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ふとした瞬間に脳内を巡った言葉たちの書き残し。
私と夫(になる前は恋人)とのあれこれ。
育児を経験する中で、感じたこと。
私と息子の日々。
撮った写真の記録。時々、写真に文字を添えたり文字に写真を添えたり。
先日、第二子を出産した。 2回目だしなぁと思っていたが、第一子の時と全然違った出産なったので、こちらも記憶が薄れぬうちに記しておこうと思う。 ちなみに。 第一子の出産記録はこちら。 さて。 第一子の時、予定日より2日早い出産だった私。 分娩時間も初産にしては短めの8時間半くらいだった。 なので2人目となると、色々、諸々、もっと早いんだろうなぁと思っていた。 が。実際、予定日を過ぎても陣痛が来なかった。 予定日から5日後に妊婦健診を予約して、主治医には「そこでまだ陣
2人で1つだとか、ニコイチのように、1+1=1という表現がある。 同じように、1+1=3にも4にもなる、という言い方もする。 どちらも素敵な考え方だと思うし、実際にその言葉を使ったこともあるけれど。 夫婦として、自分と夫をそれに当てはめると、やっぱり1+1=2だよな、と思うのだ。 別々の人間が、夫婦になる。 それって当たり前だけど単純じゃなくて。 価値観の違いがなんだかんだとか言うけど、いやそれは当たり前のことではないか、と思うわけで。 育ってきた環境が違うから好き嫌いは
息子がもうすぐ1歳半を迎える今、私は、息子をこれから1年間自宅保育すると決めた。 私は専業主婦である。 元々はフルタイムで働いていたが、結婚して、夫が転勤になって、着いていくタイミングで仕事を辞めた。 引越し先でまた働こうと思っていた矢先、妊娠が分かり、そのまま専業主婦として出産を迎えたのが1年半前のこと。 息子が1歳になるタイミングで、保育園の申し込みをした。 11月末が締切だったので、それに合わせて何ヶ所も見学に行き、第5希望まで書いて役所に持っていった。 専業主婦で
3ヶ月~6ヶ月のトピック ・乳児健診 ・お食い初め ・哺乳瓶拒否 ・支援センターデビュー ・夫の勤務形態変更 最初に言っておく。 3ヶ月~6ヶ月までは、私のゼロ歳児育児の中で最強に辛い3ヶ月間だった。 そのため、ここからしばらくの内容は、暗いものになるかもしれない。 それだけはご了承願いたい。 1ヶ月半に及ぶ夫の育休が終わり、ついに始まった息子との2人生活。 最初こそ順調だった。 一緒に昼寝をしたり、ベビーカーで近所を散歩してみたり。 のどかな日々が、これから始まっていく
4年間交際した恋人が、夫になったのは今から約2年2ヶ月前。 その夫が父親になったのは、1年4ヶ月前のことだ。 ただ、私が夫に対して「父親になった」と思ったのは、実際のところ、今から半年ほど前である。 私は里帰り出産だったので、息子が1ヶ月半になる頃までは実家に居た。 飛行機の距離の夫は、その間に二度会いに来た。 すでに父親ではあるが、抱っこの仕方もミルクのあげ方もオムツの替え方もぎこちなくて、俺がやる!というよりは、私がやってみる?と聞いたらやる、という感じだった。
2ヶ月~3ヶ月のトピック ・お宮参り ・湿疹&引っ掻き傷多発 ・初旅行 ・夫の育休終了 本来なら生後1ヶ月で行くであろうお宮参り。 年末年始と重なっていたことや、寒い時期だったこともあり、延ばしに延ばしてようやく行った頃には息子も2ヶ月半を超えていた。 相変わらずの寝不足もありつつ、それでも昼寝で睡眠時間を補って、夫に家事の大半を任せることで、私の身体と心は成り立っていた。 成り立っていたとは言いつつ、なんかザックリしたことしか書けないのは、慣れない土地での慣れない育児
1ヶ月〜2ヶ月のトピック ・1ヶ月検診 ・里帰り終了 ・夫の育休開始 11月末に生まれた息子の1ヶ月検診は、病院の年末年始休みが明けるのを待ち、1月の頭に行われた。 私の傷も、息子の黄疸の値も、無事に問題なかった。 ようやく外出できるようになった息子を連れて、外気浴がてら近所を散歩するだけでも、なんだか不思議な気持ちになったのを覚えている。 つい2ヶ月前まで、大きなお腹を抱えて1人で歩いていた道を、今、軽くなった体で2人で歩いている。 これから先、どこへ行こうか。 何をし
唐突だが、親子記録なるものを書くことにした。 私はずっと、日記を書いていた。 最初は3年日記を。 その次は5年日記を。 その次もまた5年日記を書いていたのが、昨年末、最後の一日を書き終えた。 合計13年間、紙の日記に毎日毎日とりとめのない日常を書き連ねていたわけだが。 さてまた次の一冊、と思ったところで、新しい日記帳を買おうとするその手を止めた。 この日記たちはどうなるのか。 正直、読み返すことも無い。 このまま置いておくと、私がある日突然この世から居なくなった場合、夫や
