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【エッセイ】生きにくい世界を、少しでも生きやすくするための思考法
考え方というのは、本当に人によって様々だと常日頃思う。
自分以外の人間がいる以上それは当たり前のことだと昔から思っていたが、個人の考えや価値観を手軽に発信したり受け取ったり出来るようになった今、より一層強く感じるようになった。
それに伴って、他人の考えや価値観に惑わされる人が増えたとも感じる。
そういったことに容易に触れられるということは、逆もまた然りで自分の考えも他人に容易に伝わるということだからだ。
惑わされるのがどういうことかと言うと、
対個人間での失敗はその人との関係の中だけで完結させられるところを、そうはいかないことのほうが多くなったということ。
例えば多くの人が目にするSNSでの失敗となったらどうだろうか。
炎上する、叩かれる、知らない人からも心無い言葉を浴びせられる。
これが現代の当たり前だ。
新しい世代の人は、それが"普通"の世界で育ってきたため、尚更その意識が強く根付いている傾向が見られる。
自己肯定感
そんな世代の人と話すと「自己肯定感が低い」と言う人によく出会う。
自己肯定感とは、ウィキペディアによると「自らの在り方を積極的に評価出来る感情、自らの価値や存在意義を肯定出来る感情」であるらしい。
ということは、自らこれを低いと感じている人がすごく多いということだ。
何故低いと感じるのか?
それは大まかに言えば「失敗することは多くの人から非難されること」という感覚が強く根付いているせいで、「失敗しない人間が正しい=失敗する自分は良い人間ではない」と感じるからではないかと私は思う。
そう思うのは、私がごく普通の一般企業で働いていて、
仕事に対して、消極的な人が多いと感じる機会が増えたからだ。
そんな人たちは、極端に失敗を恐がっているように見えた。
無論私もそんな世界で生きているうちの一人で、失敗することはたしかに恐怖ではあるが、それがあまりにも極端なのだ。
角度を変えるだけで、世界は変わる
そんなことを意識しながら日々を過ごしていると、自分でも発言することに恐怖を感じたり、逆に消極的な人に対して苛立ちを感じてしまったりすることがある。
そういった感情が自分の中に生まれるとき「心のエネルギーを無駄使いしているな」と感じる。
これは精神衛生上、大変よくない。
精神が疲弊して病気になった私がそう感じるのだから、多少説得力はあるはずだ(と思いたい)。
しかし「じゃあ辞めよう」と簡単に辞められないのが人間である。
では、どうしたら少しでもエネルギーを使わずに乗り越えるのか?
私が編み出した「心の省エネ法」をご紹介したい。
これはあくまで、エネルギーを悪い方向に使わずに乗り越えるための方法である。
1.失敗は悪ではない
まず「失敗を恐れてしまう人」へ伝えたい。
失敗することは決して悪いことではない。
たしかに失敗して人から非難されるのは怖い。
自分のすべてを否定されたように感じて、悲しくなる気持ちも痛いほど分かる。
でも失敗することよりもっと怖いのは
「失敗を恐れて成功する機会を逃すこと」だ。
無難に、自分が確実に出来る範囲内で行動するのは
今のあなたにも絶対に成功出来たはずの機会をただ逃し続けているだけに過ぎない。
これを読んでいる今も刻々と時間は過ぎていて、そうやって時間は過ぎていく。
今日と明日にきっと大きな変化なんていうのは無いのだろうが、それを積み重ねるといつの間にか1年、2年と過ぎていくのだ。
今日無難に現状維持しているということが、明日の自分を衰退させていることだということに気付いてほしい。
最初から大きなことに挑戦しろ、なんて無理な話だ。
だから今私が言いたいのは、
どんな小さなことでも、何かを頑張っている人の姿はいつだって誰かがきちんと見てくれているんだよということ。
それがすぐに評価されるかどうかはまた別問題だけれど、
「自分は挑戦した」という事実だけは揺るがない事実になって自分の中に積み重なる。
それは自分の人生において最も重要な人物を味方につけることだ。
自分の人生を振り返った時、自分が味方になっていてくれることがどれほど心強いことか。
2.思考のギアを落として、ローにする。
次は、苛立ちを感じてしまったとき。
はい、ストップ。
苛立ちを感じた瞬間ストップして。
何故いらいらしてしまったんだろう。
自分の思い通りにならないことがあった?
常識外れな行動をしている人にむかついた?
他にも色々な原因があると思う。
ただ、いらいらする気持ちというのは高確率で他の人に向けられることが多い感情だ。
そんな時は思考を止める。
一旦ぼんやりして、いらいらの原因を考える。
もしそれが他人へ向けられたいらいらだった場合。
自分の基準を人に押し付けてはいないか確認してみてほしい。
「普通こうであるべきだろう」
「ここまで説明したのにどうして出来ないんだ?」
それはあなたの普通であって、他者から見たら普通ではないかもしれない、ということに気付いていない人が多いように感じる。
何事も、自分を基準にして考えるから他者と意見の相違があったときにいらいらという感情が生まれるのだと私は思う。
そこで、一旦自分基準から視点をずらせる人は強い。
自分を基準から外すことで、客観的に物事を捉える事ができる。
そうするとどうなるか。
「この人はこういう考え方をするんだな」
「でもこの意見は自分とは合わないだけなんだ」なと
自然と次の行動について冷静に考えられるようになり、
負のエネルギーの生成を最小限に留める事ができる。
怒り出しそうなときほど、思考のギアを落とすことをおすすめする。
心も省エネしないと死ぬ
結論はこれだ。
余分に心のエネルギーを消費し続け、尚且つ消費した分きちんと補充しないと、人は死ぬ。
心と身体、両方が健康であってこそ人は健康だからだ。
十分な補給が上手に出来ない人は、まず余分なエネルギーを使うことから辞めてみるのはいかがだろうか。
補給については、また別の記事で。