限界突破
7/3
2週間ぶりの診察日でした。
K先生が着いてきてくれました。
何かが変われば
毎度そう期待して挑んでますがこの日がいちばんその期待が大きかったです。
朝、先生に会いました。
先生に来てほしかった理由は2つ
1つ目は私が抱く“主治医に気持ちが届いてない”というこの感情が勘違いなのか客観的に見てもそうなのかを判断してほしかったから
2つ目は声で気持ちを伝えてみたかったから。同じ主治医のもとに通う人で楽になったという人もいる。その人たちとの違いは声か否か。声なら通じるのか試してみたかった
上記の理由と診察ノートの要約が書いてあるルーズリーフ
それと診察ノートのコピーをK先生に渡しました。
先生は理由の方のルーズリーフを読み、それも主治医に見せるよう言いました。
ドキドキしながら診察に挑みました。
「伝わっていない部分はあると思う」「やっぱり声というのは大きい」
主治医サイドにもその気持ちがあったんだとびっくりしました。
てっきり文字だけでわかった気になられていると思ってたので。完全な被害妄想でした。
「でも長年見てきたから直感でわかる。すごく典型的な例だ」とも言われました。
主治医の精神科医としてのプライドを見た気がしました。
病状に関しては「○○kgを切ったら入院だね」と言われました。
(誰かに影響を与えたくないので具体的な数値は控えさせてください)
その体重まであと1~2kg
痩せなければ
そう思いました。
「彼女は今日腕の傷も見せる覚悟で来てる」とK先生が言ってくれました。
実際に見せました。
アームカバーを外し、醜い傷を顕にして
主治医は「だんだん傷も深くなってる」と言いました。
最近切ったものは確かに深かったです。
もうなんでもよかったんです
自分が限界だということが伝わるのなら
痩せて伝わるのなら痩せたし、ODや自殺未遂で伝わるのならそれらをしました。
援助希求の力が低い子どもの声に気づける大人になりたい
だから子どもをいちばん近くで見守る教師になりたい
そう言う自分がいちばん援助希求の力が低かったんです。
そう言う自分がいちばん援助希求行動ができなかったんです。
薬は今より強いものを飲んでほしいと言われ、頷きました。
きっとその分の副作用などを考慮しての言葉でしたが私にとってそんなことどうでも良かったんです。
上記と同じで、強い薬を飲むことで苦しみが伝わるのならそれでいいと思いました。
気付けば泣いていました。
まだ入院って言われないんだ
まだ休学って言われないんだ
まだ薬で耐えなきゃいけないんだ
今思えばそれを伝えれば良かったんでしょうけど、そんなこと浮かびませんでした。
所詮、私は誰かに助けを自ら求めることなんてできませんでした。
主治医がK先生にまた着いてきてくれるか?と尋ねました。
K先生は時間が合えば全然と返していました。
泣きながらそのやり取りに安心していました。
診察そのものは終わり、K先生に私だけ外に出るよう言われたので、外に出ました。
待合室に出た私は何か変わったのか何も変わらなかったのかわからない診察に泣いていました。
先生たちは何を話してるんだろう
もちろん気になりました。
でも席を外せと言われたということは私が知るべき範疇ではないのかもと思い、尋ねることはしませんでした。
後からK先生が教えてくれたことだけ、私は知っています。
それは今日の診察は長めに時間を割いたこと
主治医にも気持ちは伝わっていること
親にはまだ言わない方針で行くこと
ぐらいでした。
十分なのかもしれません。
7/4
桜先生から連絡を頂きました。
「話を聞くぐらいしかできないけれどなにか力になれたら」
「卒業したのに迷惑かけてって思ってるかもしれないけれど出会った生徒のことはいつもいつも気にしてるよ」
「頑張りすぎたり気にしすぎたりするのが水和ちゃんの良さでもあるけど、少しでも力を抜ける時間が過ごせたらいいな」
と言って頂きました。
もうがんばれって言わないでいてくれたことが嬉しかったです。
情けないですがこれ以上がんばる方法が分からないからです。
私はそれに「明日二限目を抜けて病院に行ってみようと考えていますがどう思いますか」と聞きました。
桜先生は後押ししてくれました。
「報告待ってます」という言葉があたたかかったです。
7/5
私は予約外で病院に駆け込みました。
ノートにはたったの3行
(もう限界です。
入院や休学はありですか
勧めない理由を教えてください)
と書きました。
私の主治医は入院治療に否定的だと聞いていたのにも関わらずあっさりと「入院も休学もありだと思うよ」と言われました。
驚きました。
入院も休学ももっと重篤な人の為のものだと思っていたので。
「ただ親に言わないといけないけどそこはどうするの?」
と聞かれました。
「それだけだよ」
その言葉に
もうそんなところまで来ていたのか
そう思いました。
「現状は1人で抱え込みすぎてる」
