好きな人ともう一度眠るまでの日々の話
お布団には、夜の12時までに入るべし。
それが、この家でのルールだった。
「佳夜ちゃんは育ちざかりなんだから、これぐらい早く寝なくちゃ」
それが、家主である月子さんの口ぐせだった。でも私に言わせれば──同年代の、中学に入学しようかという少年少女なんて、もっと早くに眠っていると思うのだ。そのルールはむしろ、月子さん自身のためなのだろう。私がこの家に来るまでは、いつも夜の3時すぎに寝ていたらしいから。
ともあれ、私は今日も今日とて、月子さんと一緒に寝る準備をする。お座敷に並べられた二枚のお布団は、実のところあまり意味をなさない。だって結局は、同じ布団で寝ることになるのだから。
ひも付きの電球を消してすぐ、暗闇に目も慣れきらないうちに、月子さんはそっとささやいた。
「……佳夜ちゃん、抱き枕になってくれない?」
「……うん、いいよ」
例によって、私は月子さんのお布団へもぐりこむ。いもむしのように、もぞもぞと。夜の空気はまだまだ冬の残り香があって、しんと冷たい。冷気を追い出すようにして、布団の端っこを体の下にねじりこんだところで──月子さんの両腕が、私の首にゆるくまわされた。
「佳夜ちゃんは、やっぱり抱き枕にぴったりね」
「あきないよね、月子さんも」
「お店に頼んで商品化したいくらいよ」
「かんべんしてほしいな……」
月子さんは、何かを抱いていないと眠れないのだという。もう30歳なのに、いい大人なのに……なんてことは、全然思わない。私だってひとりでは寝付けないのだから、お互い様だ。
春が近かった。県外にある中学の入学式はあさって、そして入寮式は明日。月子さんの家でこうして眠るのも、これでおそらく最後になる。思えば、この営みももう5年近くになるのだった。
***
私は、昔から寝付きの悪い子どもだった。とはいえ、物心ついた頃はそうでもなかった。少なくとも、幼稚園に通っていた頃までは。
はっきりとした変化が訪れたのは、小学校に上がってからのことだ。
私の進学に合わせて、両親は引っ越しを決めた。都市部の狭いアパートから、郊外の広々とした高層マンションへ──それはもう、冗談抜きに世界が違って見えたのだ。
部屋という部屋がぴかぴかしていた。
家族それぞれの個室ができた。
それから、両親の帰りが前よりずっと遅くなった。
ふたりとも共働きで、朝は早く、そのくせ夜は遅い。「一人で眠れる?」とお母さんに尋ねられたとき、私は「うん!」とそれはもう自信満々にうなずいた憶えがある。だって、私は「しっかりもの」なのだ。親戚のおじいちゃんやおばあちゃんからは、いつもそんなふうに褒められていたんだもの。
結論から言えば、それは完全な見込み違いだったけれど。
小学生になってからというもの、私は夜に眠れなくなっていた。真夜中の中途半端な時間に目覚めて、太陽がのぼる頃にようやく眠気が訪れる。そんな調子だったから、小学校生活の出だしはさんざんだった。授業中の居眠り、遅刻、それから無断欠席。通学路の途中にある公園に寄り道してそのまま眠り、起きたらとうに学校が終わっていた……なんてことも、一度や二度じゃない。
何度も先生に叱られて、数えきれないくらい両親に怒られて。
何回か病院に連れていかれて、それでも原因は分からなくて。
二学期が終わる頃には、私はすっかり困った子になっていた。
──「なんでなの?」
口々にそう聞かれても、当時の私は答えられなかった。
私だって、眠る方法を自分なりに探しはしたし、そのうちいくつかは効果があった。たとえば、蛇口の水を出しっぱなしにしたまま台所で眠ったりとか。それから、洗濯機をまわしながら洗面所で寝たりとか。けれども、そうした工夫は両親を喜ばせるどころか、むしろ不安がらせただけだった。
──「どうしてなの?」
根掘り葉掘り聞かれても、自分でも上手く説明できなかった。
──「一人じゃ眠れないのね?」
そう問われてやっと、私は頷いた憶えがある。自信は全然なかったけれど、きっとそういうことなんだろうって。両親を安心させたかったし、私自身もそう納得したかった。そこで白羽の矢が立ったのが、お母さんの妹──月子さんだったのだ。
***
初めて月子さんの家に預けられた日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
小学2年生への進級を控えた、春休みのこと。
朝早く、出勤するお母さんの車に乗せられてマンションを出発した。私はといえば、それはもうがちがちに緊張していて、いつにも増して眠れなかった。むりやりに目を閉じてみたけれど、一向に眠気は訪れないまま、時間ばかりが過ぎていって。
「着いたわよ」
