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紫陽花というと雨が似合うけれど

 むかしむかし、シーボルトというドイツ人の医師がおりました。シーボルトはドイツから遠く離れた日本のナガサキという町にやってきて、病人を診察したり、治療したり、それから日本人たちに医学を教えることをしていました。
 シーボルトには日本人の妻、お瀧さんがおり、お瀧さんのことを「オタクサ」と呼んでいました。ある日、シーボルトは見たことのないうつくしい花を見つけました。その花を、愛するお瀧さんとかさねあわせ、「オタクサ」と名付けました。

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 というわけで、長崎市は紫陽花オタクサを市の花としてある。
 毎年この季節になると、あじさい祭りといって出島周辺や中島川(めがね橋のかかる川)周辺などに、紫陽花が並べられる。並べる、つまり鉢植え。
 祭りの名称も『あじさい祭り』といってみたり『おたくさ祭り』としてみたり、なんだか定まらないし、鉢植えの花を並べるほかに催しがあるのかどうか、とにかくこの時期、長崎市内の観光名所はたくさんの紫陽花でいっぱいになる(合わせて3500株だとか)。
 先日Zマウントのズームレンズを戴いてしまって、うれしがってさっそく装着したカメラを持って、歩いてきた。

くりくりとカーリーな花びら

 ところでずっと単焦点のレンズでばかり撮っていたので、ズームレンズの効果的な使い方ってどうだっけ、とちょっと考え込んでしまった。

 ひとくちに紫陽花といっても、色もさまざまだし、花弁の大きさや形もバラエティに富んでいる。花びらのカールしているのとか、星のきらめきのようにも見えるガクアジサイなど、どれも目をひく可愛らしさがある。
 紫陽花は毒を持っているらしく、そんなに強い毒ではないだろうけれど紫陽花を飾ってある飲食店などは気をつけたほうがいいかもしれない。

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 ちなみにお瀧さんについて、シーボルトの妻などとあちこちに書かれているが、お瀧さんは丸山(かつての花街)の遊女である。それでそのあたりのことをちょっと調べてみると、娘の楠本イネ(日本人女性初の産科医として有名)は産科の師であった石井宗謙から、そうして生まれた娘の楠本高子は片桐重明という医師から、どちらも強制的な情交により子を身ごもったなどという記事が出てきて、仰天してしまった。高子のほうは「情を通じて」といった書き方の記事もあるので定かではないけれど、世代を通して不憫が漂う。胸がいたい。(お瀧さんのことについて記事の最後に追記あり)
 このシーボルトの孫にあたる楠本高子はたいへんな美しさだったらしく、それを気に入った松本零士氏は作品『銀河鉄道999』のメーテルや、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのモデルにしたのだという。この話どこかで聞いたような、記憶違いだろうか。

神秘を感じる花弁の重なりや色
むこうに見えるのは稲佐山いなさやま
白というのはいいね
出島表門橋
花びらがぎゅうぎゅうしている
紫陽花といって浮かぶ色合いのひとつ

 お瀧さんとシーボルトは正式な結婚をしていたわけではないだろう。楠本イネは私生児となっている。
 フランス人のピエール・ロチという人が書いた、『お菊さん』というベストセラー小説がある。明治期、長崎に滞在したフランス海軍士官ピエール・ロチが、おかねさんという女性と過ごしたひと月の記録をもとに書いたものであるらしい。オペラ蝶々夫人のもとになった小説でも、この『お菊さん』像に憧れた海軍士官ピンカートンが登場する。ピンカートンは蝶々さんを妻に迎えるのだけれどそれは正式なものでなく、蝶々さんはそのことを知らずにいた。
 当時このお菊さんや蝶々さんのように、外国人の日本における一時的な相手をする女性というのは相当数いたのであろう。そのような外国人たちの中には本国に妻を持つものも大勢いた。
 彼女たちはどんな思いで生きていたのだろう。何もかも承知だったのか、正式な妻だと信じていたのか、そういうことがあれこれおもわれてくる。まあ、どれだけ考えたところで知る術はない。
 ところでフランスではこの現代にも「日本人女性は従順で大人しく、控えめで人形のようである」といったイメージを持つ男性が、わりと多く存在しているらしいというのをフランス在住の日本人女性の記事で知った。ピエール・ロチの小説は相当数売れたそうだけど、すごく遠くなった明治期にもたらされたイメージが、現代にもしっかり残っているというのもすごい。

 あと、まあどうだっていいんだけれどシーボルトとお瀧さんにしても、ピエール・ロチにしても、蝶々夫人にしても、ここ長崎ではうつくしい物語やロマンチックなものに仕立てあげ、観光に利用しているあたりにこの町の浅はかさを感じる。別にアタマからおしりまで詳しく伝えろなどという気はないけれど、だからといって安っぽい愛の物語というのもうす寒い。ピエール・ロチに関しては記念のレリーフまであって、なんだかお菊さん(おかねさん)の立場がないような気がするんだけど。

 最後にもうひとつどうでもいいことを書く。
 お菓子屋の唐草がつくる「おたくさ」という銘菓はわりとおいしいので、おみやげにおすすめです。

 キレイな紫陽花を見てなごんでもらうつもりだったんだけど、ぶつぶつとケチをつけてしまった。

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 お瀧さんに関する追記
 大正13(1924)年に長崎の鳴滝塾跡でおこなわれたシーボルト渡来百年祭において孫の高子が語った祖母タキの話によると、丸山の遊女であったというのはこんな事情があったらしい。
 お瀧さんは長崎の町で評判の美人であったそうで、シーボルトはその噂を出島の出入りの人たちより耳にしており、ぜひ一目見たいとおもっていた。当時外国人は出島の外へは出られなかったが、こっそりとお瀧さんのいる銅座を訪ね、姿を見て以来、お瀧さんのことが忘れられなくなってしまった。
 お瀧さんは、もう一人別の唐人からも言い寄られていたため、周囲と相談してあげく、くじ引きでどちらか一方を選ぶことにし、それによりシーボルトに身を任せるということになった。
 出島には遊女以外の出入りができなかったため、丸山の引田屋に相談し、遊女としての名前「其扇そのぎ」を名乗り、表向きは引田屋の遊女として出島に入りシーボルトと関係したという。

 

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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