長女というコンプレックス
おばんです。
皆様、良い夜をお過ごしでしょうか。
さて、私は前回の記事で「真面目からの脱却」を掲げてnoteを始めたことを思い出した訳だけれども。
つい先程、またもや早々に脱却せねばならないと感じた事柄についてお話しようと思う。
とても明るい記事とは言えない。
母との確執についても綴る。
読みたくない方はここでページを閉じてほしい。
長男、長女のみなさんへ
この世の長男・長女の皆さん。
こんなことを言われた、した経験は無いだろうか。
面倒見が良い、責任感が強い、頼れる存在だ…真面目、エトセトラ、エトセトラ。
長男・長女の性格あるあるなんて調べたら、一発で出てくるワードだ。
ふざけやがって。こちとら好きで責任感強いわけじゃねえよ。
幼少期の環境が、子供の性格や将来の幸福度なんかにも大きな影響を及ぼすなんてのはよく聞く話だけれども、長子はそれが如実に現れる傾向が強い。(注:私調べ)
私も例に漏れずこれだ。そして今日、脱却せねばならないと感じたのがこの傾向の話である。
はじまり
私は三人姉弟の一番上、長女である。
姉弟構成は、私、妹、弟だ。
幼い頃から妹と弟は私に懐いてくれており、それをいいことに私はジャイアンもびっくりするほどの暴君だった。過剰な表現だと思いたいが、残念なことに証言者がいるので嘘ではないだろう。
しかしその妹弟は、そんな暴君を崇拝していた。
いや、今もしていると言っていい。
下僕ならともかく、神を崇め奉るかのように従う下僕は多分いないだろうから、これは信者ということになる。暴君は神にレベルアップした。
なぜ暴君が神になったのかについては、家庭環境の歪みが最も大きな要因の一部だろう。
私がまだ小学生の頃、両親が離婚した。
円満な離婚では無かった。
ある日突然「大切な荷物だけ今すぐまとめなさい」と言われ、30分ほどでランドセルに荷物を詰められるだけ詰め込んで、思い出の詰まった家を出た。
混乱した状態のまま詰め込んだ荷物の中身はせいぜい、それまで何も考えずにのうのうと生きてきた10歳の子供が考えられる程度の「大切」だった。
大好きな父に裏切られ、祖父と祖母には「嫌いだからもう会いたくない」と言いなさいと指示を受けた。母が言うことが正しいかどうかの判断をする時間も頭も無かった。
その頃一度、私はうつ病の診断を受けている。記憶も断片的で曖昧だ。
私の「長女コンプレックス」は、その時始まったと今では思う。
一番最初に生まれただけなのに
当時の記憶はあまり無い(強めの睡眠薬でまっすぐ歩けないのが楽しくて部屋を闊歩していたことだけは、楽しかったので鮮明に覚えている。多分不要な記憶だと思う)。
しかし「妹弟にはこんな思いをさせてはいけない」と思った。
それからというもの、何をするにも私が先陣を切ることが、私の中でのルールとなった。
これはとてもしんどかった。元々私は、人を先導するようなタイプではなかったし、どちらかと言えば引っ込み思案で率先して行動を起こすタイプではない。
ただ、妹も弟もそれを知ってか知らずか、一応頑張っている私を見て崇め奉る存在に私を昇格させてくれたのだろう。
そしてその言動は、性格に結びつき、どんどん身体に染み付いていく。
「お姉ちゃん、すごい」
"頼られる"ということは私の盾になり、矛になった。
社会人になって、少し周りが見えるようになってから考え方に多少の変化はあったものの、習性自体は染み付いたままだ。
頼られれば私は守るし、戦う。
仕事にも共通する。
安心して仕事を委ねてくれることは私のやりがいや歓びに直結した。
しかし、誰にも頼られなければ、私は何のために守り、戦う必要があるのだろう。
頼る先が私では不十分になった場合、私は不要な存在になってしまうのではないか?
短絡的すぎて馬鹿みたいに聞こえるが、十数年身体に染み込ませた思考はそう簡単に変えられるものではない。
今まで、頼られることは当たり前だった。
他者を頼ることが苦手だということも自覚していた。
でも、他者に必要とされない自分をこんなにも不甲斐なく、情けなく感じることなど知らない。
私の盾と矛だと思っていたのは、ただの枷、呪縛だった。
頼られなくなるということ
しかし頼られなくなくなるということは、私がこれまで請け負ってきた「しんどい」と思っていたことからの開放でもある。
もうしんどいことに自分から立ち向かわなくていいし、罵声を浴びることもなければ殴られて痛い思いをすることもない。全部「私がなんとかしなきゃ」と焦る気持ちももう必要ない。
そう考えると、すごく楽になるような気もする。
逃げてしまいたいんだと思う。
今考えていること、考えなければならないことすべて投げ出して、知らんぷりして生きていくことだって、何度も何度も考えたことがあるから。
先日母に「私はあなた達のことを心配して命をかけて育ててきた。情があるけど、あなた達にはそれがないのね。」と言われたばかりだ。
私だけが悪かったのだろうか。
もうどこから思い出したらいいのかも分からない。
言う事を聞かなくて殴られたのも、鼻血を流しながら裸足で家を飛び出して、そのまま閉め出されたのも、通報されて警察に保護されたのも、母の精神疾患の病状を把握してもっと寄り添った行動をしなかったことも。
一体私はどこから間違えてしまったの。
正直もう、どう考えていいか分からなくて困っている。
誰かに助けてほしい。誰かに頼りたい。
だけれど、助けを求める方法も分からない。
だって、他人の家庭のことなんて、他人には解決出来ないから。
他人は所詮他人だ。下手に助けたりしたらその人だって被害を被るし、下手したら誘拐だなんだで捕まるのが、この日本という国だ。
いい大人が、逃げればいいだけの話なのに。
逃げると人質を取られてしまう。
ここから逃げ出すわけには、まだいかない。
こんなことを一人で悶々と考えてしまうから、だからと言うわけでもないのだけれど、と言うか理由がこれだけでは無いのだけれど、これが私の「長女コンプレックス」だ。
どう抜け出すかは分からない。いつか、いつの間にかこんなことを考えなくなる日が来るかもしれない。
ただ思い出して悲しくなる日が、どう人を頼ったらいいか分からないことが多い。そんな傾向が、私にはあるというだけ。
毎日毎日、悩むのも疲れるなあ。