お母さんの声で、はっと我に返る。車から降りて、あたりを見回してみれば、どうやらそこは住宅街らしかった。前に住んでいた団地の雰囲気と似ているけれど、そのぶん違いがはっきりと分かる。立ち並ぶ家の屋根は、どれも瓦ぶきで背が低く、歴史を感じさせるものばかり。私が連れられた先は、そのなかでもひときわ大きく古めかしい一軒家だった。
後から知ったことだけれど──その家は、もともとお母さんと月子さんが生まれ育ったところだった。つまり私にとっては「おじいちゃんち」あるいは「おばあちゃんち」ということになるけれど、どちらも私が生まれる前に亡くなっている。そういうなりゆきで、今は「月子さんち」となっているというわけだった。
お母さんがインターホンを押す。けれども、反応はない。
しばらく経ってから、もう一度……それでも、結果は同じ。
さらにもう一度、ボタンを押しかけたところで──。
玄関の向こうから慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、がらり、と引き戸が開け放たれた。
「おはよう、陽子ちゃん──佳夜ちゃんも、早起きできて偉いね!」
一見して、パジャマだと分かる出で立ち。声の明るさとは裏腹に、目は半開きで、髪もところどころハネている。察するに、今の今まで寝ていたのだろう。お母さんはため息をついてから、苦笑いとともに「おはよう」と返した。
「……いい子にするのよ、佳夜。じゃあ、よろしくね月子ちゃん」
私も私で、前もって言いつけられていたように「おせわになります」と頭を下げた。
──月子さんとは、別に初対面というわけじゃなかった。親戚どうしの集まり、たとえばお盆やお正月なんかに何度か会ったことがある。ただ、これまでに交わした会話といえば、それこそ挨拶くらいのもので。
一体どう振る舞えばいいのか、見当がつかなかった。
まず、月子さんのことをどう呼べばいいのだろう。月子さんはお母さんの妹なのだから「月子叔母さん」ということになる。ただ、月子さんは、お母さんと10歳も年が離れていた。当時の月子さんはまだ25歳で、もっというなら高校生かと見まがうような童顔でもあったのだ。そんな月子さんは、小学一年生だった私にとって、「こども」でも「おとな」でもない、不思議な存在にみえた。
家の中は、その外見どおりの古風な日本家屋といった雰囲気で、それがまた彼女の存在を浮き立たせている。さながらそれは夜空に漂う月のようで──近くに見えるけれども手は届かない、そんなふうに本気で思った。着替えの詰まったボストンバッグを畳に降ろしたところで、月子さんは言った。
「佳夜ちゃん、朝ごはんもう食べた?」
「ううん、まだ……」
「オッケー、じゃあコンビニで買ってくるから、少しお留守番しててね」
そう言って、月子さんはソファーにかけてあったジャージを上から羽織り、さっそうと家を出ていった。そうした仕草や後ろ姿はお母さんにそっくりで、さすが姉妹なんだなと思わされる。安心する一方で、不安もわいた。
月子さんの優しげな瞳も、そのうち変わってしまうのだろうか。お母さんと同じように「こまったわね」と、くたびれた眼差しで私を見るようになるのだろうか。
いい子にならなければいけない──よそのお家なのだから、なおさらだ。
革張りの、いかにも年季が入っていそうなソファーに背中をうずめながら、私は大きく息をついた。代わりとばかりに、ずん、とまぶたが重くなる。思い出したように迫ってきた眠気に身をまかせ、私はいつしか目を閉じていた。
***
最初に気付いたのは、音だった。
かたかたかた、と頭の上から降ってくるものだから、最初は雨か何かだと思ったんだ。のろのろと目をこすったところで、「おはよう」と月子さんの声がした。すぐ目の前には、二つの山。その向こうに、月子さんの笑顔がのぞいている。ほんとうにお月さまみたい──なんて思ったのもつかの間、私は慌てて首を左右に動かした。片方には、月子さんのおなか。そしてもう片方には、ケータイとノートパソコンが乗ったテーブル。そこでようやく、自分が月子さんに「ひざまくら」をされているのだと気付いた。
「ごめんね」
月子さんは申し訳なさそうに言った。
「帰ってきたら、佳夜ちゃんが座ったまま眠ってたから。起きたらごはんにしようと思って、そばでお仕事してたんだけど……」
私が寝返りを打った拍子に体勢を崩し、そのまま月子さんの膝にちょうど頭を乗せるかたちになった。いきさつとしては、そういうことらしかった。
「起こしちゃうのも悪いと思って、そのままにしてたの。大丈夫? 首とか痛くない?」
「ううん、ぜんぜん」
「キーボードの音とか……あと急に電話もあって、騒がしかったと思うんだけど」
「ううん、きにならなかった」
私としてはむしろ、いつもよりぐっすり眠れたくらいだった。それよりも、別に気になったことがひとつある。月子さんは一体どれくらいの間、ずっとこうしていたのだろう?
