本当の豊かさについて。
お金持ちではないながら、日々時間のゆとりはたっぷりとある「ゆとり持ち」として、日々なにができるのだろう?
それは世界を少しでも良い方向へと貢献するための本当の「働き」を、自分の下す判断に責任を負いながらも行うことだと思う。
生活を成り立たせる「稼ぎ」は相変わらず生み出せていないが、自分が判断する世界を良くするための行動を、日々誠実にしていれば、生活そのものに困窮してしまうことはないのだと思う。
生活そのものが成り立たなくなってしまったとき、そのひとの「在り方」は世界を本当に良くするためにはならない、ということを現実が教えてくれるはずだから。
そういう事態にいつでもなりえるのだという覚悟のもと、自分の信じる本当の「仕事」をコツコツと日々継続していくことが大切だと感じる。
「流行り」は、いつかは世間の記憶からいつのまにか消え去っていく泡のように過ぎ去るもの。
一見地味で、だれにも気づかれないような丁寧な積み重ねの奥に、普遍的で永続性のある本物の価値が宿ると信じている。
だからこそ、その普遍性を日々自分のなかに培っていくことが、生死を越えても残っていく、本当の霊的財産となるのではないだろうか。