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元教員がベンチャーのコンサル会社に転職したら?

こんにちは。夏川真里奈です。
元公立学校の美術教員で、今は短期大学で非常勤講師をしながら、株式会社MIMIGURIで、ファシリテーター/アートエデュケーターをやっています。

この記事はMIMIGURIのアドベントカレンダー企画です。
アドベントカレンダーというのは、ざっくりいうと
クリスマスまでMIMIGURIメンバーがお題を元に記事を書いてくよ!というもの。
私は7日目担当!前回はMIMIGURIのライター水波による「変化する組織と編集者はどう向き合うか?」でした!

好きなテーマを選びます。

私は今年MIMIGURIで働いて3年目。
教員からコンサル会社へ転職して働く中での「葛藤」について書きたいと思います。


教員になるために勉強してきたけど、今コンサル会社にいるじゃん!

私は大学、大学院と教育学の研究してきました。専門は芸術教育です。
教育実習だって何度も行ったし、小学校、中学校、高校の教員免許を取得して、なんなら教職大学院まで行って、採用試験に合格し、公立学校の美術教員になりました。

美術教員になれた時は本当に嬉しかったし、このまま私は教員人生を送るんだろうな…!なんて思っていました。

教員になりたかったわけ

元々私は幼い頃から創造性を育むことを目的とした造形教室に通っていて、美術教育自体が大好きで、強い関心がありました。
でもそれだけだったら、サードプレイス事業の方に関心が高まって、多分教員は目指していません。

私が教員を志した大きなきっかけは、大事な人が不登校になったことでした。
誰よりも優秀だと思っていた、大切な人が、中学生の頃学校に行けなくなり、以後「学校に行けない」ということに苦しみ続けました。
当時私は小学6年生でした。

学校という存在があることによって、苦しむ人を間近で見続けて、
それなら私は、あの子が行きたいを思えるような学校を作ってみせる!

そんな思いで、自分が幼い頃から学んできた創造性教育の知見を携えて、教育の世界に足を踏み入れました。


教員になれたのはいいけれど…

私がまだまだ未熟だったこともあり、とてつもなく大変な日々が目まぐるしく過ぎていきました。
それでも、授業や子どもたちとの関わりがとても楽しかったです。

でも、どうしても長く働くには学校という環境の合わなさを感じていました。

そもそも私の専門は芸術を通した創造性教育。
創造性教育はみんながやっていないこと、見ていないものを見ることが非常に大事です。
幼い頃の私に創造性教育を教えてくれた先生は、しきりにこんなことを言っていました。

「いいか真里奈。みんなが前を向いていたら、お前は後ろを向くんだぞ。
みんなが見ていないもの、気づいていないところに創造の芽があるんだ。
それを見つけられる人になれ」

そんな想いを大事に受け取りながら大人になった私も、学校という組織の中に入ってしまえば、朝礼の時間には

「はい!それでは皆さん整列してください」

なんて言わなければいけません。
そりゃ合ってないわけです。

MIMIGURIに転職して変わった働き方

MIMIGURIで働くようになって、教員時代と働き方が変わったなぁと思うのは以下のような点です。

・学校外とのメールに副校長の許可がいらない。
・副業ができる。
・フルリモートワークで、好きな場所で好きな時に働ける。
・時間にゆとりがある。

・学校外とのメールに副校長の許可がいらない。
教員になった時に一番驚いたのは、学校外の方と連絡をとるのに副校長の許可が必要なことでした。
当時私は学校外の研究者の方と連携して、教材研究を深めたかったのですが、中々それをうまく進めることができず、もどかしかったです。
当然ですがMIMIGURIで働く中で、MIMIGURI外の方と連絡を撮るのに許可は要りません。

・副業ができる。
公立学校に勤務している教員は、原則副業は認められていません。
要領の良い方であれば、校長・副校長の許可を円滑に取りながら、充実した仕事を作っていけるのかもしれませんが、
やりたいことをやっていくのに1つ1つ許可を取らないといけないことは、大事で必要なことだと頭では分かっていても、心理的にしんどかったです。

MIMIGURIは副業可能なので、私も非常勤の大学講師として働きながらMIMIGURIで働くのを認めてもらえていますし、その経験はMIMIGURIの仕事にも生きていると思います。
人生100年時代といわれる現在、多様な働き方に軽やかにチャレンジできることがありがたいです。

・フルリモートワークで、好きな場所で好きな時に働ける。
これが一番変化した働き方かもしれません。
教員時代は決められた時間に学校に行かなければならず、決まっている時間に授業をして、○時までにご飯を食べて、○時だから部活に行って…と常に自分の意思よりも時計の針を優先したような生活を送っていたように思います。
MIMIGURIはフルリモートワークであることに加え、11時〜16時のコアタイム制を導入しています。自分が好きな場所へ行き、自分のやりたい仕事を、好きな時間に始められる良さがあると思います。