「親が取り乱すのはきっと一時的なもので、親の協力があれば○○(苗字)さんも少しは楽になるんちゃうかな」
と言われました。
SNSで度々病気のことを話していたので抱え込みすぎてるとはちっとも思わなかったです。
私は親に伝えることを渋々承諾しました。
主治医には「事情を僕から伝えるから親と来れる日に一緒に来てほしい」と言われました。
主治医は「こうして今日、○○(苗字)さんが来てくれたことが僕的にはすごく嬉しい」と言われました。
主治医にそういう優しく甘い言葉をかけられたことがなかったので驚きました。
「今日来るの抵抗あった?」
“予約外なのに来ていいのかなって思ってました”
「来ていいよ」
主治医の先生は少し笑ってそう言ってくれました。
そして今日のことを桜先生とK先生に報告しました。
桜先生は
「お医者さんもちゃんと見て考えてくれてることがわかってよかったね」
とおっしゃった上で
「お医者さんの言う通りだと思う。抱えすぎるのも優しすぎるのもいいところだけどわがままになってもいいんじゃないかな」
と言われました。
抱えすぎている自覚もなければ、自分が優しい人間だなんて1ミリも思えなくて戸惑いました。
私はそれを否定しつつ
「もっと頑張っている人はいるし、現実を考えれば単位や楽しみな予定、アルバイトすべてを0にしてまでお休みするべきなのかなと思います。」
と返しました。
すると桜先生は
「全部を0にしなくても、やりたいことをやってやりたくないことはやらない、そんな休み方でいいんじゃないかな」
「他の人と比べなくていいし、水和ちゃんは今までたくさん頑張ってきたんだから、そういうお休みを自分に許してもいいんじゃないかな。楽しいことはやらなくちゃ!」
と返信してくださりました。
やりたいことだけやる なんて甘えてる
他人と比べず自分の頑張りをどう認めるのか
他人と比べられ、つらさを”そんなことで”と蔑ろにされてきた私にはわかりません。
K先生はまず一人で行動できたことをたくさん褒めてくださりました。
次の月曜日の診察に親と行くよう勧められましたが、主治医となんの打ち合わせもしていないので、来週の月曜日に主治医とK先生と私で打ち合わせして水曜日に挑みたいと伝えると、K先生はそれでいいと思うと言ってくださりました。
具体的に親に何まで言おう
そう考えれば摂食障害であることぐらいしか言いたくなくて困りました。
自傷行為も自殺企図もチューイングも言いたくありません。
でも摂食障害だけで休学や入院を認めてくれるでしょうか。
そもそも何に取り乱されるでしょうか。
不安です。
7/7
ODをして倒れました。
英語の発表で名前を呼ばれて前に出たところまでしか記憶がありません。
友達曰く変なことも口走らずに発表を乗り越えたそうです。ほんとか?
つけっぱなしになっていたパソコンがPowerPointを開いていたので発表したのは事実なようです。
自分が何を言ったのか
どのように医務室に行ったのか
いつ正気に戻ったのか
何ひとつ記憶がありません。
友達は優しくてやっぱり心配してくれました。
しんどい時はいつでも言ってと言われましたが自己誘発的なしんどさで迷惑をかけてると思うと合わせる顔がありません。申し訳なさでいっぱいです。
7/8
授業のあとスクールカウンセリングに行きました。
休学について、入院した場合の単位について聞くだけ。自分の話はしない。
そう決めていました。
それが功を奏したのかカウンセリング室に入ることができました。
休学は申請期間が終わっているためもうできないと言われました。
その時に感じたのは
まだ1ヶ月頑張らなきゃいけないんだ
という大きな絶望
休むなんて甘えだ。私はまだ頑張れるはずだ
そう思っていましたが、私もう本当に疲れてるんだとこの時ようやく自覚しました。
そのぐらい大きな絶望感でした。
入院の話も出ていると言うとカウンセラーさんは驚いた様子でした。
きっとそんなに悪く見えないのでしょう。
「体、しんどいでしょう?」
よく言われますが不思議なことに1ヶ月もこの生活をしていれば体が慣れたのか辛いとも思いません。
故に首を振りました。
カウンセラーさんは不思議そうでした。
不思議なのは私もですよと心の中で返しました。
細かいことはカウンセラーさんにもわからないから学年担任の先生と話をすることになりました。
火曜日にはその話ができるようにすると決めてくださりました。
次回の予約はまたメールで取ることにしました。
そこまで次回を望んでいないからです。
7/10
診察日。
この前日は苦しくて、その苦しみが起きても消えていなくて、時間もないのに薬を流し込みました。
朝、病院のビルの近くで先生に会いました。
摂食障害のこと以外(自傷行為、希死念慮、チューイング)は言いたくないと書いていました。
先生はチューイングぐらい言ってもいいんじゃない?と言いました。
2人の意見は擦り合いませんでした。
私はノートに「頑張っていない」と書いていました。