私がこの家に来たのは朝のことだ。なのに窓の外はもう、うっすらと暗くなっている。それだけで、私がどれだけ長く眠っていたかは想像できてしまった。言い換えれば、それは私が月子さんにずっと負担を強いていたということで。謝るべきは、彼女よりむしろ私のほうに違いなかった。
「つきこ、さん」
おずおずと、しかしごく自然に、彼女のことをそう呼んでいた。感覚的には「叔母さん」というよりは「お姉さん」。でも、だからといって、お母さんのように「月子ちゃん」と呼ぶのは違う気がした。
だから「さん」付けで──「月子さん」。
「ごめんなさい」
私は頭を下げて、つづけた。
「おてつだい、したいんだけど、なにか……」
いい子になりたかった。なのに、最初から間違えてしまった。テストで言うなら、一問目からバツだ。100点をとるのはもう無理で、あとはなるべくマルの数を増やすしかない。あと何問あるのか分からなくとも、ただひたすらに正解を積み上げていかなければならない──そういう切迫感が、そのときの私にはあったと思う。
けれど、月子さんは笑顔で言った。
「ありがとう、でも大丈夫よ」
「おさらあらいとか……」
「いつもコンビニか出前だから、気にしないで」
「おふろそうじとか……」
「いつもシャワーなのよね、ひとまず今日は大丈夫」
「そう、なの……」
もはや、あきらめるしかなかった。これ以上食い下がれば、それはそれで逆に「こまった子」になってしまう。途方にくれる私を見かねたのか、月子さんは少しの間を置いて「よかったら、だけど」と切り出した。
「──佳夜ちゃん、私の抱き枕になってくれない?」
それが私たちの、ささやかな営みのはじまりだったのだ。
***
「いま思えば、そこで初めて『抱き枕』の存在を知ったんだよね」
「詳しく聞かれて、ちょっと恥ずかしかったわね」
「そういうタイプの枕があるなんて知らなかったもの……」
懐かしい思い出だった。あの日は、日中にたっぷり寝たのにも関わらず、不思議と夜もよく眠れた。その日を境にして、私はそれまでの日々がウソみたいに、普通に眠れるようになった。最初のうちこそ、朝は月子さんに起こしてもらっていたけれど、数ヶ月もしないうちに私が月子さんを起こすことも多くなったんだ。
私がなぜ月子さんの家に預けられたのかは、すぐに分かった。この家は、私の通う小学校からとても近いのだ。もともと1時間近くかけて歩いていたのが、ほんの5分ほどになったのだから、とても大きな変化だった。でも、一番よかったのは、月子さんがずっと家にいることだった。月子さんはフリーランスのウェブデザイナーらしく、お仕事はいつも家でこなしていたから。
私たちの共同生活は、順調といえた。月子さんはおおらかで、仕事のことを除けば、あまり物事にこだわらないひとだった。特に食事、なかでも栄養バランスについては無関心といっていい。「食事はコンビニか出前」という自己紹介は、実際本当にそのとおりだった。たまに二人で外食するときも、茶色が目立つものばかりで、しかも同じメニューしか頼まない。健康診断では問題ないと言い張る月子さんだったけれど、私はお節介がてら料理をするようになったりもして……。
「ほんとに、佳夜ちゃんはいい子だったね……」
しみじみと、月子さんは噛みしめるように言った。
「やさしいし、しっかりしてるし、作ってくれるご飯はおいしいし」
いえいえそんな、と私は苦笑いしてみせる。半分は謙遜、もう半分は本気で。私はまだ、本当に「いい子」にはなれていない。私がそうあれるのは、月子さんの前でだけなのだから。
4年生になってから、私は一度だけ実家に戻ったことがある。でも、一ヶ月ももたなかった。1年生のときと同じように、眠れない日々が続くようになったから。成長して、なまじ行動力がついてしまったのもいけなかった。気をまぎらわせるために夜のまちへ散歩して、補導されかけたりもした。そうして結局「中学生になるまでは」という条件付きで、月子さんの家にお世話になり続けることが決まったのだ。
