
映画:メイクアガールは水溜明の物語ではない
!注意!
本記事は映画「メイクアガール」のネタバレを含む。
メイクアガールや安田現象について既知である人は冒頭の文章を飛ばして問題ない。
駄文失礼します(先手謝罪)。
先日メイクアガールという3Dアニメーションが公開された。
原作・脚本・監督は安田現象で、この方は個人でショートアニメーションを作成していて、XやYoutubeで多くの人々にアニメーションを見られている。(youtube shortの平均PV数を見るとわかるが100万PVをコンスタントに超えている。)
この安田現象がクラウドファンディングで資金を集めて、公開した初めての長編アニメーション映画が『メイクアガール』である。
舞台となるのは、現在より少しだけ先の未来。
人々の生活をサポートするロボット・ソルトを開発、製品化することに
成功した天才的な頭脳を持つ科学少年・水溜明(みずたまり・あきら)は、
新たな発明がことごとく失敗し、行き詰まりを感じていた。
そんなとき友人から
カノジョを作れば「パワーアップ」できるという話を聞いて、
文字通り人造人間のカノジョ"0号"(ぜろごう)を科学的に作り出してしまう。
プログラムされた感情と、成長していく気持ちの狭間で揺れ動く0号。
人と心を通わせることに不慣れな明との間に芽生えるのは
"恋"なのか、それとも……?
私は安田現象を追っている人間ではないため、本映画「メイクアガール」の存在を予告編を見て知った。
そのため、男の子が少女を創造して恋愛する、といった程度の前情報しか持たずに、封切り当日、レイトショーに足を運ぶことになった。
個人的な嗜好の話をすると、私はアンドロイドや人造人間とのボーイミーツガールが大好き(ちょびっツ、プラスティック・メモリーズなど)なので、期待値はかなり高かった。創造主と被造物の関係、プログラムされた感情かそうでないかという命題はアンドロイド・人造人間のラブストーリーの見どころの一つであることは間違いない。
私の嗜好の話はこの際どうでもいい。
(ネタバレ注意)以下、映画を観た私の個人的な感想です。間違った考察も多分にあると思いますが、多めに見てください。(ネタバレ注意)
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
メイクアガールは誰の物語なのか?
メイクアガールで核となる人物は3人いる。明・0号・稲葉の3人だ。
この3人のうち、メイクアガールは誰の物語なのか?
安直に答えるならば、これは明と0号の物語だが、物語を通して得たモノ・失ったモノを見るとどうも違うように思える。
3人それぞれの作中の立ち位置を振り返りたい。
明
母・稲葉の研究を引き継ぐという使命に駆られて、0号を作り出す。
しかし、稲葉との記憶の対話の中で、稲葉は研究を明ではなく0号に託したことを明かしている。明に使命はなく、ただ稲葉の息子としての役割だけがあった。エンドロールアニメーションからもわかるように、使命を失った明は、機械と「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」に興じるくらいには研究への熱を無くしているように見える。心の安寧を得た一方で使命を失っているようで、0号の中身が上書きされたことにも気づいていなさそうだ(もしくは勘づいていたとしても気にしていなさそうだ)。
物語ラストで機械に置換した左腕を「気に入っている」と発言していたが、これは稲葉の支配に抗えない被造物としての限界を暗喩しているようにも思える。(明がゴーグルを被っている時は研究者としての役割、また、ゴーグルを外しているときは息子としての役割を演じているように思われるがどうだろう)
明は、ソルトの主人であるが、終始稲葉の被造物としての枠を越えることができなかった。
0号
0号は、明の"パワーアップ"のために彼女の役割を果たすために作り出された少女だ。そして、稲葉の研究を引き継ぐための第三人類でもあった。
彼女の物語は、悲痛な恋の物語だ。
創造主・明を好きになるよう作られたが、明にその想いを否定され、遠ざけられ、明の考えが変わらないことに絶望し、"好き"を証明するために己の全身全霊を賭す。さらに最悪なことに、想いは通じず、0号が"上書き"されたことさえ誰にも気づかれることはない。
0号という名前も彼女の悲壮な運命を表しているように思えてならない。1号ですらない「試作品」で、最後はゼロとして消える。
ただ、0号は2つの偉大なことを成し遂げている。一つ目は、作り物ではない明への愛を証明したこと(明に通じているかどうかは疑問だが)、二つ目は稲葉の支配に抗い、稲葉の予想を超えたことだ。特に、後者は明にも出来なかったことで、明との大きな差異だ。
※明と0号を対比すると面白い。0号は明が出来なかったことを次々を習得(社会性・アルバイト技能・恋人としての振る舞いなど)して、最終的には稲葉の支配さえ跳ね除ける。一方で、明は物語を通して心境の変化はあるものの成長と呼ぶべきものはない。
稲葉
明の母で、明からも「化け物」と評価されている異端の天才。
稲葉は自身の命が短いことを予期しており、0号の"レシピ"を記憶として明に託した。0号は明の家族であり、稲葉自身の研究を引き継ぐ役割を持っていた。つまり、0号は稲葉のスペアだ。
稲葉は、0号に2つの役割を与えた。一方、明には息子としての役割しか与えていないように思われる。物語クライマックスで0号と明に命の危機が訪れた時も、稲葉は0号ではなく明の名前を呼んでいる。恐らく、母親として純粋に明の身を案じているのだろう。
0号が"上書き"された後、0号がまるで稲葉のような振る舞いを見せていることから稲葉の記憶を継承したものと思われる。
0号が稲葉の支配に抗ったことを除いて、おおよそ稲葉の思惑通りことが運び、稲葉の願望が実現したように見える。
物語を通して明の成長がないことを踏まえると、メイクアガールは0号と稲葉の物語であるように思われる。
更にまとまりのない雑記
・オイディプス然り、エヴァンゲリオンの綾波レイ然り、男性が彼女に"母性"を求めている、という通説をメイクアガールに対してメタ的に当て嵌めて考えると面白いと思う
・明が別れ際に稲葉に訊いた「また会えますか?」という台詞からわかるように全く親離れできていない
・とはいえ明のことは嫌いになれないし、寧ろ、好きだ(明には明なりのロジックに従って動いており軸がぶれていないから)
・ショートアニメと変わらないモーションの拘りを感じて非常に見応えがあった(エレベータから降りる時の籠の揺れとか、海中絵里さんが自動販売機でコーヒーを買って道路を横断するシーンとか)
・0号ちゃんは20年代のヤンデレ(ヤンデレという安易なレッテルに収めたくはないが)ヒロインの金字塔になると思う
・古き良き暴力ヒロイン(幸村茜さん)が居て嬉しかった
・カーチェイス中、社会にとんでもない影響を及ぼしていると思われるがその辺りは全く問題が捨象されているのは、この物語が第三人類の叙事詩で、描写する必要がないからだと思っている
・これ、バッドエンドだよな?
総括としては、万人受けしないものの安田現象さんの"これがやりたい"を突き詰めた、心に突き刺さる最高の映画だったと思う。
次回作も「好き」を突き詰めた映画を観たい。
「安田現象が描く予測不能な展開が待ち受ける超新感覚サイバーラブサスペンスが今、世界へと拡散される────!!」
超新感覚サイバーラブサスペンス←ラブしている0号の思いは届いてないんだよな。。。悲しい。。。
駄文失礼しました。