K先生は「それは違うやろ。頑張ってるから今があるんやろ」と言ってくださりました。
わからなくて首を傾げました。
そんな診察ノートを主治医に見せました。
私の記憶はここまでです。
ここからはK先生に聞いた話です。
診察ではきちんと受け答えをしていたようでした。
ちなみに診察では摂食障害の治療一本で入院の話に持っていくことになったようです。
その話をするのは水曜日になりました。
診察室を出て「横になりたい」と言い出したらしいです。
顔色が悪く先生が尋ねると「ODした」と正直に答えたらしいです。
先生が事情を話すと、空き部屋(診察室2)を貸してくださることになり、そこで私は休ませてもらいました。
ふかふかの椅子に倒れ込んだ記憶がうっすらあるような気がします。
そこからの記憶は一切ありません。
眠っていたのか起きていたのかもわかりません。
お財布とお薬手帳をK先生に渡して代わりに薬を取りに行ってもらいました。
カメラロールには9:11,9:55,10:02,10:21,11:18,12:26の6つの記録が残っていますがいずれも記憶はありません。
先生がいたりいなかったり居場所が違ったりするからその度に何かしらの事が起きていたのでしょうけれど…
微かな記憶として、K先生が休もうとしていた時の話を聞いた記憶があります。
細かいことは残念ながら覚えていません。
どういう結論に至ったのかも覚えていません。
ただそのぐらいしんどい時が先生にもあったことだけ知っています。
「授業には間に合わないからバイトだけ行く」
そう発言したそうです。覚えていません。
「行きますか」
落ち着いてきた頃、先生の一声で立ち上がりました。
まだ少しふらふらしました。
別れてから、水曜日は母と病院に行き現状を話してもらう予定が母と都合が合わず父と行くことになったことと診察でのことを何一つ覚えていないので何を話したのか教えてほしいということを連絡しました。
返信には
・摂食障害のみを伝える、他のこと(自傷行為など)については伝えなくて良いとなったこと
・入院はしたくないと言ったこと(入院=落単と考えているみたいだったとのこと)
・摂食障害に詳しい専門医のところに夏休み中に転院すること
・父に実際に携帯のメモ機能を使って話してる姿を見てもらったらいいと思っていること
・他にも気になったことがあれば聞いてくれれば返信するということ
そして
今の状況が進んだのは水和が自分で行動に移したからだ
自分で頑張ってるからだ
水曜日は確実に前に進む日になる
頑張ろうな!!
と書かれていました。
K先生にはたくさん頑張れと言われてきましたが、頑張ろうなと言われたのはきっと初めてです。
それが嬉しかったです。
どうなるか私も分からないけれど頑張ろうなと言ってくれる人がいる限り頑張りたいと思いました。
7/11
学年担任の先生に呼び出されました。
とても緊張しました。
相も変わらず話せない私に○✕で答えられる質問にしてくださったことが嬉しかったです。
紙に書いて入院を勧められている現状を伝えました。
大きな進展は障害支援の申請をすることになったことです。
今日中に面談したかったけれど予約がいっぱいで面談は7/13木曜日に決まりました。
面談の予約も授業には遅れることも担任の先生がそれぞれの担当の先生に連絡してくださりました。大学生にもなって自分でしないのは甘えな気がしますが、私には難しいのでとても助かりましたし安心しました。
「教職取ってるよね?教職忙しいやんか。だけどその分充実感があるのもわかる。○○(苗字)さんが充実感と心と体のバランスを上手く取れればいいんだけどね」
やっぱり教職は真っ先に切られる対象になるんだなと思いました。K先生にもそう言われていたからです(K先生は教職の単位が足りなくても通信で補えるからと何度も私に仰っていました)
「だけどそれが難しいんだよね、ぼくたちは簡単に言うけど」
綺麗事で済まされなくて嬉しかったです。
7/12
朝、K先生から連絡が来ていました。
「今日は一緒じゃないけど大丈夫」
「今の時代、学生が不利になる状況にはなりにくい」
「今日は自分の力で大きな壁を乗り越えられることが進歩だからね」
「次の課題も見えてくるだろうけど親と一緒に少しずつ考えていけばいいこと。親も現状を目の当たりにして考えてくれるようになると思う」
そして
「先生とは理解度が違うことを頭に入れておくこと」
と言われました。
午後、父と病院に行きました。
主治医に現状を話してもらいました。
・摂食障害、根底にはうつがあること
・その治療のため専門医への転院を勧めること
・その中で入院治療も視野に入れていること
父は驚いているようでした。
当たり前です。
家族の前では何事もないようなふりをし続けていたのですから。
父は「悪化してるのか」と尋ねました。
主治医は「悪化というより今まで隠れていた症状が今表立って出てきているだけで治るのに必要な過程だ」という風に返しているのを聞いて妙に納得しました。悪化じゃないのかと驚きました。