このままじゃダメだ、と真剣に思った。
だから──中学からは、県外の学校に進むことにした。
中高一貫、そして学生寮を備えた女子校だ。
どうして、と両親にはさんざん聞かれた。
「寮生活なんて、佳夜にできるわけがない」とも。
自分を変えたい、と私は答えた。
「それくらいしないと、私はいつまでも自立できないから」
最終的に、両親は折れてくれた。あきらめた、と言ったほうが正しいかもしれない。どうせ問題が起こるのならば、地元ではなく自分たちの目の届かないところで──そんな思惑があったんじゃないかな、なんて。
結局、「自分を変えたい」という私の願いを、最初から最後まで応援してくれたのは月子さんだけだった。
「佳夜ちゃんは、きっと中学でモテるわね」
「モテるなんてことあるの? 女子校だよ」
「あるわよ。なんてったって、そういうお年頃だもの」
「お年頃、ねえ」
「断言するけどね、佳夜ちゃんみたいなクールかわいい系は、それはもう大人気なんだから」
高校は女子校だったという月子さんの熱弁に、私は思わず吹き出してしまう。私にとって、恋愛のことはまだピンとこないけれど──そうだったら嬉しいな、と思う自分がいる。小学校で男子にときめいたことは一度だってなかった。それよりは、女の子どうしのほうが上手くいくのかもしれない。そんなぼんやりとした予感があった。
「ねえ、月子さん」
「なあに」
「ひとり暮らしに戻るからって、夜ふかししすぎないでね」
「うん、そのつもりよ」
「ご飯はきちんと三食とって、野菜も食べないと」
「うんうん、もらったレシピで頑張ってみるわね」
「私がいなくなっても、さみしがらないでね」
「さみしいなあ──」
ぎゅっ、とひときわ強く月子さんに抱きしめられて、私は思わず泣きそうになる。自分でも分かっていた。私のほうが、よっぽど寂しがっている。でも、それを悟られるわけにもいかなくて。
──「月子ちゃんも、もういいお年頃だから」。
いつだったか、お母さんがそう言っていた。私のいないところで、姉妹どうしのやり取りがあることは知っている。その多くが、月子さんの「お見合い」に関するものだということも。コンカツだとかテキレイキだとか、そういう話をされている時の月子さんは、遠目にもすぐに分かる。困ったように眉を下げ、それでいて、まんざらでもなさそうにはにかむのだ。
月子さんには月子さんの人生がある。
そして私は、彼女の娘でもなければ妹でもない。
イソウロウの姪っ子のために、月子さんがそういうことを我慢しているとしたら。
それはとっても不幸なことで、私は明らかに「こまった子」に違いなかった。
──学生寮がある中学を志望したのは、そうした事情も大きかったのだ。
「ねえ、佳夜ちゃん」
「うん?」
「つらくなったら、いつでも帰ってきていいからね」
「ありがとう……でも、大丈夫」
大丈夫になってみせる。ならければいけない。
それがきっと、月子さんにとっての「いい子」だと信じているから。
***
かくして、中学での寮生活が始まった。不安はもちろんあったけれど、それ以上に期待が大きかった。今度こそ、両親を困らせず、月子さんに甘えることもなく、ちゃんと眠れるんじゃないかって。
私だって、何もやけっぱちで寮生活を選んだわけじゃない。小学校での経験から、自分なりに傾向と対策を練ってきたのだ。一人では眠れないけれど、誰かが近くにいれば問題ない。その点、強制的に相部屋となる学生寮はむしろ都合がよかった。
実際、私の見立ては当たっていた。3人からなる相部屋は、夜になればこまごまとした音で溢れてもいた。ベッドカーテン越しのお喋り。誰かがこっそり持ち込んだ携帯ゲームの操作音。誰かのラジカセから漏れてくる音楽。そうした音に耳を傾けているうちに、いつの間にか朝になっている。
学期ごとの部屋替えで、人が入れ替わったとしても、夜になれば似たようなものだ。ただ、なかにはお行儀が良すぎるメンバーで固められてしまうこともあって──そういうときは、CDプレーヤーで音楽を聴きながら眠るようになっていた。
