パンダの見つからない動物園
途中まで読んでそれきりになっていた漫画と、それとだいたい重なるところのテーマを別の視点で描いてある漫画を読ませてもらったことから、改めて興味を向けているものがある。それは満洲まわりを含めた、昭和初期を中心とした時代のことだ。
ずっと前に、ノモンハン事件のことを書いた文章を読んだことがあった。私の時代の教科書には載っていたのかいなかったのか、社会科は苦手科目だったせいで私が記憶していないだけなのかわからないけれど、その文章では、ノモンハン事件のことは教科書に太平洋戦争に関連する「ちょっとした事件」みたいな書かれ方をしていた、とあった。
私が読んだ文章は一種の紀行文のようなもので、90年代の前半ごろに筆者がその戦場を、中国の内モンゴル自治区側からと、モンゴル側からとそれぞれ訪れて書いてあった。その文章を読んでから、ノモンハンという地名とか、「事件」と呼ぶのにはそぐわない熾烈な戦争だったこととか、その辺のことが記憶のすみに残った。けれどもどこか、遠い昔の遠い場所での出来事というか、満洲をめぐる当時の事情や雰囲気という物事の多くを知らないために、曖昧なところで停止してとどまり続けていた。
それで、つい最近になって2作品の漫画を読ませてもらってから、もう一度その時代周辺をなぞっているところ。その当時のいろいろ込み入った社会的な状況を、にぶい頭に整理しながら詰め込んでいる。
ここ最近はたいへんどうでもいいようなことを、ながながと書いてばかりいるものだから、少しはマシな内容のものを書きたいと思いつつも、このテーマについて何か書けるほど噛み砕けてはいない。
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ちょっとした話題から青空文庫を漁ることをしていて、そうしたら夏目漱石氏のものがいくつもあった。氏の文章はわりと好きなので(とは言っても網羅してはいないのだけど)嬉しがって、何があるんだろうとペラペラめくっていたら『満韓ところどころ』というタイトルを見つけた。タイトルからいって随筆だろうとおもって開いてみたらやっぱりそうだった。
まださわりのほうしか読んでいないけれど、好ましい文体と感じるのは変わらない。読んでいてそう感じながら、夏目漱石氏もかなりどうでもいいようなことを拾い上げては書いている、とおもった。自分と並べるなど図々しいようだけれど、なんだか勇気を得たような気分。
この『満韓ところどころ』は、夏目漱石氏が当時の南満州鉄道総裁に誘われ旅行した、1902(明治42)年の9月からひと月半ほど間のことが書かれてあるらしい。
それで、上記の漫画作品というのは『昭和天皇物語(能條純一)』と『虹色のトロツキー(安彦良和)』で、どちらもおもしろかった(『昭和天皇物語』は連載中)。私がノモンハンについて意識した文章は『辺境・近境(村上春樹)』という本に収められた「ノモンハンの鉄の墓場」である。これも読み返した。
村上春樹氏がノモンハンに向かう際、成田から大連、長春を経た途中に立ち寄った長春動植物公園において、そこがたいへん広く動物密度の低い動物園であったことと、とうとう最後までパンダの檻を見つけられなかったと書いてあったところからタイトルをつけている。
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今日の「国境」:同時進行でジャンヌ・ダルクあたりの本も読み始めたところだけれど、国境を接する他国間との間柄って、なかなかややこしそうですね。日本は島国だし、私は歴史に疎いしというので実感が湧かないけれど、それぞれ読んでいると実に大変そうだなあとおもいます。