喫茶店百景-お手伝いいろいろ-
学校が終って帰るのは、家と反対方向にあった両親の店だった。家の鍵は与えられていたけれど、ちょっと年の離れた兄姉と遊ぶよりも、店にいる方が好きだった。
母の帰りを待つ時間に何をしていたかというと、店のマンガ雑誌から週刊誌までを片っぱしから読む、それから図書館で借りた本なども読む。たまには宿題をしてみたり、窓の外を眺めるのも好きだった(お客さんが少ないとき)。お手伝いなんかもしていた。
私が店でやっていたお手伝いについて書いてみる。
⋆紙ナプキン折り
正四角形で一部に飾り切りがされた、白い紙ナプキン。これを2回折って二等辺三角形にする。ひらひらが上になるように、ナプキン入れに補充する。折り紙みたいで、たのしい。
⋆ペーパーフィルター折り
当時は台形のペーパーフィルターが主流だった。使う前に紙の継ぎ目のところを折り曲げる必要があるペーパーフィルター。1杯だてのフィルターは消耗がはげしいので、いっぱい折って積み重ね、補充しといてあげる。
⋆ハンドミルでコーヒー豆を挽く
これは遊びのようなもの。小さいころは『お手伝い』だとおもっていたけれど、何の役にも立たなかっただろう。
⋆補充をする
コーヒーシュガー、お冷、塩、爪楊枝… 紙類の他、これらの「補充もの」もよくやった。コーヒーシュガーを口に入れる(キャンディ代わり)。私はお冷が好きな子どもだった。たいていの子どもはジュースが好きだけど、甘いジュースが苦手だったからいつもお冷をごくごく飲んでいた。自分を褒めたい。(今は冷たいものも苦手になって、氷入りの飲み物は飲まない)
⋆おつかいをする
ちょっと大きくなると、おつかいに行っていた。
パン
おそらく届けてもらっていたはずだけど、切れそうになると近くの『アンデルセン』に走った。
ハム
お肉屋さんに行って店の名前を言うと、包んでくれた。スライスしていないロースハムの塊をたしか500g。
野菜、果物
うちの店は市場の中にあった。そして2階だったので、窓から下を見ると商品と値札が見える。「あっちの店のトマト」とか「今日はこっちのきゅうり」などと指示をされ、メモを握りしめて行く。
梅昆布茶
常連さんなどが長い時間を過ごすとき、もうコーヒーのおかわりもいらないなんていうときに母は梅昆布茶を出していた。向かいにお茶やさんがあって、そこに買いに行く。品物を包んで会計を済ませるまでに、熱いお茶を出してくれるのだけど、猫舌なのでその短い時間に飲まないといけないというプレッシャーに、いつもくじけそうになっていた。
コーラ
メニューにコーラフロートがあった。そんなに出ないので、たまに買い置きが切れる。注文が入って、慌てて下の自販機に買いに行く。
両替
千円札が切れると、下のパチンコ店に行く。まだそのときはパチンコ店に自動両替機があって、一万円札を入れると千円札10枚が出てきた。分煙もなにもない時代で、もうもうとした煙でむせながらしれっと両替をする。
特売品
新聞についてきたチラシを眺めて、母が赤丸をつけた商品を買いに行く。歩いて行ける範囲にスーパーが3件あった。これは店のものだけじゃなく、家の買い物を兼ねることもあった。
⋆
パンは、ほとんどの場合角食パンで、ときどき品切れになると山パンを使うこともあった。硬くなったパンをお客さんには出せないから、パンが余ると家に持って帰る。1本(3斤くらい)をカットしながら使うから、余りも塊りということになる。私は食パンのスライスがとても苦手だった。家の包丁が切れないというのもある(店の包丁は父が研いでいた)けれど、この切れない包丁でも母はちゃんとスライスできる。「おかーさん切って」と言っても自分で切れと言われる。切り口ぼそぼそのパンをトーストすると、毛羽立ったカリカリトーストが出来上がる。
パンは硬くなり始めているものだから、フレンチトーストもよく作った。今はぜんぜんやらなくなったけれど、日曜日なんかのゆっくりとした朝に(昼だったかも)、母や姉といっぱい作ってみんなで食べるのはたのしかった。
上に書いたように、ロースハムも塊だったから使う時には切らないといけない。父も母も売り物みたいなスライスハムを切れる。すごいとおもう。因みにハムは店で使い切るため、家に持ち帰られることはなかった。
ちょっと前に、ふと思ったことがある。
私はこのように、ずっと店に入りびたりだった。学校は好きになれなくて、不登校まではならなかったけれど、学校での記憶がない。小学校~中学校時代の記憶といえば、ほとんどが店で過ごした時間である。
学校が終って家に帰っても母はいない。兄はぐれていたし(コワかった)、姉は受験勉強をしていたから、あんまり私と遊んでくれなかったとおもう。店が終って家に帰れば、母は疲れていることもあって機嫌があんまり良くなかった。
でも母は店では笑っている。もちろん愛想笑いもあっただろうけれど、色んな世代の気の置けない常連さんなんかと話すのは、母にとっても息抜きになっていたのかもしれない。
だからお店が好きな理由は、母親が笑顔でいる場所だったから、私はそれが嬉しかったのかもしれないとおもったのだ。