このような働き方を続けて、どこか忙しなく「働かされている」ような状態から、働く主体のようなものを取り戻せたように思います。

・時間にゆとりがある。
もちろん目がまわるくらい忙しい時もありますが、実践と研究をしっかりと往還させながら働けてると思います。
MIMIGURIで自分の探究してきたことを、学会で発表できたり、それを実践で活かすことができたりした時はとても嬉しいです。

学会でのポスター発表の様子

教員時代ももちろん教材研究などはしていましたが、論文や研究の形に昇華させるほど時間はとり辛かったと思います。何より自分1人の力では研究が深めきれなかったことでしょう。

MIMIGURIは文科省認定の研究機関でもあるので、多くの研究のプロフェッショナルたちにアドバイスをもらうことができます。
特に私は実践も研究もどちらもやっていきたいタイプなので、頼りになる人と没頭できる環境があるのは心からありがたいです。

ご職業はなんですか?と問われた時の違和感

MIMIGURIに入社して非常に恵まれた働き方ができていると感じる一方で、どこか拭えない違和感のようなものがありました。

例えば、美容室で「ご職業は何されてるんですか〜?」と聞かれた時…

「えっと…。コ、コンサルです……(?)」

私が主に行なっているのは、社員一人一人が創造性を発揮できる企業組織コンサル、芸術教育を生かしたワークショッププランニングなども行なっています。

しかし、自分の核には長年探究してきた「教育」というものがある気がして、コンサルとして名乗るのに若干の違和感が付きまといながら仕事をしていました。

学校教育と企業コンサルを通じて見えてきた景色

そんな違和感を感じながら仕事をして数年…
学校現場でよく聞く悩みと、企業コンサルで相談される悩みにどことなく共通点が見えてきました。

企業コンサルをする過程でよく聞くのは、
「社員が主体的に働くためには、どうすればいいと思いますか?」
という悩みです。
いわゆるエンゲージメントを高めたいという文脈で相談されることが多いです。

それは特に何万規模の社員を抱える大企業の場合は、一人一人が変わりたいと思っていても、母体が大きすぎる分、強固な慣習もあり、日々の業務に追われながら、自分たちで変えていくのは非常に困難な場合があります。

だからこそ、私たちのような外部の機関と連携して、
組織のビジョンを循環させながら、社員が主体を取り戻していくワークショップや、場づくり、時には評価制度、会議体の設計、新規事業開発まで共に考えていきます。

「変わりたいと誰もが思っていても、どう変わっていけばいいのかわからない。母体が大きすぎる分、強固な慣習もあり、日々の業務に追われていく中で自分たちで変えていくのは中々難しい」

これって、学校現場にも十分言えることだよな…。
と、日常業務に精一杯だった教員時代を思い出しました。

学校現場も、文部科学省の「主体的対話的で深い学び」のスローガンのもと、正確な知識を教え込む、管理主義的な一斉指導から、生徒一人一人の主体を尊重した共創的な学びへの転換が急務となっています。

現場の先生方の関心も、
「いかに生徒の主体的な学びの場を作っていくか?」
に注目が集まっているかと思います。

それはインターネットの普及によって、いつでもどこでも誰でも気軽に大量の情報にアクセスできるようになった現在、
学校という限定的な箱に毎日通い、限られた教師に拘束されながら授業を受け続けるという形態が、もはや社会とのギャップが開きすぎて、限界がきているともいえるでしょう。

そして先生方もそのことは十分承知で、別に生徒を苦しめようと思って毎日学校にきて授業をしているのではなく、日々生徒の幸せを祈りながら自分にできることを、多忙を極めながら精一杯頑張っています。

学校も企業も、人々が主体を持って生き生きと学びを深めたり、仕事をすることを求めているが、その実現にはどうしても難しい現状がありました。


学校教育から、生涯教育・社会教育の目線へ

今まで私は、大学・大学院と教育の研究をしていましたが、それはあくまで学校教育の文脈と繋がっていて、
私の世界は目の前の学級や、学年、学校、地域、保護者、教育委員会、文部科学省までしかありませんでした。

MIMIGURIに入り、企業で働く社会人が一人ひとりが創造的に働けるようにと奮闘する中で、”学校教育”という箱の中で見えていた景色が、”社会人教育・生涯教育”にまで広がっていきました。
それはとてつもなく広く、大きな可能性に満ち溢れていました。
私が今まで全く触れてこなかった新しい知識や考えがたくさんありました。

「あぁなるほど、私は学校教育という世界から、企業コンサルを通じて、生涯教育・社会教育という世界に足を踏み入れたのか。」

学校教育の目的の1つに、社会で子どもたちが生きていくために必要な力を育むことが挙げられます。
私も教員時代はそれらを意識して授業を作ってきましたが、いざ社会に出てみると、社会だって完璧ではありません。

学校を卒業して社会に入っていく子ども達、そこで出会う企業形態自体が、人の主体を抑圧し、労働力でしか見てもらえない世界であった場合、
いくら学校で子供の「主体的対話的で深い学び」を重視したとしても活かせない場合もあります。

