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自分を実験台として掴んだ、キャリアを資産にするための考え方

今日は、「資産になるキャリア」について。はたしてどんなキャリアも資産になるのか、というお話です。

資産になるキャリアとは?

僕の人生を振り返り、資産になったキャリアは、ズバリ言うと「圧倒的時間的エクスピリエンス」でした。ひらたくすると、人の3倍~5倍働いた積み重ね。これが資産になっていると感じています。

「それキャリアでもなんでもないじゃん!」と思われるかも知れません。はい。不思議なもので還暦をもうすぐ迎える59年間プラス何ヶ月を生きてくると、自分の人生の中に積んできたキャリアがすべて1つに集約してくる感覚があります。様々な職業を転々としました。けれど、今やっていること、これからやろうとしていることにも、僕を助けてくれていると感じています。

でも、積み重ねていたなかでも、キャリアを助けてくれているものと助けてくれていないものがありますね。そこが大切です。その違いは何かというと、圧倒的に時間を使ってやったか、それとも普通に働いたかということ。この違いです。
 

キャリアはなんでも良い。大事なことは

キャリアに関してはなんでも良いと思います。そのキャリアは無駄になりません。まったく違うことやっているなと思っても、必ず自分を助けてくれます。それが人に対してちゃんと提案できるレベルになっていることが重要です。

比叡山延暦寺に仲良くしていただいている座主、僧侶の偉い方がいらっしゃいます。その方が千日回峰行と言って、比叡山の山中を1000日かけて歩くという本当に過酷な修行を2回達成されました。「1000日」が修行期間です。この3年弱ぐらいの期間が他のジャンルでも1つの目安になるんだろうと僕は考えています。

ここで僕のキャリアを振り返ってみると、大学時代には芝居にのめりこんでいましたが、最初に就職したのは、コピーライターの事務所で、今で言う超ブラックでした。24時間365日勤務です。寝ることは許されていましたけど、休日はほぼ許されませんでした。そこでめちゃくちゃ働きました。

同年代の若者に比べて、3倍、4倍働きました。僕が働いているのは24時間ですからね。そうして極限まで働いてみると、1つ道が見えてくるなというのは本当に感じました。

コピーライターの事務所に行きましたが、そもそもデザイナーになりたかったんですよ。その後、グラフィックのデザインをずっとやって、また自分で会社をおこして、バブルが弾けて、僕は1回そこで会社を潰しました。

そのあとは、名古屋に戻って親の宝石屋に入り、コピーライティングもグラフィックデザインの世界からも離れました。大好きだった芝居もですね。当時は、大学からのキャリアが全然役にたっていないと感じましたよね。

いつか必ず役に立つキャリア

そして現在ですが、ありがたいことに、僕のvoicyを聞いていて聞きやすいという方がいらっしゃるとしたら、それは僕が大学時代芝居で身につけた技術です。発声や滑舌、しゃべり方を身につけました。

コピーライターにおいては、仕事でマーケティングをやっている上で、文章を書くことがとても僕を助けてくれています。ここまで本を6冊出させてもらって、その本を読んで面白いなと思っていただく方がいらっしゃるとすると、その文章の書き方はコピーライターの時代に僕が身につけたものです。

デザイナーはもう言うに及ばずですよね。そのときはグッズのデザインとグラフィクのデザインをやっていましたが、MonkeyFlipをつくり、メガネのデザインという新たな形で僕を助けてくれています。

父親がやっていた宝石店に入り、宝石の販売をしていたその「販売員」の経験は、僕の役に立っていないかというと、全然そんなことはなくて。そこで「どうやってセールスをすればいいんだろうか?」という壁にあたって悩んだことが、今こうして、記事としてお伝えしたり、僕がプログラムとしてお伝えしていることに直結しています。

なので、みなさんにお伝えしたいのは、今やっていることをとにかく時間をめちゃくちゃ使って、人の2倍3倍やり切るっていうのがいい。これ絶対オススメします。すると、それが今すぐにはどう活きてくるのかわからなくても、その身についたことは、将来必ず自分を助けてくれます。身につかなかったことは全然助けてくれません。途中でやめちゃったこととかね。だから本当に、ズブズブとのめりこんでみてください。頑張ってください。



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