私は、自慢ではないが、これまでの人生で数多くの引っ越しを重ねてきた。 と言うのも、持ち家で暮らした経験が一度もないからだ。 生まれてから今に至るまで、一つの場所に定住するということがなかった。 とはいえ、賃貸暮らしの中で、収入に応じた柔軟な生活をしてきたおかげで、なんとか今日までやってこれたのだろう。 だが、今日は私自身の話ではない。 長い付き合いのある友人の引っ越しを手伝った時のことを少し思い出してみたい。 もちろん、記憶の片隅に眠っていたものを無理やり引っ張り
前回軽い気持ちで「走りに行かないか」とブログのタイトルに書いたせいで、まさかの反応を受け取ることになった。 正真正銘の陸上競技経験者からのリアクションに、穴があるなら入りたい気分である。 こんな駆け出しのヒヨッコが本格的なアスリートの貴重な時間を奪ってしまったのだから。 自分はまだ歩き始めたばかりなのに、コソ練しているところを見透かされたようで、どこか背中がむずがゆい。 振り返れば、運動から完全に無縁だったわけではない。 幼い頃、『YAIBA』に感化されて竹刀をクリスマス
友人と会うとき、あなたはどんな言葉で誘い、どんな話をするのだろうか。 地元の友人、職場の同僚、共通の趣味を持つ仲間たち――彼らとのやり取りは、まるで異なる人生の交差点でのダンスのようだ。 微妙なタイミングを合わせ、互いの心のリズムを探り合う。 若き日の私には、その瞬間が日常に溢れていた。 だが、その当時、それをどれほど大切に思っていたかと問われれば、胸を張る自信はない。 今、歳を重ねるごとに、その時間がいかに貴重で、かけがえのないものだったかを痛感するようになった。 今の
自分の人生のほとんどをこの言葉に苦しめられてきた。 その言葉が「借金」である。 賭け事で負った借金や詐欺に遭ってしまった人々の話は、実に多様だ。 数え上げれば、借金の理由はいくらでもある。けれども、借金を完済した今、ひとつだけはっきりと言えることがある。 それは、辛い環境から抜け出すための最初の一歩は、他ならぬ自分自身が踏み出さなければならないということだ。今いるその場所から抜け出すための情報は、確かに有識者から得ることができる。 しかし、その情報をどう活かすかは自分の
合法か違法か、そんなことは最初から関係なかった。 この世界には、不健康そのものを美徳として崇める人種がいる。 彼らは好んで体に悪いものを選び、その中に一種の美学を見いだす。 それは、彼らの生き方において、自らが「社会のレール」を外れた証として、真面目に生きる人々への反抗となる。 まるでロックンロールのリフが鳴り響くように、彼らは自分たちのライフスタイルを「自由」として賛美する。時にはパンクスピリット、ハードコア、あるいはヒップホップといった文化の一部として。 その姿は、一