あなたの青春は、なにいろ? ~「旅路」によせて~
私の高校時代は、音楽と部活の思い出がすべて。はりつめた糸が切れそうなくらい不器用に真面目、自信がなくて、自分を追い込む。好きなことと苦しいことが裏表にくっついていて、息苦しかった思い出が多い。今から思えばかなり、精神的に不安定だった。
もう一度経験できたらもっと高校生活を楽しめたのに、と思う。
でも、もう一度は無理、とも思う。
高校時代の部活は「音楽部」という名称の混声合唱部だった。
毎年夏休みには合宿もあり、『合唱コンクール』に向けて、毎日練習をしていた。
目立ちたくないのに、パートリーダーになってしまっていた。ある程度後輩の見本になり、引っ張っていかなければならない立場だった。
普通の公立高校なのに男女問わずピアノを弾ける人が多く、休憩時間には、ピアノを弾ける男子達は耳コピで「ラジオ体操第一」を弾いたり、「短調版:悲しいラジオ体操第一」にしたりして遊んでいた。
私は5歳からピアノを習っていたけれど、“耳コピ”ができない。音楽を楽しんでいる男子達が心底うらやましくて、映画『アマデウス』のサリエリの気持ちが少しわかる気がしていた。
高3の9月まで部活が続き、毎日音楽漬けの高校生活だった。
月~金曜日まで朝練・放課後部活で毎日歌い、土曜日は音大教授のピアノレッスン、日曜日は別の先生に聴音(楽譜の書き取り)+声楽+ピアノレッスンを受けていた。音大を目指すと決めたわけでもないのに、なぜかそうなっていた。
それだけ毎日音楽に取り組んでいるのに、人前でピアノを弾いたり一人で歌ったりすることは苦手で、音大は向いていないと思っていた。
おまけに父は『プロジェクトX』から出演依頼がくるほどの仕事人間で、音楽への理解など全くなかった。女は専業主婦として夫を支えるために、企業で働いて男が働く姿を見ておけ、という感じだった。
本当は何をしたい?という問いは、全くない環境。
とりあえずピアノだけは趣味で続けて、親の言う通りの路線にのるのが最善の道だった。
社会人になってからは音楽から離れ、やりたいことはひと通りやってみたけれど、思春期の経験は特別。限界ギリギリの苦しい思い出と、キラキラの思い出が同居している。
それは“なにいろ”だろう? セピア色、モノクロ、ピアノ色?
ひとつはっきりしていることは、そこに原石があって、かすかに輝いていること。
どうもここが涙腺ポイントのようで、『旅路』を聴くたびに泣いてしまうので、当分外では聴けそうにない。
自分の中にずっとためていた“音楽”をnoteに出していくことで、最近ひとつのビジョンがみえている。
それは、自分の最後の日のイメージ。
『ジャンル』を超えた音楽を愛する人達が、それぞれ音楽を奏でて楽しんでいる。それを見ながら、今までの人生全てに感謝して天に召される。
今のところこれ以上の、至福の最後は思い浮かばない。
《追記》
まさかの文部科学大臣新人賞!
『旅路』が教科書に載る日も近い。
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