夜になると出てくる「元気」の正体。
深夜23時。毎晩このくらいの時間になると少しずつ元気が出て来る。あしたはどうしようか。なにをしようか。そんなことを考えながら、ノートに「あした」のことを書き込んでいく。
しかし眠りにつき、翌朝に目が覚めると、ゆうべの元気はどこへやら、一転して「無気力」な状態になっている。
時には、そこに「憂うつ」のおまけが付いていることさえある。
それでは、夜の時間帯に何かすればいいのではないか? そう考え、こころみるのだけど、それはそれで上手くいかない。
夜の遅い時間帯になると少しずつ出てくる元気。その正体は「元気」に見せかけた「不安感」や「焦燥感」なのだ。
布団のなかへもぐり、ふう、と一息つくと、その日の出来事が思い出される。朝は寒くてなかなか布団から出られなかったなあ。暖房を入れて、あたたかくなるのを待ち、ようやく起き上がることができたっけ。
それから少しぼおっとして、気付いたら正午ごろ。急いでご飯をつくって食べたら、何だかぐったりしてしまって、そうだ、また横になったんだ。
ゲームをしながらタブレットで動画を見ていたら、だんだん眠くなってきて、そのまま眠っちゃったんだよなあ。ふと目が覚めると、ちょうどチャイムが鳴っていたから、きっと夕方の5時ごろだ。
こんな具合にその日の記憶が思い出され、何もしていないということに気付かされる。
背中につめたい空気を感じ、焦りと不安がこみ上げてくる。
それが夜の「元気」の正体だ。
はりぼての元気をエネルギーにして、たとえば「記事を書く」などの作業をしはじめると、しだいに眉間にしわが寄り、大きく息をつくようになる。それから舌を鳴らし、あげくの果てにパソコンを閉じてしまうのだ。
焦りと不安でフル回転する気分に、脳の処理が追いつかず、するするとから回りをしてしまうのかもしれない。
頭で「何が言いたいか」をまとめるより先に、体が、指先が「書くこと」を求めて動いてしまう。
焦りや不安でない、べつのエネルギーが使われている場合には、体が勝手に動いてしまうことがプラスに働くこともある。
たとえば「幸福感」や「高揚感」をエネルギーにしている場合だ。幸福感や高揚感が先行しているときは、頭のほうも「付いてくる」ような感覚がある。
しかし「焦燥感」や「不安感」が先行しているとき、脳は付いてこない。
焦りや不安が先行して「何かしなくちゃ!」という状態になってしまっているときは、落ち着いて、自分の胸のなかにあるものをひとつずつ数えるようにして言葉を「探る」こと。
いまのぼくのように。
◆
少し落ち着いてきました。
慎重に胸のなかにあるものを探りながら書いていたら、こんな文量になっていました。
けっこう書いたなあ。
もう日付が変わってしまっていますね。23時ちょっと前に書きはじめたので、かれこれ1時間ほど書いていることになります。
はあ、夜中に何をやっているのだ。
Twitter:黒井@ガチひきこもりブロガー
ブログ:たのぶろ
プレゼント:黒井の欲しいものリスト