創業10年の振り返りと今後の展望について
お久しぶりのnote投稿です。
早いですね、もう2月も終わりです。
2024年に入ってからは、直接お会いした方から香りの発注を頂いたり、精油やフレグランスのオンライン販売をしたり、調香師の仲間に会って来るイベントの構想を練っていたりしてます。
ピボット(事業転換)を次々繰り返した創業期
フレグランスに目覚めたのは、ほんの2,3年前の話で。
こういう機会なのでもう少し自分の過去の事を話しておきます。
2014年の起業時は、ドイツ製の知育玩具を海外の卸から日本に輸入して、オンラインで幼稚園さんや保育所に販売する仕事から生計を立てスタートしました。
特段この仕事をやりたかったわけでもなく、本当は大学時代に農学部だった事から農業を営みたいと思ったのですが、あまりのハードルの高さに断念して、輸入販売業でスタートした感じでしたね。
当時は右も左も分からず、会社員やりながらの副業でしたね。
そして「イケる」と思って会社に辞表を叩きつけて意気揚々と退職するも、すぐ調子に乗る性格が仇となり、独立して数ヶ月後にすぐに他社に真似されてしまいボツになります。
貯金20万円程度で会社を辞めたというのも非常に脇が甘く、あと半年でGAME OVERという経済的にハードな状況になったこともありましたね。
創業して1年半はとにかく鳴かず飛ばずでしたね。
コンビニに行っては¥100でお腹を膨らます食べ物を常に探す日々でした(笑)結果、6本入りのスティックパンかポップコーンのお菓子で凌いでました。
それからあまりに資金がないので、仕入れの必要がないWeb集客業、クリエイティブ制作支援をやりながらECコンサルもチャレンジしてみたりと。
なぜこの仕事をしたかというのは、会社員時代に営業職だったので『接客』という点では、そんなに苦ではなかったからです。
それが『集客』という仕事に結びついた感じですね。
起きてる時間はずっと働き、夜が来ると不安になるからアルコール9%の酎ハイを飲んで気絶する毎日を経て。
ようやく集客支援業に芽が出て、2015年秋くらいからECコンサルティングを営む会社に客づけをしていく仕事に落ち着いた、といった感じです。
スイミー、金子みすゞさん
話は変わりますが、僕は小学校の頃の国語で習ったスイミーや、金子みすずさんの「私と小鳥と鈴と」が好きでして。
昔からの行動指針だったんじゃないかと思います。
『みんな違ってみんな良い』
『1人の力では微力だけど、みんなで力を合わせれば大きな敵に立ち向かえる勇気が出る』
この10年間を振り返ると、幼少期からのこの行動指針が他の人に役に立てたんだという事でした。
色々ともがき苦しんだ結果、幼少期から続くこの行動指針が自分を救ってくれたんだな、という稀有な経験ができたのを感謝しています。
多民族国家の日本/香水はラーメン化する??
日本は実は究極的な『多民族国家』だということをご存知でしょうか?
縄文時代から緩やかに西から来たあらゆる民族を受け入れ。
日本より東には絶海が広がっていますから、それ以上東には進めないと。
そんな地理的な理由から『”もうこの国でケンカしてても仕方ないよ、色々な価値観を受け入れて仲良くしていこうよ”がアイデンティティの島国』になったわけなんですよね。
余談ですが、先ほどの「私と小鳥と鈴と〜」が日本人にとって心地よいのは先祖がそういうアイデンティティだからかもしれませんね。
えー、、、この話がどこに着地するのかという点ですが(笑)
近年乱立するフレグランスブランドの話に紐づくということでして。
今は増加するフレグランストレンドでも徐々に新陳代謝が始まり、どこかで平衡状態になるんじゃないかなって思うわけなんですね。
そして日本では何の資格もへったくれもない『独立調香師』という立場である僕らが
ラーメンのように中華料理を独自進化させたように
『ゲルニラーデ(ゲランらしさ)』のような独自のノートを生み出したり
あるいはフゼアやシプレタイプのような調子で、
日本あるいはその地域独自の香調が作られる未来が来ると思っております。
皆が香りを自在に操れる時代を目指して
香りの力は、本来の自分達を取り戻してくれる強いパワーがあると信じています。
だからこそ香りを通して皆が自分らしく生きるためのインフラになると良いな、と祈念して10周年記事を締めくくりたいと思います。
今後とも香りの素晴らしさを皆で広げていきましょう!
引き続きよろしくお願いいたします。
9th perfume 正木
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?