シェア
ついきのうまで、民俗学に関する本を読んでいて、いろいろのことを考えた。ひとつに、日本人の、輪廻的、円環的な人生観というのにふと思い出したことがある。 うちの母親は色んな意味で宗教的な思想や思慮深さなどがないひとなんだけれど、たびたび私にむかってこんなことをいった。 ——つかさはわたしのばあちゃんの生まれ変わり。 つまり私にとってはひいばあちゃんである。誕生日が同じなんだそうで、きょうだいのなかで私だけひいばあちゃんに抱かせられなかったのを残念がりつつ、こういうこと
あることのために読んだ短編集で梅崎春生の「赤帯の話」に出合った。このひとの作品を読んだおぼえはないから、まあはじめましてといっていいとおもう(恥ずかしながら)。これはシベリア抑留民の一場面を描いた短い話である。赤帯というのは抑留民のうちのある班の親方であるソ連兵のことで、あだ名である。 この短い話は、冒頭と最後の場面で夢の話が出てくる。情景の描写には色の表現がよく出てくる。そんなふうなことを感じながら読んだ。 主人公(「私」という日本人)は、空腹を抱えてくりかえし、食
事務所のそばには美術館があって、その美術館には屋上庭園があります。事務所の窓から見えるその場所に、そういえば上ったことがないことに先日気がつきました。 ある日の午後、散歩のつもりで上ってみて、眺めがいいことと人の少ないのに気分がよくなりました。 * 再読となる遠藤周作氏の著作『王の挽歌』を読み終えました。大友義鎮(宗麟)を主人公にした作品です。 作品のなかで、ところどころ大友宗麟の、亡母にたいする心情が描かれていたり、謀反人服部右京亮の妻をもてあそぶ自分の内にあ
ちょっと前に、吉村昭氏の小説『ふぉん・しいほるとの娘』を読んだ。タイトルから察せられるかとおもうが、ドイツ人医師Philipp Franz Balthasar von Sieboldの娘がいちおうの主人公である。 小説とはいっても、シーボルトの来日にはじまり、彼の出島における生活や江戸参府随行の様子、シーボルトの行為が原因で引き起こされた事件やその後のことを、周囲の事柄を含めてすごくよく調べて書かれている。史実にかなり近いのではないかとおもう。 長崎市の花として設定さ
帚木蓬生というひとの書いた本、『信仰と医学 聖地ルルドをめぐる省察』を読んだ。彼の著作についてはKさんからおすすめをされていたものの、まだ他の小説群を読む前に、たまたま書店で見つけたこの本から読んだ。 著者は精神科医でもあって(現在その職からは退いている)、ルルドについては訪問し現地を見たうえで、その歴史を調べて概要を書きだし、さらに医学の観点から意見や考えを述べた構成になっている。 聖母出現の当事者、Bernadette Soubirousというと、これも以前Kさん
きのう10月9日に何年振りかのくんちが終った今朝の港周辺は、とても穏やかな秋の空気に満たされていた。ただひとつ、御旅所の設けられるこのあたりにはテキヤが立ち並ぶことから、食べ物やごみの混じったにおいに満ちてもいた。 * 長崎の氏神とされている諏訪神社の秋季大祭くんちまわりのことでは、キリシタン史との関わりがある、というのでそのへんのことでも書こうかな、とおもった。 ちょっと前、キリシタン史に関連する文章を書くため、資料を手当たり次第に漁っていたときに、気になる資料を
このあいだ久しぶりに書店をぶらぶらとしていたら、1冊の小さな本が目に入った。安西水丸さんの本だ。新刊、ではないよなとおもって手にとってみたら、昔の単行本の編集版らしい。タイトルをみた覚えがあるけれど、たぶん読んだことのない本だったから、買って帰ってのんびりした気分で(のんびりした内容だった)読んだ。 『たびたびの旅』というタイトルで、1980年代の終りごろから90年代後半にかけ、色々の雑誌やパンフレット類に掲載されたらしい、旅の文章と絵がついた内容の本だった。 酒がす