たぶん、私は静けさが苦手なのだ。
それを強く実感させられるのは、実家に帰省するときだった。
私の家は、きっと静かすぎたのだ。
閑静な郊外にそびえる、防音にすぐれた高級マンション。10人いたら9人は快適だと思える場所。きっと私は残りの1人であって、相性は最悪だったんだろう。おまけに、両親はテレビやラジカセを不要と考えるひとたちで──静寂こそ子どもに必要という教育方針だったから、余計に。
実家での安眠に欠かせなくなったCDプレーヤーをいじるたび、そう思う。夢に月子さんが出てきたときなんかは、なおのこと。
月子さんのもとを離れてから、私は夢をよく見るようになった。舞台はいつも、喧騒に包まれた街。そこで私は、月子さんと手をつないで歩いている。かわりばえのしない景色のなかで、私たちだけが目まぐるしく変化した。私が大人になったり、かと思えば月子さんが子どもになったり、はたまた性別が変わったり。にもかかわらず、相手が「どこかのだれか」ではなく、なぜか月子さんだと分かる──そんな、騒がしくて明るい幻。
夢を見た日は、いつも寝覚めがいい。その一方で、そこはかとなく不安になったものだ。きのう、月子さんはちゃんと眠れたのだろうかと。
世の中には、様々な理由で眠れずに苦しむ人たちがいる。自分でも不眠症について調べるようになってから知ったことだ。身体的・精神的な原因はもちろん、私のように環境で大きく左右されるケースだって珍しくはない。
眠れない人たちを助けたかった。月子さんの力になりたかった。早いうちから将来の進路を「お医者さん」に定めたのは、私にとって自然なことだったのだ。
大きな目標のもと順調に学校生活を送り、実家でも一応は眠れるようになった。そうした諸々の成長を、両親はいたく喜んでくれたようだった。
「佳夜も、中学に入ってからずいぶん変わったわね」
高校に上がる間際の春休み。
家族揃っての夕食の席で、お母さんは感慨深げに目を細めた。
お父さんも、応じるようにうんうんと頷いたりして。
そうでしょ、と私も微笑む。
それから、胸の内でひっそりとつぶやいてみる。
ふたりもずいぶん変わったよね、と。
両親は、私に笑顔を向けてくれるようになった。
裏を返せば、私にしか笑顔を向けなくなった。
顔を合わせても、ふたりの視線が交わることはなく──会話をしても、ふたりが言葉を交わすことはない。両親のコミュニケーションは、一から十まで私を迂回して行われていた。両親の仲が冷えこんでいるのは明らかで、帰省をするたび、その温度が前回を下回っていることに嫌でも気付いた。
最終的に、両親は離婚を決めた。
私が大学の医学部へと進学を決めた、すぐ後のことだ。
お母さんは、再婚相手がいる四国へ。
お父さんは、実家のある東北へ。
そして私は、大学のある隣の県で一人暮らしを始めた。
だから、もうあのマンションは我が家ではない。
それでも私は「帰省」を続けていた。
行き先は──月子さんの家だ。
「ようこそ」ではなく「おかえりなさい」と言う月子さん。
私も私で「お邪魔します」ではなく「ただいま」。
「佳夜ちゃん、お勉強は順調そう?」
「そこそこ。課題が多くてほんと大変だけど」
「恋愛方面の調子は?」
「ぜんぜん。それこそ課題ばっかり──で、月子さんは?」
「いやはやそれが仕事ばっかりで」
「お母さんがね、いい人を紹介してあげるって張り切ってたよ」
「陽子ちゃんは世話焼きだからねえ……」
泊まりではなく日帰り、一緒にご飯を食べるだけのあっさりとした営み。他愛もない話をしていれば、あっという間に時間は過ぎた。
いまや、私にとっての故郷は月子さんの家だった。別に、間違ってはいないと思う。地元で最も多く時間を過ごしたのは、あの古びた一軒家だったのだから。
そうして私は、大学での6年間を終えて、地元に研修医として戻ることになった。月子さんから「お泊り」をお願いされたのは、ちょうどそんな時期のことだったのだ。
