親子記録▶誕生〜1ヶ月
唐突だが、親子記録なるものを書くことにした。
私はずっと、日記を書いていた。
最初は3年日記を。
その次は5年日記を。
その次もまた5年日記を書いていたのが、昨年末、最後の一日を書き終えた。
合計13年間、紙の日記に毎日毎日とりとめのない日常を書き連ねていたわけだが。
さてまた次の一冊、と思ったところで、新しい日記帳を買おうとするその手を止めた。
この日記たちはどうなるのか。
正直、読み返すことも無い。
このまま置いておくと、私がある日突然この世から居なくなった場合、夫や息子に読まれる可能性がある。
それはとてつもなく嫌だし羞恥心で沸騰してしまう。
ということで、なかなかゆっくり日記を書く時間も取れなくなってきたし、断捨離の一環として紙の日記帳を書くことを辞めた。
さらに、過去の3冊も廃棄することに決めた。
先に書いた通り、読み返すこともないので名残惜しさはそんなに無いが、ただひとつ、息子が産まれてからの1年間分については、捨てるのが惜しい気持ちもあった。
何故ならそれは、私の日記のようであって、息子の成長記録でもあったからだ。
というわけで、息子が産まれてからの1年間の分だけは読み返しつつ、ここにこうして残しておくことにする。
息子の人間としての成長と、私の母親としての心情。
悪戦苦闘する親子生活のありのままを。
さて。ここまで、前置きである。
様々な記事で書いたかもしれないが、念の為に私たち家族について簡単に説明しておく。
私(30代)
・同棲中の恋人(現夫)の転勤は決まり結婚
・そのまま夫の地元へ引越し
・直後に妊娠が発覚し専業主婦となる
夫(30代)
・定年までもれなく全国各地への転勤族
・ひとつ年下
息子(令和4年生まれ)
・第一子
出産記録に記した通り、私は里帰りで出産した。
夫も、義父母も、実父母もそれには賛成してくれたので、すんなりと決まった里帰り出産。
息子は11月28日に生まれた。
3346gのそこそこ大きな男の子。
体重もそこそこあったのと、頭の大きさが少し大きめだったこともあり、子宮口全開で頭が見えてから、生まれ落ちるまでに5時間かかった。
助産師さんの「もう頭見えてるよ〜触れてるよ〜」という言葉に安心したのに、まさかそこから5時間もかかるとは思ってなかった。
生まれてきてくれてありがとう〜かわいい〜という感動よりも何よりも先に、やっと出てきた…疲れた…手足全然力入らん…これは本当に自分の身体か…?みたいな感じになった出産。
翌日からは、なんとて傷が痛かった。
頭が見えてから出てくるまでの時間が長すぎたせいで、私の傷は随分と腫れ上がっていたらしい。
怖いから自分では見てないけど。
座るのが痛い。円座クッションがあったって痛い。
立ってると最初はまだマシだけど、徐々に痛くなってくる。じわじわと痛くなってきて耐えられなくなる。
歩くなんて一番辛い。手すりを使って何とか一歩、また一歩、ゆっくり歩くのがやっと。
だからもう、シャワーが死ぬほど億劫だった。
産んだ日とその翌日は、個室の空き待ちで大部屋だったため、決められた時間に廊下を歩いてシャワー室まで行かなければいけなかった。
それが果てしなく遠く感じたし、シャワーを浴びている間の立ちが辛いし、身体を拭くために座る椅子も痛かった。
3日目から個室に移ってからは、個室内にシャワーがあり、往復しなくて良くなったので両手を上げて喜んだ。
個室万歳。
その後、辛かったのはトイレだ。
自分で尿意を感じることも、自分で排泄することも出来ない。
感覚が麻痺しているかららしい。
定期的にトイレを試して、その度に体内に残っていないかの検査をされて。
傷口のせいで痛いし、毎回毎回恥ずかしいし、早く尿意よ戻ってこーいと、何回願ったことか。
しかしまぁ、息子は可愛かった。
小さいし、うん、とにかく小さいし。
それなのに一生懸命に生きている。
それが可愛かった。
最初は泣いてる姿も可愛かった。
でも数日すると、ベッドに置く度に泣く息子にお手上げになってしまった。
傷口が痛い、だから横になりたい、でも息子は置くと泣く、だから円座クッションを使ってなんとか座って抱っこする。
