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「我は、おばさん」が面白い理由2つ

書店で、トントン、と肩を叩かれ、振り向いたらこの本が立っていた。という感じだろうか。
私に何か伝えたい事がある、とでも言いたげだ。あの時、足を止めて、本を手に取り、レジに行った自分を褒めてあげたい。いい本を選んだね、と。

動揺する家族

本を持つ私を見て、夫が聞く。「なんていうタイトル?」

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文字が読めないのか、寝ぼけているのか。それともハリーポッターの「あの人」のように、名前を口にしてはいけないのか。ちょっと戸惑っているようだ。
子供達すら目を見開き、様子をうかがっている。
この本を読む妻(母親)の意図は何だろう。ウケ狙いか。それとも老化を感じて、何か悩みがあり、それを察して欲しいのか。
間違いなく探っている。

まあとにかく、「おばさんとは何か」について、沢山いい事が書いてある本かなと思って読み始めた。

面白い理由その1

「おばさん」のいいところを説明する為に、更級日記の作者である管原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が参考にされているところが面白い。
おばさんがなんたるかを調べる為に、平安時代中頃までさかのぼるとはなんと執念深いのだろう。

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じつはワタクシ、更級日記のことなど全然覚えていない。それが平安時代中頃を貴族女性として生きた菅原孝標女の手による、自身の回想録だという事などあまり興味の無い事だったから。しかし筆者の解説により、彼女が源氏物語全巻をおばから譲り受けた事を知った。そして、その影響についても詳しく解説している。

少女時代に『源氏物語』という宝物を授けた年配の同性の導きが、彼女に筆を執らせ、そして一千年近くも文学史に名を刻む、『更級日記』の作者としての未来を与えた。その女性とは、実母や継母ではなく、本人自身は歴史に名を刻むこともない、名も無きおばさんだったのだ。(『我は、おばさん』(集英社)p42より引用)

更級日記といえば、ほんの少しだけ学校で習ったはずだが、スッカリ忘れている。
いやー、菅原孝標女がこんなに見事な源氏物語オタク女子だったとは。
今も昔も、オタク文化は変わらず存在するのだ。

面白い理由その2


岡田育さんの表現力があっぱれ!であるところ。
なんとまあ、面白い表現をするんですよね。どんな本を読んでどんな人々と出会い、経験値を積めばこれほど面白い表現ができるのか。私みたいなのは、とうてい真似できないよなぁとか思っちゃう。
例えば

兼高かおるを男性と、美川憲一を女性と思い込み、その両方をなんとなく美輪明宏あたりと同じカテゴリにぼんやり放り込んでいた十歳前後の私は、彼らを見るたび、トランプのジョーカーを思い出していた。赤でも黒でもなく、ハートでもスペードでもダイヤでもクラブでもない。そして、めっぽう強い。捨てても捨ててもしぶとく舞い戻って勝敗を左右する無敵の「ババ」だ。(『我は、おばさん』(集英社)p105より引用)

なんかもう、美輪明宏あたりで吹き出しそうになったんだけど、このカテゴリを最終的に『捨てても捨ててもしぶとく舞い戻って勝敗を左右する無敵の「ババ」』という表現で結論付けるところがユニークだ。
思わず膝を打ち、笑ってしまう。

「テレビで見た憧れのおばさん」として芸能人の名前がいくつかあがるのだが、その人物の説明にも味があって、これまた面白い。
阿佐ヶ谷姉妹についてはこのように説明している。

母親とは違う、学校の職員室や町内会でも見たことがない、この社会のマジョリティとは言い難い。しかしテレビに映っているのだからきっと世界のどこかには存在しているはずの、人生のお手本。阿佐ヶ谷姉妹は「ああはなりたくない」と疎まれる存在ではなく、「あんなふうになりたい」と憧れられるおばさん像なのだ。(『我は、おばさん』(集英社)p114より引用)

たしかに。阿佐ヶ谷姉妹はマジョリティとは言い難い。近くにいそうでいて、いない。(阿佐ヶ谷姉妹の事を私がおばさんと呼んでいいのかどうか分からないけれど)あんなおばさんが子供達の近くにいて、「すごいね!」とか「いいね!」とか褒めてくれたら、なんだか色々な事を張り切っちゃいそうだな。
子供って、親から褒められても喜ぶんだけどね。家族という括りではない第三者から褒められると、もっと喜ぶ。阿佐ヶ谷姉妹、いいよなぁ。

まとめ


筆者は「おばさん」の重要な役割として、おじさん同様、斜めの位置から親とは異なる価値観を提示して次世代の育成に大きく寄与することだと述べている。そこがとても印象的だった。
親は、やっぱり縦の繋がりになる。だからこそ、斜めの位置から親とは異なる価値観を提示してくれる存在って大切かもしれない。

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最近では地元のお祭りやPTA、学校行事が減って、煩わしい事がなくなって嬉しいと思う一方、親以外の斜めの位置から関わってくれる人々がいなくて寂しいと思う事もしばしばある。
子供にとって、「おばさん」ってかなり重要な位置にいるのだと、改めて思った。
「我も、おばさん!」と、声を大にして言えるように、努力しないと。社会の一員として、子供達に良い影響を与えられたらそれはとても素敵なことだ。
「おばさん」について、よく勉強させてもらった。
ご興味がある方は、ぜひご一読を。

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