***
家というものは、月日が経っても案外そう変わらない。
変わっていくのは場所そのものではなく、そこに住む人間のほうなのだ。
この春から、私はこの家にまた住むことが決まった。それだけではない。やがては名義も私に変わり、名実ともに「我が家」ということになる。同時にそれは、月子さんがこの家からいなくなることを意味してもいた。
「佳夜ちゃん、卒業おめでとう」
夕飯の席には、月子さんお手製の料理が並んでいた。肉じゃが、ロールキャベツ、野菜シチュー。どれも私が残したレシピで、なかでも特にお気に入りだったものばかりだ。嬉しい、と素直に思う。その一方で、もどかしく感じる自分もいる。そんなに気を遣わなくていいのに、と思わず言いたくもなる。
でも、実際にそう口にしてみたところで、月子さんもまた同じように返すのだろう。夕飯を出前で済ませようと提案した私に、月子さんは手料理をふるまいたいと申し出たのだ。
「お料理してたほうが、気がまぎれるから」
そう付け加えられて、私のほうが引き下がった。
月子さんは、変わった。ここ1年の間に、病魔は凄まじい速さで彼女の身体を蝕んでしまった。
2年前、外出中に倒れたことがきっかけで、あちこちの内臓に悪性腫瘍が見つかった。おそらくは、その時点でほとんど手遅れだったのだろう。入退院を繰り返すものの、病状は一向に改善しないままで──今となっては治療そのものよりも、緩和ケアが中心となっていた。
だから、ある意味、今回は月子さんにとっても帰省といえた。
いわゆる一時帰宅。終末期医療における最終フェーズ。
明日にはまた病院に戻らなければならず──そしておそらく「次回」はない。
月子さんは夕食にほとんど手をつけないまま、「ごちそうさま」と手を合わせた。
「シチューはまだお鍋に残ってるけど……おかわり、どう?」
「ううん、今は大丈夫。明日の朝ごはんにもらうね」
「お皿片付けるから、佳夜ちゃんはゆっくりしてて」
「だめだめ、後片付けは私がやるって言ったでしょ、もう」
「じゃあ、お風呂を沸かしておこうかしら……」
「いつもシャワーで済ませてるから、別にいいよ」
「そういえば、そうねえ……」
月子さんが困ったようにはにかむ。
気持ちは分かる。それはもう、痛いくらいに。
20年前の私は、もしかしたらこんな表情をしていたのかもしれなかった。
「よかったら、なんだけど……」
精一杯の笑顔をつくって、私はつづけた。
「月子さん、抱き枕になってくれない?」
***
新月の夜だった。灯りを落とせば、寝室はたちまち濃い闇に覆われた。それでも、互いの表情をみとめるのに、そう時間はかからなかった。
月子さんの頭を抱え込むようにして、ゆるく左腕をまわす。それから右腕を、彼女の背中へ添える。低反発のマットレスが、私たちを象りながら沈みこんでいく。
「苦しくない?」と尋ねてみると、月子さんは「大丈夫」と口元を緩めた。両腕に収まった月子さんの体は、見かけ以上に小さく、薄く感じられる。少しでも力を込めれば、そのままぽきりと折れてしまいそうな──さながら枯れかけた小枝のようだった。
「今日は、ありがとうね」
ぽつりと、つぶやくように月子さんは言った。
「忙しかったでしょうに、私のわがままに付き合わせちゃって」
「別に、大丈夫だから」
強がりでもなんでもなく、本心からの言葉だった。急な話ではあったけれど、帰省の予定が少しばかり早まっただけだ。こちらに引っ越すための荷造りも、すでに終わっている。それよりも、気がかりなことは別にあった。
「私なんかで、よかったの?」
喉の奥でわだかまっていた問いは、口にしてしまえば案外するりと出た。
「その……お付き合いしている人を呼ぶと思ってたから、少しびっくりした」
月子さんには、恋人がいたはずだった。以前、知り合いから紹介されたという同年代の男性だ。月子さんの病気が発覚してからも、彼は献身的に支えてくれている──お母さんからは、そう聞いていたけれど。
「実はね、もうお別れしたのよ」
