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にちようびの散歩

 出かけなくてもいいような休日の午後に、気もちをふるい起こして散歩に行くことにした。天気に誘われたとかそういうのでもない。
 カメラを持って出た。

 少し寒いな、とおもいつつ、キョロキョロしながら歩く。普段ほとんど歩いては通らない道なんかを選んでみたりしつつ、でも写真を撮りたくなるようなものはあまり見つけられない。

 30分くらい歩いたところで、むかしからある喫茶店が目に入った。うちから直線距離にして徒歩10分くらいの距離にある店だけど、大きな道を超えないといけないこともあって、もう何年も入っていない。
 営業中の札がかかっていて、一瞬、コーヒーを飲んで行こうか少し迷った。でも入らなかった。その店は工芸もやっていて、そういう器で出されるのが少し趣味に合わない。コーヒーの味は忘れたけれど、看板にしているカレーはおいしい。

 コースの途中で、スーパーマーケット3件を通りすぎた。ちょっと買いものして帰ろうか、とおもわないでもなかったけれど、買いもの袋を提げたままカメラを構えるのもマヌケだな、とおもってやめた。

 あまり収獲(写真の)が得られないまま、もう帰ろうかなとおもった。小一時間ほど歩き回って、身体があたたまってきていた。
 家に帰るまでに、上らなくてもいい坂道がある。でももうこんなふうに散歩に出てくるのもそうないから、残っていた気力を盛り立てて上ることにした。
 坂のてっぺんまできたら、次は下りである。ここで少し視線をめぐらせてみたら、右手の奥に墓地が見えた。頭のなかに何か浮かんだわけでもないけれど、墓地のほうに向かって歩いてみた。
 十字架のついた墓石が見えた。
 あれ、こんなところにカトリックの墓地があったんだな(すぐそばに教会はない)、とおもって入ってみると、その出入口の側は無縁墓がいくつかあるエリアみたいだった。
 10年くらい前に立てられたらしい、改葬を告知する看板がいくつも立っていて、古そうな伏墓もいくつかある。ちょっと手を合わせてから写真を撮らせてもらった。

椿の赤がまぶしい

 墓地の周辺は民家にかこまれていて、東のほうには山がある。墓地は、その近所でもわりと高い場所に位置していて、東側は視界がひらけていた。しばらくぼーっと景色を見た。

 最近読んだ『聖灰の暗号(帚木蓬生著)』という本の書き出しは墓地だった(舞台はフランス)。墓地に呼ばれたのかもしれない。

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 その墓地にあった無縁墓は、名前の刻まれたのもあって、だけど本籍地などが不明であると看板に書いてあった。伏墓も手をつけられていないみたいに見えたけれど、改葬は済んでしまっているんだろうか。
 名前がわかっていて、本籍地がわからない、というのはもしかして、とおもう。

 近代になって、パリ外国宣教会が日本に上陸し、大浦に教会が建てられたあと、浦上地区の潜伏キリシタンたちが名乗り出てその存在が明らかになった。世界を驚かせたこの出来事は、当時まだ禁教が解かれていなかった日本の政府を刺激した。そのあとにおこった明治政府によるキリシタンへの弾圧は、「浦上四番崩れ」として知られている。
 3000人以上が捕縛され、全国数か所に配流となって、浦上の信徒たちが戻ってこられたのはおよそ6年後だった。住人がいなくなった浦上の土地や家屋には他人が入り込んでいて、彼らが住む場所はなくなっていた。

 この墓地には、そういった浦上の信徒たちの一部が葬られていたのかもしれないとおもった(調べたわけじゃないから不確かです)。

 けっこう広い敷地の中には、カトリックのだけじゃなく仏式の墓もいくつもあったし、それぞれの新しいものも混じっていた。
 もう数枚、写真を撮ったけれど、墓碑銘が写っちゃったのもあるので掲載は控えた。

 お墓といえばもう一か所撮ったのがあるんだけれど、まだ文章にできていない。
 そのうちに、とおもっている。

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今日の「比較」:食べもの(とくにお菓子)の記事は他のよりも♡の数がいっぱいつきます。

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