1枚のジャズアルバムから、参加しているメンバーをたどって他のアルバムをはしごして聴く、とかいうことをやっていると、ときたまとても気に入る曲なり、演奏なりに出合うことがある。そしてどういうわけだか、その音なのか、メロディなのか、リズムなのか、とにかくそれのどこだかにグッとやられてしまって、何度も何度も聴きたくなってしまう。そういうふうになることがある。 最近はあまり聴かなくなった、ロックバンドみたいなのでだって同じようなことがあったし、クラシック音楽でも、まあそれがどんなジ
いったん読みかけて途中で読むのをやめていた本があった。人から勧められたもので、島原と天草の一揆をとりあげた小説だった。 1637年の陰暦5月から、1638年の陰暦2月28日のおよそ10ヶ月間くらいのことと、その前後のちょっとしたエピソードで700頁。 前回途中でやめたのは、書き込みすぎていて疲れちゃったからだった。でもそのときよりいくらかは歴史に興味もわいているし、評価のいいレビューもあるようだし、私もちょっと大人になったから(?)今度こそとおもったのだ。 おもったけ
吉村昭氏が著した『戦艦武蔵』という本を読んだ。話を聞いて読んでみたいとおもったからだった。 「武蔵」は三菱重工業株式会社長崎造船所で建造された戦艦で、当初は「第二号艦」と呼ばれていた。第一号艦は「大和」で、第一号艦が建造されたのは広島県の呉海軍工廠であった。 「武蔵(第二号艦)」は昭和13(1938)年に起工され、無事に進水したのは昭和15(1940)年。その年の11月1日の満潮時が選ばれた。 * 平成29(2017)年に、護衛艦の進水式を見に行ったことがあった。
ここ1週間ほど、どうも奈良のことばかり書いていたので、今日はちょっとのんびりと、クリスマスっぽい記事をお届けしたいとおもいます。 活字を追うのが好物で、だから本を読むのはどうにも好きなことのひとつなんだけれど、絵本というのもなかなか好ましいものです。私はクリスマスをひかえたこの季節に思いだす本や絵本をいくつかもっていて、今日はそのなかからひとつの絵本をご紹介します。 その絵本というのは、『子うさぎましろのお話』という題で、佐々木たづさんという方の文と、三好碩也さんとい
何を探しているときだったか忘れたけれど、スタン・ゲッツの伝記を見つけて手に取った。ドナルド・L・マギンという人が書いていて、翻訳は村上春樹氏だった。 二十二の章からなる、訳者あとがきまで含めると570ページを超える大物で、かなり読みごたえがある。スタン・ゲッツという人の演奏を、ほんのいくらかは耳にしたことがあるといっても、ほとんど知らない(というかジャズのことだってほとんど知らない)。読み進めるごとに胸が締めつけられ、その音楽の持つ底力に圧倒されるおもいがしてくる本だった
好きになったらしつこい私は、本に関していうと「繰り返し読む病」を抱えている。その好きな世界にこだわりすぎて、読み終えたくなくて、でも(当たり前だけど)終りはくるからまた頭から読むというわけ。 だけどそんなことをしていたらアレルギーなんかと同じで、読みすぎてヘンな反応がでちゃったりするかもしれないから、どこかで自制することになる。 そういうわけで(?)長いこと読んでなかったこの本を手に取った。初めて読むんじゃないかというくらい興奮している。 「河童が覗いた」シリーズ
たいせつな人が笑っている姿というのにはしあわせが詰まっている。 数年前に、宮崎のみんなと他愛もないことで笑い転げていて、そのときにふっといくつかのことをおもった。あれ、わたし、以前はこんなふうによく笑い転げていたな。でもしばらくの間、笑うことを失っていた気がする。どうして笑っていなかったんだっけ。 小学生、中学生のころは学校が好きじゃなかったこともあって、そんなに笑っていた記憶はないけれど、家族の間なんかではよくテレビ番組を見ては笑っていたとおもう。高校生のころは友