ぶんぶんぶん
先日、墓地で写真を撮っているときに(これには理由がある)、頭のうしろのほうで虫の羽音がした。音の感じと大きさから言って、ハチではなかろうかとおもわれた。
ちょっと撮りづらい箇所を、ちょっと無理な姿勢で撮ろうとしていたところで、その不気味な音にドキッとしないでもなかったけれど、無視することにした。下手をしたら刺されるかもしれない、そんな状況だったけどどこか「そのときはそのときだな」そういう気もちで振りむきも、避けたりもしなかった。
あとからふとおもったけれど、昔の私には身の周りにもっともっと怖いものが多かった。折れ曲がる脚の多い生物は特にイヤで、チビの頃に洗面所に棲みついたクモを怖がって、洗面所にひとりで行かれなかった。家の中でなにか虫が出ると、母に任せて一目散に逃げる。そういうのは、ひとりで暮らし始めると頼れる人がいなくなって困ったものだった。
いつの間にかあのとき怖かったあれもこれも、そう怖くなくなっている(気味が悪いのには変わりがない)。
先日職場のPくんが、(私のいるのとは別の)事務所にヘビが出たというんで朝から電話してきた。そっちは場所柄、ヘビやら毛虫やらが出るのは以前から聞いていたし、そう騒ぐことでもない。私だって、例えば外海地区の教会だとかでヘビに遭遇したことは何度かある。先日はイノシシまで出てきてくれたし、そういうわけで、ヘビが出たと騒がれても、なんとか対処しなさいというしかない(遠いし)。
ちなみにPくんはとにかく怖がりで、虫でも鳥でも、それがいくらの大きさもなくても、なんでも怖がる。こっちの事務所にいるときも、いつも何かというとぎゃあぎゃあ騒ぐのだ。
この間は蛍光灯が1本切れた。付け替えるのに脚立を使う高さで、1500のを出してみたらてっぺんまで乗らないと届かない。Pくんはてっぺんより2段下までしか怖くて乗れませんと言った。仕方がないので脚立に上って替えてあげた。
ひとり暮らしや、山を切り開いた場所みたいなとこに勤めていた時期があったりと、そういうのでちょっとずつ鍛えられたみたいで、昔にくらべるとずいぶん対処ができるようになってきた。もちろん好きにはならないし(ぜんぜん)、気味が悪いし、できればそういうのはいないほうがいいんだけれど。
古い寮の部屋にGが出たときとか、作業中のベルトコンベアに死んだセミがのって運ばれてきたときとか、作業場の一角が何か臭うとおもったらねこが死んでいたり、産業廃棄物置き場にネズミがいたり、トイレに手のひらくらいのクモがいたこともある。旅で行ったマウイのコンドミニアムでは、部屋の中でしょっちゅうgecko(とかげ)を見た。なかはしさん(仮名)がくれる畑の野菜には、いろんな虫がくっついてくる。
どの場合にもはじめは卒倒しそうになっていたけれど、いちいち気絶していたってしょうがない。なるべく動揺せずに対処するに限る。
だいたい、こいつらは基本的には何かしてくるわけではない、ということで慣れていくのがいいかもしれない。冒頭のハチなんかがもし攻撃性の強いハチだった場合は、じっとしていたって危ないかもしれないけれど、クモやGやとかげみたいなのは気味が悪いだけである。だから遭遇したときには落ち着いて、然るべき態度をとればいい。
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いろいろ書いてきたけれど、「あとからふとおもった」のには続きがあって、実はここがいちばんのポイント(?)なのだけれど、警戒してあたるべきはどちらかというと人間のほうではなかろうかということなのである。人間関係の中では思いもよらないところで深い傷を負うことがある。いま私はそういうことを言っている。
人間関係というと、もちろん自分も関わっていることだから、すべてを誰かによるものと言うつもりはないし、こちらが勝手に傷ついているケースだってある。でも動物の本能と違って、意識的に実際的に「何かしてくる」可能性でいえばあるいは、人間のほうが恐ろしい存在と言えるかもしれない。
それでずっと若い頃に比べると、そういう人と人との間でも、もういくぶん傷つきにくくはなってきているかもしれない。図々しくなってきたというか、防衛のほうの意識が鍛えられてきたというか、まあそんなところだろうか。あまりあちこちで傷ついてばかりいるのだって身がもたないし、だからと言って人間関係のほうを閉じてばかりいて、スクルージ的人生を送るのもなんだかおもしろくないし。
ハチの攻撃をうけることなく、のんきに帰る道中そんなことを考えた。
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今日の「ことわざ」:ハチに関する言い回しで何かいいのがないかなって探してみたら、have a bee in one’s bonnetというのが出てきたので使ってみました。頭のなか(帽子のなか)でハチがとんでるみたいで、気になって仕方がないとかそういう感じで使ったりするらしいです。