私はガッツリ長女気質である。 実際に長女だし、親戚いとこはとこ内でも1番年上。 いわゆる初孫ってやつで。 そんなこんなで、中学の時も高校の時も、先輩に可愛がられるというよりは、後輩に慕われる方の部類だった。 先輩に可愛がられている他の子を見て、羨ましく思うことも多々あった。 けれど自分にそんな能力もなければ、そんなタイプでは無いことも自覚していたのでスタンスは崩さなかったし、後輩が出来たら出来たで可愛がったし慕ってもらった。 そんな私が、実は密かに憧れていた先輩が居た
2022年11月28日、この世に誕生した息子。 365日の経験を経て、2023年11月28日、1歳になった。 首も座っておらず、昼夜の区別もつかない、寝るか起きるか飲むか泣くかだった小さな命は、今ではもう、自分の足で数歩前へ歩くことが出来るようになっている。 人間とは、不思議だ。 息子が1歳になったということは、私も母親になって1年経ったということ。 たくさんの友人たちに「ママ1歳おめでとう」というメッセージをもらい、そうか、そうだよなと思った。 子供の1歳の誕生日に「
中学の頃、私は友人たちに「鋼のメンタルの持ち主だ」と言われていた。 人前に立って喋るのに全然緊張しないから、というのが理由で。 それは今も余り変わらない。 転職する時の面接でも、新しい職場への初出勤でも、特に緊張することなく過ごしてきた。 だから私はいつの間にか、自分の精神はすごく強いのだと思うようになっていたのだ。 実際、多分そこそこに強い。 自分の機嫌は自分で取るをモットーに、日々をそれなりに乗り越えてきた。 二度の転職もその度の引越しも、なんとかなった。 だか
9月。結婚式を挙げた。 結婚式はやらなくても良い派で、やるにしても家族婚でいいかなぁくらいに思っていた私。 対して夫は、結婚式はやりたいし、やるなら友達も呼んでちゃんとしたい派だった。 これを言うとバレるかもしれないが、夫の地元では、結婚式といえば300人近くの人を呼んで行う盛大な行事で。 私はとにかくそれが嫌だった。 夫の家族や親戚に悪いから、嫌だとは最後まで口にしなかったけど。笑 両家の間を取って、という理由を付け。 場所は夫の地元で挙げ、人数は私の地元の感覚に合わ
断乳した。 それは、息子が生後7ヶ月と16日目のことだった。 ことだった、なんて言うと随分と昔のことのようだが、息子は明日、生後8ヶ月を迎えるところなので、断乳したのはつい先日のこと。 つい先日、なのになんだか随分と経ったような気もして。 ああ、これはもしかして小さな喪失感なのでは?と思ったので、記録しておこうと思った次第。 元々、息子は完全母乳だった。 出産直後の入院期間中から、有難いことに私の母乳はとても良く出た。 左右5分ずつ吸わせたら、当たり前のように息子の体重は
私の夫は転勤族だ。 北は北海道から南は沖縄まで。 定年退職まで、1〜5年毎に転勤がある。 それは出会った時からそうで、私は夫が転勤族だということを分かった上で付き合い、結婚した。 元々旅行好きで、全国各地を旅行していた私にとっては、全国転勤で色んな場所に住めるなんて魅力的!くらいの感覚だった。 私と夫は、東京で出会った。 東京という場所は、私にとっても夫にとっても地元では無かった。 そんな東京で出会い、交際し、同棲までしていたところ、夫に転勤の辞令が出たため、私たちは入
もしかして、もしかすると、二度とない経験になるかもしれないので、ここに記しておくことにする。 妊娠中の、私について。 そもそも、私は自分が妊娠なんてものを経験するとは思っていなかった。 というのも、20歳の年に受けた婦人科検診で「あなたは妊娠は難しい身体です」という診断をされていたからだ。 別に、何か心配ごとがあって受診したわけではなかった。 ただ、当時勤めていた会社の福利厚生の一環として、女性社員は希望があれば婦人科検診を受診できる、と。 それだけ。 まぁ20歳にな
忘れないうちに、備忘録として残しておく。 私の出産記録。 11月26日、午前4時頃。 下腹部の痛みで目が覚めた。 1週間ほど前から、朝は前駆陣痛で目覚めることが多かったので、その日もそうだと思って、痛みをやり過ごして二度寝した。 午前5時、再び痛みで目覚め、午前6時にもまた目が覚めた。 こんなに朝から連続なのも珍しいなと、その日はもう二度寝を辞めて起床。 そこからも、お昼頃まで、だいたい1時間おきに痛みを感じるようになった。 お昼を過ぎた頃には、痛みの間隔が30分毎