母子同室の個室で、いきなり感じた孤独感。
まだコロナ禍だったこともあり、立ち会いはもちろん、退院までの面会もNGだった。
そんな中で、救いだったのは数時間おきに様子を見に来てくれていた助産師さんの存在。
「寝ないよねぇ、でもおっぱい飲むの上手だねぇ」
「泣いちゃうよねぇ、でも抱っこ上手になったよ」
そんな言葉に勇気づけられながら、私と息子は退院した。
しかし息子は黄疸の値が高めで、退院の翌日と、その翌日も病院に行った。
なんとか正常の範囲に入ってきたため、次は1ヶ月検診ね、と。
相変わらず傷は痛いものの、手すりなく歩けるくらいにはなっていた。
無事に退院したら飛行機を予約しようと思っていたけど、座ると痛む傷と、息子の黄疸の値が不安だったので先延ばしにさせてもらった。
昼夜問わず、2〜3時間毎に起きる息子。
でもそれは産む前から覚悟していたことだったし、どうしてもキツい夜中は実母が代わりにオムツ替えやミルクなんかをしてくれたし、平日も私の分の昼食を用意していてくれたから、参ってしまうほどでは無かった。
息子と一緒に昼寝をしたり、天気が良い日は日光浴をしながら洗濯物を畳んだり。
それはそれは穏やかで、のんびりした毎日だった。
仕事から帰ってきた両親が、息子を飽きることなくあやしてくれたし抱っこしてくれたので、私は横になれる時に横になり、眠れる時に眠り、母乳のためだと空腹になる度にたくさん食べた。
多分、食べ過ぎだ。
里帰りの良いようであって良くないところ。
作らなくてもご飯が出てくる。
母乳は順調に出る量が増えて、息子も順調に飲む量が増えて。
1日2回ほどはミルクで飲んでいる量を確認しつつ。
次から次へとやってくるオムツ替えも、慣れてくると楽しかった。
私の退院に合わせて実家に来た夫も、慣れないながらに頑張ってミルクをあげたりオムツを替えたりしていた。
夜泣きにはほぼ気付かなかったけど。笑
それでも抱っこしたり、一緒に昼寝をしたり、小さな命と向き合っていた。
数日間の息子との時間を堪能した夫は一度家に帰り、出生届なんかの手続き諸々や、チャイルドシートの取り付けなど、必要なことをやってくれた。
産まれる前に、チェックシートを作って渡しておいた自分を褒めたい。
迎えた私自身の2週間検診。
一番の心配は体重の戻り。
私は産前から出産直前までのトツキトオカで、体重が16kg増えていた。
先生には「13〜14kg増量が理想だね」と言われていたので完全オーバー。
退院の時に測ったら、4.5kgしか減っておらず絶望したが、そこから減った気がしなくて体重計に乗らずにいた。
退院から10日後。
退院の時より500g減った体重。
500gしか減っていない、体重。
さすがに焦った。
先生には何も言われず、傷が綺麗に治ってきているという話だけされて。
1ヶ月検診までの残り2週間は気合いを入れようと決めたのだった。
産後1ヶ月間は外出が出来ないので、代わりにと友人や親戚が会いに来てくれた。
美味しいお菓子や、息子へのプレゼントを、たくさんもらった。
母親になった実感はまだまだ無かったけど、嬉しかった。
反射的に握り返してくる手のひら。
新生児微笑。
とてもとても小さな服。
泣き声と、そうじゃない声。
寝顔も、泣き顔も、たくさん写真に収めた新生児期間。
訪れた年末休みには、再び夫が来てくれた。
妻の実家なんて居心地が悪いだろうに、それでも息子に会いたいからと一週間も休みを取って来てくれて。
少し大きくなった息子を抱っこする姿は、まだやっぱり父親っぽくなくて、不思議。
傷の痛みもほぼ無くなった私は、息子を見てくれるという両親に甘えて、夫と2人で何度か出かけた。
お疲れ様と労ってくれる夫と、美味しい夕食を食べに出掛けたり。
息子の服を買いに行ったり。
ランチしたり、スタバでまったりしたり。
今後はグンと減るであろう夫婦の時間を楽しんだ。
今思えば、もっとたくさん動画や写真を撮っておけば良かったなぁと思うくらいに、新生児期間はあっという間だった。
息子、人間歴1ヶ月。
私、母親歴1ヶ月。
初めてづくしの1ヶ月は、ほぼ全ての時間を実家のぬくぬくとした空間で過ごして終わった。