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しょげたかぷりこーん

 写真を撮ることに関して、ずっとNikon D3300のいっぽんどっこでやってきた。教わった当初、入門機として値段が手ごろなことと、そのわりになかなかのものが撮れる(ほんとはもっとちゃんと説明してもらったけれど、それを書けるほど憶えていない)というので購入を決めた。8年ほど前だ。
 はじめのほうはキットレンズをつけていたけれど、あるとき父の店の常連MNさんが、所有していた単焦点レンズを持ってきて、これで撮ってみたらいいよと数ヶ月のあいだ、貸してくれた。Ai Nikkor 50mm F1.4Sというレンズだった。
 単焦点のレンズで写せる世界がたのしくて、自分で同じレンズを中古で探して購入した。それ以来ほとんどその単焦点レンズをつけて、マニュアルフォーカスで撮っていた。

 写真をどこかに出すとか、そういうことをほとんどしていなかったし、ちゃんと学ぶこともさぼってひとりで遊んでいただけだったんだけど、ここ数ヶ月でまた写真撮影に関するいくつかの事柄を教わる機会があって、もう少し色んな撮り方をしてみたい気もちがふくらんできた。それでうまい具合に仕事用に新しい機材を手に入れることができて、それが先日手元に届いた。
 こういうことがあったからには、いままでさぼっていた自分の姿勢について反省と見直しが必要である。時間ができたこともあって、MNさんが以前くれた撮影テクニックの分厚い本を取り出した。

よろしくね

 撮影テクニックに関する実例とプロカメラマンのコメントが満載のその本(200頁以上ある大型本)をめくっていたら、写真を撮影するという行為はコミュニケーションツールのひとつであるという一文が目にとまった。コミュニケーションという言葉にひっかかった。

 この言葉に触れたとたん、めまいがするようだった。いままでてきとうに、ほとんど何も考えずに撮ってきた自分の姿が見えるおもいがして、気分が暗くなってきたのだった。

 私が表現したいことってなんだっけ。写真に限らないことだけれど、そういうのを明確にもっていない(あるいは自覚がない)のが私だ。それが悪いばっかりでもないとはおもうけれど、気もちが暗くなってくる理由は比較対象の存在があって、それが眩しすぎるからというのもある。役割が違うんだから比べても仕方がないとはおもいつつも、どうしても比較してしまって、はずかしくなって、情けなくなって、深く穴を掘ってそのなかに入って、しばらく隠れていたくなる。

小値賀・野崎島のトレッキングでもたくさん写真を撮った(2020年12月)

 MNさんがくれたこの本は、すごく基礎的なことからあらゆるシーンにおける構図やテクニック、アクセサリーを使用した例まで実に幅広くカバーしていて、きちんと読めばかなりの知識と技術を手に入れられるだろうものだ。貰ったときにしっかり読みながら撮ればよかったものを、私というのは(以下略)。
 とにかくいい機会だから学びなおしである。

 それで、私が自分という人間にめげてくる比較対象というのは写真に関していろいろと教えてくれる、何をやってもその道の専門家に迫っている多芸多才な人物だ。機材で悩んでも、技術に関しても、撮った画像についての説明も、訊けば必ず期待以上の答えが返ってくるし、写真以外にも私の知らないこと(たくさんある)をあれこれ教えてくれるし、とにかく圧倒される。
 だからつい甘えてしまうんだけど、自分でできるようにならなくちゃと情けないおもいも発動して、相手の負担なんかも考えてしまって、控えなくちゃとか、そのあたりの感情が乱れてふくらんで、脳みそがむくんでぱんぱんである。
 写真はコミュニケーションツールだということを認識していなかったのと同じで、つまり関係性において、いいあんばいを保てない自分の性質を感じる。

 写真に撮りたいと感じたその対象の、どういう部分にいちばん惹かれたんだろう。私の目は(意識は)なにを捉えて、それを誰に、どんなふうに伝えたかったのか。そもそもそんなふうに、自分以外の誰かに向いてもおらず、ひとり相撲だったのだ。いままで撮ってきた写真を、ぼんやりと眺めていろいろ考える。ここにも言語化という課題が認められて、つまり私はずっと同じところから動いていないということか。

端島にTKさんと行ったことを残しておきたかった(2021年4月)

 ちょっと前には夜景の撮影や、マクロレンズで写し出される世界を見せてもらった。それらは肉眼では捉えられない像で、容易には触れられないものでもあるだろう。そういうものを目にしてうつくしいと感じる背景には、自分のなかにそれを見てみたい、あるいはこの手で触れたいという欲求があるということになる。肉眼では見られない、手で触れることができない世界に出合いたいというおもいは、誰かの心を知りたいという欲求に似ている。

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 ところで落ち込んだ時の対処法というか、占星術でそんなことを聞いたのをふと思い出した。人によってパターンみたいなものがあったりもするだろう。ストレスが溜まったときには金星星座を満たすと解消されるらしい(一時しのぎ的にだけど)。あと石井ゆかりさんの著書のなかに星座別のがあったなとおもって、本を開いて山羊座の該当ページを読んでみた(太陽星座)。

 その箇所をここに引用させてもらおうかな、とおもったけど、そして一旦入力をしたんだけれど、的を得すぎていて心のなかを開示するレベルだった。さっきとは別の穴を掘ってもぐりこみたくなるから、引用するのはやめにした。

(石井ゆかりさんの本は改訂版が出ている)

 本に書かれている対処法というかパターンは、だいたい自分でも認識していたことだったから、まあいつもの調子で回復していくだろう。それにしたって、私は認識していてもあんなふうに的確に、しかもあらゆる意味でやさしい表現はできない。石井ゆかりさんの文章や言葉にはとくべつな響きや作用を感じる。

たくさん登拝をした京都の旅(2021年4月)

 この新しい機材は、もう少ししたらおめかしするのに一度手元を離れることになっている。外装を無料で変えてくれるキャンペーン中らしくてせっかくなので申し込んだ。
 いままでD3300いっぽんでやってきたのには、一眼レフのカメラが高価ということとか、その価値に見合う技術を持ち合わせていないという理由の他に、気が散るというか、いくつもを大切に扱えないというかそんな気がして踏み切れなかった(つまり気が小さいんだろう)。

 時間や手間を惜しまず、どちらも大事にしながら付き合っていきたいとおもっている。

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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