おにぎりをわたす人になりたい
亡き母は毎年、らっきょうと梅干しを漬けて、それを親戚や近所の人にわけていた。できたらっきょうと梅干しを、夏バテ防止に夏を中心に約一年かけて食べ、次の年に新しいものを漬ける。それが恒例だった。
亡くなる2年前に漬けたのが最後だったけれど、その時の梅干しは今でもうちの冷蔵庫に残っていて、すでに14年ものになっている。この梅干しは、海を渡り、そして日本に帰ってきた。
どうしようもなく疲れたときに、1つ食べるようにしている。残り4粒だ。ここ3年は眺めているだけだ(笑)
わたしも母のレシピをアレンジしつつ毎年らっきょうを漬けていて、友だちにおすそ分けしている。海外に住んでいる友だちも喜んで食べてくれる。
梅干しはそんなに減らないので3年に1度くらい漬けているのだけど、久しぶりに梅おにぎりを食べたくなり作って食べた。
おにぎりについていろいろと思い出したので今日はおにぎりについて書きたいと思う。頭の中のものをシェアする、ただの日記。ここには占星術の気学の話もほぼないよ。
おにぎりは今も昔もソウルフード
調べものをするために新聞の過去記事を検索して読んでいたら日本人のコメ離れが進んでいるという話題があった。
総務省家計調査によると、1人当たりの年間支出がコメは2000年から17年までに4割減ったが「おにぎり・その他」は同じ間に4割増えた。「おにぎり離れ」は起きていない。(日経新聞「和食リセット」より)
ひとりあたりの年間支出は4割減なのにおにぎりは4割増。
家でコメを食べない人が増えているけれど、外でおにぎりを食べている人が増えているということ?
興味深い。
日本人のソウルフードと言われるおにぎり。みんな何かしらの思い出があると思うのだけど、わたしはおにぎりをわたす人になりたいなと常々思っている。おにぎり屋になるわけじゃない。おにぎりは例えだよ。
わたしとおにぎり
現在のわたしを知る人はわたしをよく食べる人だと思っていると思うのだけど、小さい頃のわたしは青白かった(笑)
おかずは食べるけどごはんがすすまないわたしはおにぎりなら食べられたのだった。
おばあちゃんといっしょに暮らしていたから、母が仕事でいない土曜日のお昼はおばあちゃんが何か作ってくれていたけれど、おばあちゃんがいないときはおにぎりがテーブルの上にのっていた。
晩御飯の残りを塩むすびにしておいてあったものを翌朝食べるのも好きだった。
おにぎりなんて日常のもので、当たり前のものだったから、そのありがたみなんて感じることもなく大人になった。
ばあちゃんみたいになりたい
家族のことをもっと知っておかなければ。そう思ったのは、たぶん、ここで書いた友だちや恩師の死を経験した後だったと思う。
うちには、昔から親戚なのかどうかすらわからないおじさんがひとり出入りしていた。母のことを「ねえちゃん」と読んでいたので、おじいちゃんの兄弟の息子かなにかかと思っていたら、全く血のつながりのないおじさんだった。
そのおじさんは、わたしと同じような生まれであり、母ひとり子ひとりでお母さんは夜働きに出かけてしまうため、そのおじさんの近所の人が家もそんなに近いわけではないうちのばあちゃんに「この子が夜ひとりになってさみしいから、預かってやってくれないか」と頼んだらしく、ばあちゃんはそれを受け入れ、おじさんはうちで育ったそうな。
母も叔母も、年の離れた弟のように風呂に入れてやったりして面倒をみていたらしい。わたしが小さい頃、庭にびわの木があったのだけど、それはそのおじさんが食べたびわの種を植えて育ったものだったと後で聞かされた。
おじさんは、うちのばあちゃんや母のことをずっと慕っていて、わたしが大人になってからもときどきうちに来ていた。
ばあちゃんは養女
ばあちゃんは7人姉妹の末っ子で、4〜6歳くらいのときにおばさんの家(酒屋)に養女に出ていて、そこで姉になった人からまるで召使いのように使われていたそうだ。
酒屋はそこそこ裕福だったのだろう。女学校も出て幼い頃の写真も残っている。
その後、酒を買いに来ていた男(じいちゃん)が姉の方に好意を持つも断られ、妹(ばあちゃん)が嫁に行かされる。
恋愛はおろか、何も自由に選ぶことはできなかった時代。写真に写る幼い頃のばあちゃんは、全く笑っていない。
誰かの恨み辛みを言う人ではなかったので、母から聞いた話だけれど、酒に酔って暴力を振るう夫に耐え、きっと孤独と戦っていたのではないかと思う。
寂しい思いをした幼少時代があるのもあって、他人の子を受け入れていたのだろうと思う。
ばあちゃんは、9月18日生まれ。太陽乙女座、月蟹座。そして二黒土星。とても納得が行く組み合わせ…。とても優しくて温かい人だった。
戦後のおにぎり
ばあちゃんが死んだ後、タンスの中を片付けていて母から聞いた話がある。
昭和の話だから、近所付き合いも濃い。実家のすぐ近くにいた仲良くしていた家族が、戦後、仕事がないから東京へ引っ越すという話になった。
お米はもちろん配給で、自分たちが食べる米すら十分になかったときに、ばあちゃんが夜行列車に乗るその家族のために、おにぎりをにぎってわたしたそうだ。
何年か後に、そのお友だちは、あのときのおにぎりのお礼をしにやってきて、ばあちゃんに久留米絣の反物を買ってくれたと。
そのときの反物で作った着物がこれだよという話をしたくて、母はその話をしたのだろうけれど、わたしはおにぎりをにぎったばあちゃんの姿を思い浮かべてすごい人だなぁと考えていた。
わたしもおにぎりをわたせる人になりたい
その話を聞いてから、わたしもおにぎりをわたせる人になりたいと思うようになった。人が元気になれるようなおにぎりのようなものを。
そしてひとりで作れるおにぎりの量には限界があるので、おにぎりを作ってくばろうとしている人を応援したいなと思っている。
3年前、わたしにこの↑高旗将雄さんのイラストが載ったバッグをくれた友だちがいま、おにぎり(例えだよ)の準備をしていて。さらに「やっぱおにぎりっていいよな…」という思いをつのらせている(笑)
おにぎりと言えば、佐藤初女さんのおむすびを知ってる人も多いと思う。
あんなふうに大きなことはできないけれど、まわりの人におにぎりをひとつわたせたら。らっきょうと梅干しもつけるよ。
そう思って、日々の仕事をこなしている。
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