映画『オオカミの家』の感想文

美しい山々に囲まれたチリ南部のドイツ人集落。“助け合って幸せに”をモットーとするその集落に、動物が大好きなマリアという美しい娘が暮らしていた。ある日、ブタを逃がしてしまったマリアは、きびしい罰に耐えられず集落から脱走してしまう。逃げ込んだ一軒家で出会った2匹の子ブタに「ペドロ」「アナ」と名付け、世話をすることにしたマリア。だが、安心したのも束の間、森の奥から彼女を探すオオカミの声が聞こえはじめる。 怯えるマリアに呼応するように、子ブタは恐ろしい姿に形を変え、家は悪夢のような禍々しい世界と化していく……。

HPのstoryより出典

悪夢を映像化した稀有な作品

「ミッドサマー」のアリアスター監督が絶賛したアニメーション。
第68回ベルリン国際映画祭 カリガリ映画賞
第42回アヌシー国際アニメーション映画祭 審査員賞

この映画は1シーン1カットのストップモーションアニメ。これだけでも特異な作品なのだけど、実際の家の壁に絵を描いて、部屋の家具を使いながら実寸大の人形を動かして物語が進行していく。

アニメーションっていわば作り物なのだけれど、実写の部屋の中でアニメーションが展開することで現実と夢の堺に展開する「悪夢感」が際立っている。
壁面に描かれる絵や人形のビジュアルも手ざわり感のある生生しさが異様さを出していた。

トレーラーで気になってたら、川崎のチネチッタで公開されたのでこういう作品を大きいスクリーンで見れる機会はなかなかないなぁということで劇場へ

1人称視点からの違う視点

作中、冒頭、森でオオカミに追われた少女マリアが助けを求めて、家をたずねるところまで彼女の1人称視点で進む。
基本、このあとも1シーン1カットの作品なの視点はかわらないのだけど、壁にマリア自身が描かれて動きだしたり、部屋の中の人形になったりと、今、誰の目線でみてるのだろうと不思議な気持ちになる瞬間が何度もあった。

マリアの鼻歌が隣の部屋から聞こえながらカメラが移動していくと違う部屋にもマリアがいるなど
通常の実写やコマドリアニメではできないトリップ感、、

隠喩の散りばめられたストーリー展開

これだけのビジュアルだと、お話の展開もけっこうとっつきにくいだろうと身構えていたんだけど、わりとすんなり入ってきて見やすかった(よかった、、)
この作品、元ナチス党員がチリに設立した実在の共同体「コロニア・ディグニダ」を題材としていて、その施設が「教育用」に作ったという設定。

なので、伝えたいテーマが明確。(見てる側からしたら、これを本当に公式で出してる集団ってめちゃめちゃやばいじゃんの方が強く感じるので反面教師的な捉え方になる)

後は、寓話になぞらえているのもあるけど、マリアの一人語りで、ほぼ必要な情報もだしてくれるので
また、隠喩になってるであろうモチーフやセリフは何度も繰り返しでてくるので「え?いまってどうなってるんだ、、」みたいなことはなかった。

中盤から「あ、絶対これ現実じゃないな」って出来事がわかりやすくでてくるので、話の中での整合性を求めるのでなく、散りばめられた隠喩の意味を探す方向に切り替わる瞬間がある

そもそもこの家の存在自体がマリアの夢の中のできごとでもお話的にはいいくらいなので。
少女マリアが何に怯え、何を求めていたのか?この少女の気持ちを散りばめられたセリフ、モチーフの中から想像することがお話の楽しみ方。

こんな映像をみれることが後にも先にもないだろうし、お話もそこまで難しくないのでトレーラー見て気になった人は是非劇場へ!


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