「──えっ、いつ?」
「半年くらい前ね。とても素敵な人だったけれど」
「その人のことを悪く言いたくはないけれど……ちょっと、薄情じゃないかな」
私の言い草に、月子さんは怪訝そうな顔をしたかと思うと──ああ、と納得したように微笑んだ。
「違う違う、逆なのよ──私のほうからお願いしたの。さすがにこれ以上付き合わせるのは悪いからね。あなたももういい年齢だから、早く次に行ったほうがいいって……そう説得したの」
思いがけない返答に、私は何も言えずにいた。否定する気はなかったけれど、肯定するのもまた違う気がした。だから──代わりに、私はゆっくりと口を開いた。
「実はね、大学で付き合ってる人がいたの」
「あらあら?」
「女の子だったんだけど」
「あら〜!」
「でもね、このまえフラれちゃった」
──相手はひとつ下で、中等部からの後輩だった。
部活や学校行事でよく接する機会があり、私と同じく医学部を志望してもいたから、知り合ってから打ち解けるまでは早かった。高等部の卒業式で、制服のリボンをあげたのも懐かしい思い出だ。本来ならば、そこで終わる関係だったはずが──まさか、大学まで同じになるとは思ってもみなかった。
「佳夜さんのことが、好きです」
そう告白されたのは、大学2年生の夏のこと。
彼女の熱意にほだされた。
自分なんかで良ければ、と私は応えた。
ふたりで相談して同じ講義をとり、終わればデートに勤しむ。そんな日々に私は充分満足していて、きっと相手も同じ気持ちだと信じていたのだけれど。
「佳夜さんって、そんなでしたっけ?」
付き合い始めて数ヶ月もした頃、彼女にそう言われた。スキンシップが多いことを指しているのだと分かった。手をつなぐこと。ハグをすること。そうした行動は、二人きりであっても「べたべたしすぎている」というのが彼女の弁だった。私にとっては、それこそが恋人の特権だと思っていたけれど、どうやら彼女にとっては違ったらしい。
「佳夜さんはクールなお姉さんってイメージでしたから、ギャップがすごくて……」
取り繕うように付け足して、彼女は気まずそうに微笑む。その声音には、失望が色濃く滲んでもいた。おのずと思い出されたのは、中学と高校でともに過ごした5年間のこと。
──このひとは、私の何を見ていたのだろう。
脳裏に浮かんだ疑問は、しかし、すぐさま反転する。
──私は、このひとに何を見せてきたのだろう。
彼女を責める気にはなれなかった。彼女が語ったイメージは、当時の私の理想そのもので、そう在ろうとしたのは他ならぬ自分だった。ならばと、あの頃と同じようにふるまおうとしたけれど、できなかった。いったん箍が外れた心を引き戻すのに、私たちの関係は進みすぎていた。
なかでも特に苦労したのは、睡眠にまつわる事柄だ。
お互いの部屋に泊まる機会は、それなりにあって。
ひとつのベッドを共にするのも、珍しくはなくて。
寝相について、彼女に叱られるのも毎度のことで。
「私に抱きついて眠るの、控えてもらえませんか」
暑苦しくて夜中に目覚めてしまう、と彼女は言う。努力の結果として、私の寝相はころころと変わった。もともと横向きだったのが、うつ伏せになったり、彼女に足だけを絡めるようになったりして。
試行錯誤の果てに、私の寝相はひとつの形にたどりつく。彼女に背を向けて、横向きに丸まる──俗に言う「胎児型」。それに加えて、両手で耳を塞ぐ。どくり、どくり。脈打つ自分の心音を聴いていれば、不思議と心が落ち着いた。
そのたび、私は思ったものだ。女性同士なら上手くいくと思っていたけれども、それはたぶん違う。女だとか男だとか、実のところは関係なかったのだ。
好きになった「月子さん」が、たまたま女性だった──ただそれだけのことで。
そうして、私は思い出すのだ。
記憶が正しければ──月子さんも同じような姿勢で寝ていたはずで。
確かに月子さんは、寝るときこそ私を「抱き枕」代わりにしていたけれど、朝になればいつの間にか体を離していた。起床した私が最初に目にするのは、いつだって月子さんの背中だった。どうしてそんなに窮屈そうな格好で寝るのだろう──当時は不思議で仕方なかったけれど、今なら分かる。