その後帰宅した母に話をしました。
父ははぐらかそうとしましたが私が止めました。
「気づかんくてごめんね」とか「どうしたら治るかわからへん」と泣かせてしまいました。
泣きたいのはこっちだと言いたくなりました。
全部その手元の四角い便利な機器を使えばわかるのに…と思いました。わからないことをわかろうとしないのが母らしかったです。
K先生に上記のことを報告しました。
「よく頑張りました」と褒めてもらいました。
「お母さんが気づかなかったのは水和がそういう風に過ごしていたからと言ってあげられるといいね」と言われてハッとしました。
テストをレポート等に変えてもらう路線で話を進めている理由
本当は精神的限界を迎えてるからなのに入院するからだと誤魔化したことを正直に言いました。
「ちゃんと言いましょう。自分でもわからないけれど大学に通うのがしんどいと言う必要があると思います。これからちゃんと伝えていきましょう」
そう言われました。
「今日大きな一歩を踏み出せたんやで!水和の行動力と気持ちの強さ(大学を卒業したい気持ちと教師になりたいという気持ち)の結果です」
と言われました。
その気持ちの強さがあればみんなと同じように過ごせるやろと思ってしまう自分はまだまだ精神疾患を理解できていないのかもしれません。
7/13
大学の障害支援の方と担任の先生、私も含めて計6人で面談を行いました。
「人が多くてごめんね」と謝られて、そんなことまで気にしてくれるんだってびっくりしました。
話せない私のために紙を用意してくださっていたのが嬉しかったです。
私の希望を否定することなく聞いてくださりました。
希望としてテストをみんなと違う形で受けることを認めてほしい。何らかの理由でテストを受けられなかった時、テスト以外という方法も視野に入れてほしいということを書きました。
事務的で、でも優しくて、少しでも私から苦しみを取り除こうとしてくださってることが伝わってきました。
取ってる科目が多い為、希望の確認に時間がかかると言われました。今はその結果待ちです。
7/15
カウンセリングに行きました。
無言の時間がたくさんありました。
なんの時間?
何度も思いました。
相性が悪いのでしょうか。
それともやはり話せない私が悪いのでしょうか。
何を求めていたのかもわかりませんが、行く意味はあまり感じません。
でもK先生に言われた「薬だけで治るもんでもないと思う」という言葉には納得しています。
続けるべきでしょうか。
誰か教えてください。
7/19
K先生から1週間ぶりに連絡が来ました。
正直にお話すると、K先生から“メールは一旦ここら辺にする”と言われた時、少し見捨てられたような気持ちになりました。
ここからは一人で頑張らなくてはならないのだという不安が私を埋めつくしました。
だから、先生から連絡があった時、すごくほっとしました。
先生は私を見捨てたわけじゃない
その事実は私を大きく安堵させました。
7/20
障害支援の担当の方からメールが来ました。
結論から言えば私が望むような配慮はできないというものでした。
テストがレポートになることも入院先でテストを受けることも叶いませんでした。
当然だと思います。
でもそれは終わるまで頑張らなければならないということの暗示でしかない気もします。
とりあえず、頑張ります。
7/21
診察日でした。
母が自ら着いて行くと言ってくれて驚きました。
主治医は母に「突然(摂食障害と)言われてどうですか?」と尋ねました。
母は「正直受け入れられないですが、現実を認めていくしかないのかなと思います」と言ってくれました。
私はまた驚きました。
その日以降、母は私に「食べられる?」と聞いてくれたり、ご飯を1口サイズに握ってくれるようになりました。
温かさを感じていますが、摂食障害というものが何なのか分かってないなあと感じる部分が多くあります。これもまた、母らしいです。
7/31
転院先が決まりました。
やっと主治医との信頼関係が築けてきたところでの転院は不安です。
そして、今日8/4
2週間ぶりの診察でした。
紹介状をもらい、転院に向けて動いています。
この2週間、以前に比べると落ち着いて過ごせていました。
自傷はせず過ごせました。
無事、前期も終えました。
正直、転院しなくてもいいんじゃないかと思う自分もいます。
テスト期間で学校が疎らになったこともあり、摂食が顔を出す日が減ったからです。
ですが、また学校が始まれば悪化する可能性はあるし、チューイングは辞められていないし、転院するのが安牌なのだと思います。
転院先での初診日は8/30
またゼロどころかマイナスからのスタートで不安ですが、主治医の「良い先生だからね」という言葉を信じて頑張りたいです。
長くなりましたが、私の7月の記録を残しておきます。
こんな長い日記を最後まで読んでくださった貴方に優しい明日が訪れることを祈って、noteを終わりにしたいと思います。