『Hotel World/Ali Smith』における時制の考察

 私的な事情でアリ・スミスのホテルワールドの時制について再考する機会があったのでここに纏める。


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 アリ・スミスがホテルワールドにおいて取り扱う時間の概念は一般的なものとは趣が異なる。ストーリーが指し示す重要性には、時間という概念が含まれていることは各章のタイトルである’past’ ‘present historic’ ‘future conditional’ ‘perfect’ ‘future in the past’ ‘present’からしても明らかであり、またストーリーにおける表現についても時間は重要な要素をなしている。

 その表現とは主に時制、時系列、時代背景、内的時間と外的時間というコンセプトである。各章はそれぞれ違った手法によって書かれ、それが意味しているものまた異なる。そしてその主題は『既成の概念を超えるものの存在』、別の言い方をするのであれば『概念の分解と再構築』であると私は考える。それは社会や性差に纏わる価値観の分解と再構築であるし、また時間においても分解と再構築という構図は例外ではないだろう。

 以下に各章について時間との関連性を解説する。物語の詳細も書き記すため未読の方はご留意頂きたい。

 

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past

 ’past’は転落死しゴーストとなったサラという女性の視点から描かれる。一人称視点で語られ、語り口は現在形を主軸として、ときに過去形で彼女の記憶や彼女に起こった出来事が語られる。

 ストーリーはサラが自分の死に関する事実を知ろうとするもので、彼女は夏に転落死しゴーストとなって今は冬になっている。彼女は存在の喪失の過程にあって、そんな中で語られるのは彼女の過去である。彼女は自分の死体と対話をし、腐食した死体に残された記憶から、彼女の死の瞬間を聞き出そうとする。

 なぜこの物語の主軸が現在形で語られるかは、彼女が存在を喪失していく様を浮かび上がらせるためだろう。とりわけ章の最後に彼女が言葉さえ失っていく過程をリアルに見せる”What’s the word? Lost, I’ve, the word. The word for. You know. I don’t mean a house. I don’t mean a room. I mean the way of the   . Dead to the   . Out of this    . Word”という場面は効果的に存在の喪失の意味を読者に伝える。

 過去形が使われるのは”the house was a brothel”のように歴史的背景を伝えるときや彼女の記憶が語られるときである。彼女の記憶はアナレプシスのように彼女が自分の死の瞬間の時間をカウントしたいがために思い出され、それは彼女の家族が悲しみに落ちる様子、彼女の喪失が他者にどんな結果を生み出したのかを見せる。結果を見せるのに過去形ほど効果的な時制はないのは言うまでもないかもしれない。

 同時に、文中には“the sister drained me with a terrible thirst”のように、記憶の回想に留まらずプロレプシスとしてこれから後に語られる妹の物語を示唆するものもある。また彼女の死に謎めいた一因を読者に見せ興味を引き出すために、現在形によって独白する彼女のゴーストという構図に相対して、彼女の死体は彼女が記憶していない出来事を過去形によって口述し、その結果、彼女にとって死体に語られた出来事は、自分のことであっても未知である。なおかつその直後には彼女の死体が『彼女が落ちた』ことの要点の認識を異にしていたと判明し、読者は真実を知らないまま次の章を読み始めることとなる。彼女はゴーストとしての時間も全て消費してしまい、章の終わりに真実を知らないまま消えてしまう。そして彼女の『自分が転落するのにかかった時間を知りたい』という最後の小さな希望は潰え、そうなれば彼女の喪失の意味合いがより色濃く表現されることになる。

 またこのシーンについては、彼女が恋に『落ちた』瞬間を別の世界において追体験するため、過去との対話が使われたとも考えられる。冒頭でこの物語が概念を超えたものの存在や分解と再構築の構図を孕むと示したが、ゴーストとなった彼女は自分の恋心を自らが認識するに場面おいて、社会に存在する概念が適用されない世界というフィルターを通している。何故このフィルターが必要であるかはその恋が同性愛である為であり、執筆された約20年前の社会に存在し今も名残のある旧時代の恋愛観念を前に制限が掛かるからである。このフィルターは時間に関しても適用されていて、’past’には以下のように時間に関する記述が幾つかある。それは彼女の転落への興味を示した”I would like very much to know how long it took, how long exactly”と、彼女の恋の相手であるジュエリーショップの店員について説明した”she put her hand down on the counter again and watched her watch, the seconds, doing time”である。

