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自分に向き合う物語

 私のブログをお読みいただいている方、必読の本を見つけた!!!かなり興奮してしまっているのは、この作品は、正にカウンセリングの逐語録みたいだから。カウンセリングで何が行われているのか、なかなか客観視できない部分もあると思うから、カウンセリングを受けたことがある方は、いろんなことが繋がってくるはず。

はい!その作品は、「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた 自分と向き合う物語」紀里谷和明著

必読です。このまま映画やドラマにしてもいい感じ。
この作品では、
*お金が欲しい
*有名になりたい
*やりたいことが見つからない
*才能がない
*好きなことをライフワークにできたけど・・・・

が取り上げられ、深められ、自分と向き合うことの実際が繰り広げられます。
冒頭に
「この物語は実話を元に創作したものであり、
全てが実践によって検証済みである。」

とある。
 この本は、創作物としても氣づきがある作品だが、自分に向き合う実践者にとっては、答え合わせのような、再確認になるような、次なるチャレンジのエネルギーになるような作品だと私は感じた。実践した叡智は、知識レベルの理解を遥かに超える。
読後に私が感じたのは、

私は、まだまだやれる

という実感だった。

「まだまだダメだ」じゃない。
よくやってきた。
だけど、まだまだまだまだやれるじゃん!

それは、社会的に何をやるか(Do)というより、自分に向き合うこと(Be)を。

 私は、元々、自分に向き合うことで生き延びてきたし、職業柄もあって、自分に向き合うことはやってきたと自負している。だけど、まだまだイケる。「紀里谷さん!降参!」って思った。だけど、彼と同じことをすることではない。「どうやるか」という方法論ではない。だから、自分と向き合うなのよ。それが、自分の中の「子ども」(と本では表現されている)との共同創造。向き合うというのは、自分自身の「子ども」(私はインナーチャイルド、ハイヤーセルフと表現する)。
 だから「そうしたいけど、自分にはそれを実現する経済力がないから」とか、「状況が違うから」とか、そういうのはカンケーない。自分が可能なところから、自分の可能なことの積み重ねなのだから。不可能なら他の道があるってこと。誰かを模倣するのではなく、自分の内側の声を聴き、それを可能な限り実現するのだ。しかも、その「可能」というリミットを少し(もちろん、思いっきりでもいい)超えていくことがミソ。
「そう思ってしまったこと」を実践する。知っている可能な範囲なんて、今まで散々繰り返しているのだから。

 この感覚と連動していると、これからの時代、めっちゃ生きやすくなると私は思う。ぜひ一読を強烈に薦める。私も、実践者であり続けたい!まだまだできる!と思えたから。

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朝水久美子
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