またその逆も然りで、主体的にどんどん働き方を作っていける職場なのにも関わらず、学校教育を通して「言われたことを学ぶ」ことに特化しすぎてしまった場合は、どうしても”主体的に働く”というスタンスや、意味がわからない場合もあるでしょう。


学校教育と企業コンサルの共通点

MIMIGURIでは企業の組織開発を進めていく際の思想として、企業での働き方は「会社中心のキャリア観」から、「人生を中心としたキャリア観」に変化し、組織も変わる必要があることを伝えています。

そのために、計画に基づいて効率的な目標達成を管理する「管理型組織」から、不確実な社会への価値を生み出すために共創する「創発型組織」へ変化することをMIMIGURIはサポートしています。

この変化を総称して、「軍事的世界観」から「冒険的世界観」への転換として捉えています。

※MIMIGURI co-CEO安齋によるスライド

「軍事的世界観から冒険的世界観へ」
この言葉はMIMIGURIで企業コンサルの文脈で扱うことが多いですが、私はこの考えを、学校教育についても同様に言えると考えます。

不確実な未来に向けて「主体的対話的で深い学び」のスローガンのもと、管理主義的な一斉授業から、共創的で対話的授業へと変換していく過程はまさに、冒険的世界観の実現に向けて奮闘していると言えます。

そして同時に、スローガンはあったとしてもその実現に学校の組織制度や形態が追いついていないのも、企業コンサルと非常に似ているところです。

学校教育も始まりは軍事的世界観の影響を強く受けているため、学校建築、学校制度、組織形態までもが非常に軍事的に最適化されている学校が多いと感じます。

1人の教師が素早く一斉に情報を伝えることができる教室形態、
校長と副校長が常に職員の働き方を見つめられる職員室、
授業ごとに拘束される時間や、生徒の評価システム、期末テスト、偏差値…

これらは、「主体的対話的深い学び」生み出すための場所としては非常に相性が悪いと言わざるおえません。

School Creative Cultivation Model(SCCM)

MIMIGURIでは冒険的世界観を実現する経営モデルとして、「Creative Cultivation Model(CCM)」を掲げています。

これを軸に私たちは企業の組織開発をしているのですが、「ブランド」「事業ケイパビリティ」「事業デザイン」と企業コンサルする上での専門用語が目立ち、流石にこれをそのまま学校組織には転用できません。

しかし、私はこの「Creative Cultivation Model(CCM)」は公教育が軍事的世界観から、冒険的世界観へ移行し、対話的主体的で深い学びを自然に実現できる学校制度、組織を作っていくためのヒントになると考えています。

現在、「主体的対話的で深い学び」というスローガンはあったとしても、軍事的世界観の名残がまだまだ残る現場の学校建築、組織形態、学校運営の中で実施する「主体的な教育」は多くの矛盾に苛まれ、実践が難しい点も多々あるかと思います。

いずれは、MIMIGURIで働きながら学んだこと、そして自分が学んできた教育的知見を元に、学校教育が自然に、冒険的世界観を実現できる、学校経営モデル「School Creative Cultivation Model(SCCM)」を作ってみたいものです。
スローガンと矛盾のない、学校建築や組織体制、評価制度は今の公教育に必要なものだと考えます。


最後に、MIMIGURIでたった1人の元教員として

MIMIGURIで元教員のバックグラウンドを持つのは私1人です。

大学生の頃は、「ずっと図画工作の先生をしていたい」なんて思っていたけれど、今は学校現場を離れ、社会という大きすぎるものと向き合いながら日々試行錯誤しています。人生どうなるか本当にわからないものです。

でもふと、毎日絵の具にまみれながら、子供達に何ができるのか考え、無我夢中で過ごしていた日々を思うと、なんで今私の目の前には子供達がいないんだろう…。と寂しく思う時もあります。

しかし、そんな思いを打ち明けると、MIMIGURI内で子ども向けのワークショップ活動ができたりなど、かなり寛容な会社だと思います。

私はこの会社で働きながら、やはり「教育」にはこだわり続けたいと思います。それは私の個性でもあるし、武器でもあるし、何よりやりたいことだから。

そんな思いを会社に受け止めてもらい、応援してもらっているので、
私は芸術教育者として、”アートエデュケーター”という肩書きで株式会社MIMIGURIで働いています。

そして、今私の周りには、教員をやっていたらきっと出会っていなかったであろう、
デザイナーやコンサルタント、リサーチャー、プロジェクトマネージャー、編集者、マーケター、サービスデザイナー、コピーライター、エクスペリエンスデザイナーなど
幅広い専門性を持つ心から尊敬する皆さんと共に、刺激を受けながら働いています。

その人達と一緒に働くのが楽しいから、私は今日も転職して良かったな〜と思えるのだと思います。




参考資料

次はMIMIGURIの読書家代表、湯川くんですね!
お楽しみに!

いかがでしたか? 最後まで読んでいただきありがとうございます。 またいつでも遊びに来てくださいね。