 サラがオーダーした腕時計は止まっていて直す必要があり、その修理の過程においてサラは死んだことになっている。サラは時間をカウントできないまま死を迎え、ゴーストとなった後もそれは同じである。一方、ジュエリーショップの少女の腕時計の時間進み続けていて、それをサラは意識的にか無意識的にかdoing time(刑期中)と語る。そこに少女はまだ現実において時間に囚われていて、サラは別の世界にいるという対比がある。


future in the past

 他の対比として、第5章future in the pastが同じく一人称現在形で書かれたサラの妹クレアの話になっている。物語はクレアがサラを思い出しながら彼女の死の真相をしったときのことを語るようなinter monologueの構図になっている。現在形で書かれている理由はサラという時間を失った過去に対して考察することで彼女に未来の可能性を示し、その死の意味を定義しなおす試みがあったものと思われる。表題の通り、サラが過去に何をしていた可能性があるか、何をしようとしていた可能性があるのか、クレアはその可能性を"Sara I know Sara would laugh she would laugh about the hoover if she was here then I would make a joke about how she is so light now."という言葉にも示す。

 クレアはとりわけ『サラの転落にかかった時間』をカウントし伝えたいというのが、文面を結ぶ”you were so fast I still can’t believe how fast you were less than four seconds just under four three & a bit that’s all you took I know I counted for you”からも窺い知れる。死という形で止まったサラの時間を、彼女を想像し思いをはせクレアが時間をカウントすることによって、時間という概念を超えた存在の可能性を見せることになっているのである。姉の代わりにするそのカウントというものは、いわばサラにとっては失われた時間の再生であり、時間という概念が再構築される瞬間でもある。そしてそれが二人をサラの死後も結び続けることになるのである。


present historic

 present historicは三人称現在形によって書かれたエルスというホームレス女性の話だ。タイトルが示すように史的な事実を現在形の文章で追うことを意識して書かれたものと解釈できる。この物語で語られることはエルスがある女性受付係に部屋の施しを受けるというものであるが、そのストーリーの最中もエルスは自分の過去を生々しく思い出している。それはまるで彼女が過去に生きているように感じるもので、例えばたった”few second”で彼女の記憶を追体験したりする。それは”It is ten years back. She is in London”という文面で始まり、historical present tense(史的現在)によって語られていく。

 物語の最後にある“the tap is still running”と“her blood is pulsing”は外の世界の時間と彼女の中での時間のリズムの違いを表しているのかもしれない。そのリズムの違いは彼女の現況に影響を及ぼしていると考えられる。そしてそのtap(蛇口)から出る水は時間経過とともにホテルのバスルームを溢れかえらせてしまうこととなる。それは彼女のトラウマのイメージが氾濫に近いことを示しているのかもしれない。

 

future conditional

 future conditionalは過去形によって書かれ、ホームレスに部屋を規約に反して提供し、挙句ホームレス女性がホテルに損害を与え失職した女性従業員リサが寝込んでいる様子が三人称で描かれている。彼女は物語中で彼女の思念を晒していく。その思念は子供の頃のこと、ホームレス女性のこと、サラの死と広まった噂のこと、好意を抱いていた同僚ダンカンのこと、仕事を失う切欠になったホテルへの損害を生じさせてしまった日のことである。

 そのイメージは時に現在形で思い起こされ、その最たる例"Lise, behind Reception, is at work"で始まるシーンだ。そして注目すべきは仮定法で言及される場面である。それは例えばサラにまつわる話"she definitely must have spent some of that evening’s time with Sara Wilby"や同僚のダンカンとの可能性"she might sleep with Duncan one day"や母親に相談しようとするシーン"the idea of calling her mother, Deirdre O’Brien, who would understand the ramifications of the act"だ。彼女はあったかもしれない可能性を見ることで未来を失ったさまが強調されて書かれる。

 そして彼女の内的なリズムは外的要因によってバランスを崩していることを示唆する文面もある。それは”the Mazola song”やポエム”hotel world”であったりTVが見せる死者の映像であったりする。エルサがトラウマとも解釈できる内的な要因から影響を受けていたのに対し、リサは外的な要因から影響を受けているという対比があると言えるだろう。

