はアウト。
でも目から鱗だった。
なんでその手が浮かばなかったんだろう?
自分が白黒思考の持ち主であるという自覚がないからたまに驚く。
配慮も言ってみたら何か折衷案が見つかるかもしれないし自分にはない発想を誰かは持っているかもしれない。
っていつか心から言えたらいいよね。
今はまだ「そんなの言ったもん勝ちじゃん」って気持ちの方が強いかな、正直。
画像はうちの冷蔵庫。
実家から持ってきた写真とかネップリを貼ってる。
モネ展のマグネットでゴミ出しの表も貼ってる。見なくてもわかるようになったけどね。
黄色の糸で繋がれたチェキは高2の誕生日にしてもらったロッカーサプライズで貰ったもの。
みんなで朝に誕生日を祝う風習が出来上がってたからこの日も「ゆっくり来てね」って言われててゆっくり行ったはずなのに、階段上がって廊下見たら(うちは廊下にロッカーがあった)みんながいて、その内の1人は目まで合って慌ててトイレに逃げた。
あの子の時はお菓子の傘の傘の部分が大きすぎたし、あの子の時はお菓子の鞄が写真撮影中に崩壊したし、上手くいった時の方が少ない気がするけどそれも思い出。ずーっと大事。
見る度に口角上がるのがわかっていたから絶対飾るってもらった時点で決めてたんだ。ちゃんと連れてこれてよかった。
生活も学校も人生も始まったばかりなので、徐々に理想に近づいていこうかな。