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喫茶店百景-basement-

 帰宅途中に、ある建物にふと目がいった。ずっとむかし、その建物の2階にバーがあったのである。

 ずっとむかし、というのは私が幼いころのことで、このマガジンにはその時代のことを思いだして書く記事が多い。

 近所の、その2階にあったバーには父親とその友人たちに連れられて行っていた。ビリヤード台がおいてあったのは憶えている。暗くて、他の景色はよく見えなかった。大人のまねをしてビリヤードで遊んでみたり、つまみのチョコレートを食べるなどして過ごしていた。
 店の名は「basement」といった。2階にあるのにbasementというのはおかしいけれど、どういう理由で名付けられたのか知らないし、店主のカオなんかもまったく記憶にない。

 そういうところに保育園年長か、小学校低学年くらいの子どもを連れて行くんだから、うちの父というのはよくわからない。父はたぶん子どもとかその教育とかに関心のうすい人間だから、とくに理由もなく伴っていった、とかそういう具合だとおもう。
 「basement」でなにをするというのでもないくせに、私はそこに行くのがわりと好きだった。暗くて、静かで、どことなくいい雰囲気があった。いっしょに行く父の友人であるTおじさんを好いていたというのも、そこに行くのが好きだった理由のひとつかもしれない。おじさんは、私が17歳のころに死んでしまった。

 父に連れられて行く場所というのは、「basement」の他にもいくつかあった。父はファミリーレストランみたいな、一般的な家族が利用する飲食店がきらいだったから、外食というとだいたい子ども向けでない場所が多かった。そのほとんどが、父の知人の店である。

 「basement」のすぐそばには焼き鳥の「富ちゃん」があった。うちの店から商業施設を越えた向こうのとんかつ「あさ川」にもよく行った。店の正面に伸びる道をまっすぐ歩くと、寿司屋のカオルさんの店があった(屋号を忘れてしまった)。車でちょっと走ったところには、ステーキの「あさくま」があった。あさくまの店内には、汽車がおいてあった。

 ぱっとおもいつくだけでこんな具合だろうか。どの店も、いまはもうない。
 父はこのように、家族連れのときでも知人の店に行くのを好んだけれど、同業者、つまり知人の喫茶店というのにいっしょに行った記憶はない。よその喫茶店主が来たこともない。理由は、営業時間が同じだから、お互いに店を空けられないからである。

 ここ数年で父と行くことの多い平井さんの店なども、父が現役のときには足をふみいれたことがなかった。私の場合には、両親や父の店があるためによその店に行く理由とか機会というのが見当たらなかったのだ。

▽平井さんの店

 そんな父は、数日前に後輩の店に行くとわざわざ私にメッセージを送ってきた。父の住まいからは20kmほど離れていて、車をもたない父はなかなか行くことがないのである。友人に車を出してもらったんだそうだ(世の中には優しい人がいる)。

 うれしそうだった。


▽父母の後輩の店

▽とんかつ「あさ川」のこと


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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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