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佐藤忠男の1968年の【つげ義春】論

漫画家・つげ義春(1937-)氏の代表作の一つである『ねじ式』を初掲載した『月刊漫画ガロ』の昭和43年(1968年)の臨時増刊号「つげ義春特集」より。

_つげ義春のマンガは、出家遁世の志を遂行しつつある隠者の芸術であると思う。_彼の作品の舞台は、あるいは人里はなれた山奥であり()、都会も場末の、草むすあばら家であり()、売れない絵かきがバアのホステスの女房といっしょに住んでいる裏町の家であり()、そしてついには、都会の下水の穴のなかである()。_それらは、現世の享楽や出世競争に絶望したか、あるいはさいしょからそれらを斜めに見ている隠者の住いにふさわしい。その絵はまた、われわれ日本人にとって、きわめてなつかしい心象風景を思いおこさせる。わびしい山。暗い森。草むす家。~~_それらのなつかしいイメージの世界を、主人公たちは、さながら、「奥の細道」を行く芭蕉のように遍歴する。マンガ研究家の那須正尚が指摘したことだが、つげ義春の作品の主人公は、つねに旅人である。『沼』や『西部田村事件』や『峠の
犬』の主人公が旅人であるというだけではない。一定の家に住んでいる『チーコ』や『運命』の主人公たちだって、その家を一所懸命の地と心得ている様子はなく、どこかからか流れてきて、またどこかへ流れてゆく、つかの間の生活のよどみを托す場所としてだけそこに住んでいるにすぎないように思われる。_旅人は、その土地の状況と深くはかかわらない。ただ観察して通りすぎてゆくだけである。状況と深くかかわり合いたくない、という気持ちの強さが、旅への憧れのひとつの原動力であるかも分らない。状況と深くかかわり合いたくない、というのは、あっさり割り切って言えば逃避ということになるが、しかし今日では、状況と深くかかわり合わないためにだって、実は必死の努力が必要とされるのである。逃避のためにも涙ぐましいまでの懸命さが要求されるという、その皮肉さは、つげ義春の芸術の重要なモチーフのひとつであると思う。_たとえば『通夜』である。~~_私は、つげ義春のマンガの基本的な姿勢を、出家遁世の隠者の芸術、と規定したわけであるが、それが決して、たんなる花鳥風月の風流や、世相やぶ睨み式の傍観的態度にとどまることを意味しない理由はそこにある。過酷な現実に眼をつぶって、小さな、ささやかな家庭の幸福みたいなものをよりどころにしようとしたところで、実を言えば、そのささやかな幸福というものだって、掌中に握りしめることは容易なわざではない。その苦渋を端的に示しているのは『チーコ』だろう。~~_状況と深くかかわり合うことを避けたい。人生をば旅人のような傍観的な眼をもって見たい。そう希望しつつ、しかし実際には、彼は決してたんなる傍観者にはなれないのである。もし人が、純粋な傍観者になれるとしたら、それはどんな場合だろう? そういう幻想をおそるべき想像力をもって描き出したのが『山椒魚』であると思う。~~もし人間が徹底的に傍観者であろうとすれば、ここまでハード・ボイルドに居直らざるを得ない、という苦渋にみちた黒いユーモアである。~~_もっとも、このようなグロテスクなイメージは、つげ義春の一面ではあるが、すべてではない。傑作『李さん一家』には、『山椒魚』の対極ともいうべき、美しく心をなごませるリリシズムが見られる。_状況との深いかかわり合いを避けようとする者が、しかもなお、現実を愛し、生きることに意味を見出そうとするならば、一見なんでもないような、生活の断片を愛するということを理念として追求しなければならないであろう。それは、俳諧の伝統をつぐものであり、風流の極上のものである。~~事件といえばそれだけで、そこに、そこはかとないエロチシズムとユーモアがあるわけだが、それ以上に、その核心をなすものは風流という理想である。_つげ義春の芸術を、私は、状況とかかわり合うことを避ける風流の精神という角度から見てきたわけだが、これは、古くて、しかし新しいものであり、またしばしば逆説的な意味をもつものである。たとえばアメリカのヒッピーなどもある意味でそのような理想を求めるところから出発したものだろうし、それが現在は、逆に、もっとも深くアメリカの現在の状況の変革に参加しようとするものとしての意味をおびてきている。風流とは、実はそういうものなのである。

」は「省略」の意味で使っています


消極的な傍観者(観察者)が、ひょんなことから事件に巻きこまれ「少しだけ当事者」になり、最後はもやっとした皮肉な結末を迎える、というのは、小説は読んだことないが映画は好きでよく観た「ハードボイルド」の典型例。


この号が初掲載の問題作?『ねじ式』は、この「つげ義春論」では対象外になっている。私は初めて読んだ時からとてもユニークで面白く大好きです。

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私が初めて『ねじ式』という短編漫画と作者の「つげ義春」という名前を知ったのは、1980年代後半?に放送されたテレビ番組(確かTBS系列)で当時の人気歌手のチェッカーズが「オススメの漫画」として紹介していたから。『意味のよくわからない、すっごく変な漫画』と言ってた記憶。少年ジャンプのようなメジャーな漫画雑誌しか読んでいない自分が聞く初のマイナー漫画


「昭和43年6月10日発行臨時増刊号」の昭和45年の〈再発行〉版?の表紙書影

初版?では「増刊号」の上に同じ青色で「6月」の文字。更に「つげ義春特集」に①の番号は無い。
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目次

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↑に収録の桜井昌一(辰巳ヨシヒロの実兄)氏の『つげ義春氏のプロフィル』(初出は「漫画主義」一号)によると、影のある?つげ氏は女性によくモテるらしい。つげ義春の漫画には経済的な〈貧苦〉はあっても〈非モテをこじらせたルサンチマン〉を一切感じさせないのは、そのためだったのかと納得した。


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