この寝方は、あまりにも、孤独を抱えこむのに適しているのだ。
私はもう、ひとりきりでも眠ることができる。孤独との付き合い方だって、よく知っている。でも、だからこそ気付いてしまうこともある。
幼かった私は、月子さんのおかげで眠れるようになった。両親と離れたさみしさすらも、月子さんが埋めてくれた。私にとっての月子さんがそうであったように、逆もまた然りと信じきっていた。
ただそれは、都合の良すぎる勘違いだったのではないか。確かに少しは、月子さんが眠る手助けになれたかもしれない。だけど彼女の孤独を埋めるには、きっと私という存在は小さすぎたのだ。
──そう理解してから、私は月子さんの家に泊まるのを止めた。
恥ずかしくて仕方なかった。
幼さゆえの自惚れを、嫌でも思い起こしてしまうから。
怖くてたまらなかった。
己の無力さを、まざまざと思い知らされるから。
それでも──いつかはまた、こうしてあなたと眠りたかった。
「今更だけど……小さい頃は、迷惑かけてごめんね」
「あら、なんで? 私は楽しかったわよ?」
「どうかな、月子さんは楽しそうにするのが上手いから」
「だって、本当に楽しかったもの」
月子さんはいたずらっぽい笑みを浮かべて、つづけた。
「色々な愚痴をね、毎晩のように聞いてもらってたの」
「愚痴……って、なにを?」
「無茶振りしてくるクライアントとか、確定申告の面倒くささとか、あとね、通販サイトで偽物を掴まされたりしたこととか」
「ぜんぜん記憶にないんだけど」
「それはそうよ、佳夜ちゃんが眠った後だったから」
「もう……普通に話してくれればよかったのに」
「なんというか、情操教育的によろしくないと思って」
私は思わず笑ってしまう。それも一種の睡眠学習というのだろうか。早く大人になりたいと、子供の頃から思っていた。より正確に言うならば、月子さんの家に預けられてからそう感じるようになった。それはもしかしたら、月子さんのおかげなのかもしれない、なんて。
「あれでも昔に比べたら、いいおとなになったものよ」
「わるいおとな、だったもんね」
「ほんとにね、昔は夜の3時に寝てたし……」
「食べ物の好き嫌いは多かったし」
「ダイエット中に言い訳してお菓子食べるし……」
「休みの日は朝から晩まで寝てたんだっけ」
「それが、佳夜ちゃんのおかげで変わることができた」
ありがとう、と月子さんは微笑んで──
ごめんね、と目を伏せた。
「だけど私は、弱いおとなのままだった」
ずっとあなたの夢を見ていた、と月子さんは言った。
「佳夜ちゃんがいなくなってから、よく見るようになったの。一緒に街をお散歩してるのよね。佳夜ちゃんが大人になったり、逆に私が子どもになったり……ときどき男の子になったりなんかもして。それでも不思議と、あぁこのひとは佳夜ちゃんだな、ってわかる……そういう夢」
──本当は、今日という日をひとりで過ごすつもりだったという。親戚はおろか、姉であるお母さんにも伝えずに、介護サービスを利用して帰宅するつもりだった。身内に余計な心配をかけたくなかった、とも。
「ただ……最後はやっぱり、佳夜ちゃんがそばにいてほしいって、そう思ってしまったの」
最後じゃない、とは言えなかった。
最後だからこそ、伝えたかった。
結局のところ、私だって「いい子」ではいられなかったのだ。
「ねえ、月子さん」
「なあに」
「──好きだよ」
「──わたしもよ」
思ったよりも、伝わっていないのかもしれない。
でも、想像以上に伝わっているかもしれなくて。
ゆっくりと、月子さんを抱き寄せる。
彼女が私に背を向けないように、私が彼女から離れないように。
せめて今日だけは──この一夜だけは。
あなたを私で満たせますように、と。
<了>
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