気になる宗像三女神
ことし初詣に行った宗像大社はずっと行きたいとおもっていた場所だった。行こうとおもえばいつでも行ける距離だったのに、やっと行動にうつしたという感じだった。初詣というのはつまり賑わっているということだし、急に決まったため湍津姫神をお祀りする中津宮(大島)までは行けず、市杵島姫神をお祀りしている辺津宮にお詣りした。境内には第二宮(田心姫神)、第三宮(湍津姫神)があるためここでお詣りができる。
あまりゆっくりできなかったけれど、また別の機会に再訪と大島への訪問をしたいとおもいつつ、渋滞する中をのんびり帰った。同行者とは、こんど出雲や宮島に行く予定になっていて、そんなことから色々と神社仏閣の話をしたりした。話題の中に、宇佐神宮が出た。
初詣に宗像大社に行きたいとおもったのは、昨年訪問した厳島神社が宗像三女神をお祀りしているから、そのあたりが気になっていたからだった。きっとご縁があるんだとおもって、(祐徳さんの話も出ていたけれど)こんなことから宗像大社に行くことにしたのだった。
また別の人と、日本の神話の話などで盛り上がったときに、その人の口から宇佐神宮の話が出た。ああ、そういえばこの間も宇佐神宮がどうとか話題になったなとおもって調べたら、ここも宗像三女神が御祭神となっていて、やっぱり何か惹かれるとおもった。距離的にはじゅうぶん行動範囲なので、いつか行ってみたい。
仕事柄というか、ちょうど宗像・沖ノ島と関連遺産群の公式ガイドブックが手許にあって、ぱらぱらと読んでいたら見覚えのある船の写真があった。4世紀後半から5世紀にかけて朝鮮半島との交流のための船だった。これは、おきよ丸に似ているな。そうおもった。
世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式ガイドブック より
おきよ丸は神武東遷の古代舟で、このときの御船出が日程変更となったためまだ眠っている人々を起こすため「起きよ、起きよ」と家々をまわり、そんなことからおきよ丸の名がついたそうだ。神武天皇をお祀りする宮崎神宮の境内にあるこの船は、西都原古墳群から出土した埴輪船から再現されているとあって、つまり公式ガイドブックの画像のものだから既視感があるのも納得であった。
宮崎神宮のおきよ丸
神話っておもしろい。だいたい宗像三女神というのは、アマテラスとスサノオの誓約により生まれた女神で、スサノオといえば出雲系なのでこんど行く予定の出雲との縁も感じる。
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資料といえば、仕事中に別の探しものをしているときにこんなものに当たった。6年前の私が保管してあったもので、ご覧の通り宗像大社の宮司さんへの取材記事だった。一度は目を通しているけれどすっかり忘れていたのでもう一度読んでみると、1971年に出光興産創業者の出光佐三氏より多額の寄進があり、それにより宗像大社の大改修がおこなわれたことが書いてある。この人物が気になって調べたら、もとは宇佐市出光を本拠とした、宇佐神宮の神官を務めてきた宇佐氏の一族だという。出光家は江戸時代に宗像郡赤間に移ってきたとある。
2016年1月16日の日経新聞記事(赤線はお気になさらず)
ちょっとした興味から、あっちこっちとまとまりのない文章を書いてしまった。ここからまた本を読んだり、実際に足を運んだりするのがたのしみである。
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