 

perfect

 perfectはライターであるホテル宿泊客の女性ペニーが過去形で書かれ、その過去形は彼女がしてしまった行為と彼女の行為に対する彼女自身の認識の欠如を強調する。

 ときに彼女は孤児でもないのに“I’m an orphan”などと過去を書き換えるように嘘を吐く。例えば”she decided she’d claim that there had never been a clock"のように、Perfect tenseは出来事を完了した形で伝えるものであり、そこで吐かれることは嘘であっても決定事項となり得てしまう。これは過去の上書きに当たり、そこではペニーの危うさが漂い続けている。

 彼女は時計を持っているかクレアに訊かれ、“No. Because I'm one of those people who can't wear them, listen, this is true”と言い、また別のシーンでは“You know, she said. That they keep Big Ben in London running with two pence pieces? They pile them on the pendulum. That makes it keep the right time”と言及する。それはまるで彼女が時間という概念の延長線上にはおらず、外での時間とは別の時間に生きていることを暗示するようである。

 彼女について注目すべきは敬意のなさである。彼女は勝手に人を判断し決め付ける。他人の現在や過去を簡単に否定してしまうのである。途中、エルサ(ホテルにいて近所に詳しく『house』と呟く女性)を物件を探している女性と勘違いし、二人で街中の家々の窓から見える内観を覗いて回るのだが、それは彼女が他者の内的な時間への軽率な態度を暗示しているのかもしれない。


present

 presentは客観的で全知的な三人称視点でもって数々のゴーストを観察し、時代背景と既存の概念を超えた存在や概念の再定義を見せている。語り手は歴史から噂話、そして都市の発展までを見聞きし、語っていく。

 ここで私が言うその概念というのは、社会の在り方や性の在り方や時間というものの概念であり、つまりはその再定義を試みているのではないかという考察の理由として、語り手は例えば恋を躊躇うジュエリーショップの少女について”the timing was wrong. It was embarrassing. It's embarrassing now”と、価値観は変化するものであることを前提として語ったりする。また語り手が語るのは長い歴史を背景に持つものも多く、彼が所有する時間は時計が刻む時間とは一線を画すものである。つまりは永久に近い時間を持つ語り手による物語なのである。またそれらは時代背景を占めすことにも繋がっていて、なおかつ時代の一新を予期させる言葉に、説得力を持たせることに繋がっている。


 アリスミスは執筆に際しミュリエル・スパークの『メメントモリ』を意識していたという。そのため物語は時系列をそのまま辿らず、過去や現在を行き来して語られ、また各章でリンクしたイベントが起こりときに繰り返される。彼女にとっての時間の概念にはおそらくスコットランド文学の影響があり、更なる考察をするにおいてはそういった文献を見るのが望ましいだろう。またメタファー表現と思われる文章が多々あり、時計のリズムなどを意識しての表現が散見される。しかしここでは私がピックアップした一部のみに言及することとした。

 

 以上、これらを総合すると、まず各キャラクターにはそれぞれに違った内的時間が流れていることを示す。そしていわゆる時計に刻まれる時間というものは外的時間であり、内的時間というものは外的時間には収まらないものがある。それはときに思考やフラッシュバックやトラウマなどと言うものとして語られ、それぞれのキャラクターの体内で構築され外的要因である行動にも影響が及ぶという概念を、またはその逆として外的な時間が内的な時間に影響を与えるという可能性を、アリ・スミスはこの物語にこめたものと考えられる。

 各物語のリンクによって、過去が現在に、現在が未来に繋がっているさまが、キャラクターの行動と共に示されている。そういった要素が物語の意味をより濃く投影し語られ、その語り口を実現したのは、ときにtelling styleをときにshowing styleを応用し、リズミカルな文章やリピートを応用し、登場人物が生きる時代背景を簡潔に示し、混在物事を時系列ではなくより効果的な順番に並べ、時制のコントロールによってその入り乱れた出来事を最適解で纏め上げ、ときに瞬間瞬間を具体的に切り取ることによってリアリティを付与し、また意識の流れによって鮮やかに人の内面を描き出す、彼女の力強いライティング能力である。そのために時間の考察というものがこの小説についてまわり、彼女のライティング能力に注目が集まるのであろう。

 

 私がアリ・スミスのホテルワールドの時間概念について思うことは以上である。





※なお文中の引用は全てアリ・スミス『ホテルワールド』ペンギンブックス出版から行っている。

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