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何もしたくない日の過ごし方。

今日という日は途方もなく長い。体感的にはもう一週間ほど過ごしているんじゃないかってくらいに長い。それにはワケがある。倦怠感だ。とても太刀打ちすることのできないだるさが、頭のてっぺんから足のつま先まで、ねっとりとぼくにまとわりついているんだよ。

今日はそのほとんどを布団のなかで過ごしている。布団を何とか這い出ることができたのは、便意を催したときだけ。だから朝食も、昼食もとっていないし、仕事はおろか、メインPCの電源を入れてすらいない。

この文章も、布団のなかで、小さなノートパソコンを使って書いている。

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ぼくにはうつ病の気があるから……と安易に病気のせいにはしたくないけど、事実として満足に動けないことが多いので、そういうときは「読書」をしようと決めている。

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今日も朝から布団のなかで読書をしようと「もがいて」いた。しかし本を読むということは、テレビや映画を見るのとは違い、ある一定の集中力がなければいけない。そうでなければ、ぼーっとしたり、他の何かが気になったり、眠くなってきたりする。

本を読める状態か、本さえ読めない状態か、というのは、ぼくにとって自分の精神状態を推し量るためのひとつのバロメータになっている。体がだるくて何もする気になれないときでも、本が読める状態ならその日のうちの回復だって見込めるんだよ。他に何もできなくても読書ができる、という感覚も大事だ。

自分には何も出来ない、何もしたくない、というメンタリティでいることは、さらなるネガティブ思考を招くことにつながる。それに、自分には何も出来ないという心持ちでいることそのものが、体にも、こころにも、不快感を与える。

誰だって「何もしたくない」という気分になることもあるだろう。そういう気分になってしまったとき、その状態からいち早く回復するためには、まず「何かひとつ出来ることを見つける」ことが大切だ。それもゲームをすることやアニメを見ることなどの、ともすれば罪悪感を抱きかねないことではなく「一般的に良い行いとされること」を見つけること。

そのもっとも分かりやすい指標として、だるいとき、何もしたくないときは「読書」をすることにしているんだ。体が動くなら「掃除」をするのもいいかもしれないね。


読書や掃除など、簡単にでき、それでいて「一般的に良いこと」とされている行動をとることで「自分は何も出来ないんだ」という自己否定感が弱まる。

しかし問題は「読書や掃除さえ出来そうにないとき」なんだよ。

それはまさしく今日のぼくだ。幾度となく読書をしようと「試みる」んだけど、なかなかどうして、十分もしないうちに集中力がふっ……と立ち消え、いつの間にかぼーっとしているんだ。

そういうときはとにかく休まなければならない。とにかくだらだらと過ごさなければならない。それが「何もできないほどの倦怠感がある人の仕事」なんだよ。

たとえそれが病気のせいであっても、こころの不調によるものであっても、単なる甘えであっても、頭も体も動かないんだから仕方がない。そういう日もあるさ。なるべく余計なことは考えないようにしながら、ごろごろ、だらだらと過ごすしかない。


人間という生き物はよくできている。上手にだらだらすることができると、自分でもよく分からないところで、少しずつ、元気が出て来るようになっているんだ。元気というと語弊があるかもしれない。

それは元気というほどポジティブで前向きなものではない。そろそろ何か活動してみるかね、という「飽きる」ことに近い感覚だ。

その感覚に気づいたら、また読書や掃除を試みるといい。また上手くできないかもしれないが、そのときはもう少しだらだらすればいいんだよ。そんなことは誰にだってあるんだからさ。

問題は「だらだら」を絶対悪だと決めつけてしまうことだよ。

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著者。

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