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備忘録(読書感想文『まだ知らない青』①)

五行歌集『まだ知らない青』水源純(市井社)

水源純氏の第四歌集『まだ知らない青』というタイトルを見た時、少し違和感を感じた。

明暗のグラデーションを帯びた青(厳密には空の青)を右から左へ見渡して、どんな青を見たって、どこかに属する青でしょう?って。

まだ見たことない青ってまだあるかな?って。

そんな先入観をもって、表題歌に触れた。

何度も見あげた空なのに
こんなに青い!と
心は驚嘆する
とにかく歩こう
まだ知らない青があるはずだ

その時、水源氏が、私と同じ立ち位置から詠っていたことに驚いた。

「『まだ知らない青』を私は知っている、あなたは知らない。それは、こんな青なのよ~!」と詠っているのかと思ってたからだ。
『まだ知らない青』を私にお披露目してくれる歌かと思ってたからだ。

教えてくれる立ち位置から、詠ってくれる歌なんだろうと、想像していたからだ。

水源氏だって、長い人生の中、明暗のグラデーションを帯びた青を右から左へとすでに見渡しているだろう。

それでも、だ。

こんなに青い!と心は驚嘆する。何度も見あげた空なのに、と詠っている。

ああ、そうだねそうだね、何度も見あげた空なのにね、と、青のグラデーションを見知った私の目ではなく、心の方が共感した。

さらに、立ち位置に差はないけれど、水源氏は「とにかく歩こう/まだ知らない青があるはずだ」と指さす。私なら指さない。自分の感動だけで納める。

『あなたが理解しようがするまいが、私は心が驚嘆した青を知っちゃったのよ。それはこんなの。ほら〜!きゃー!わかんないかもしれないけど。ほら〜!きゃー!わはははは』

…ってな感じで。

ここに大きな差を感じる。
写実だけに留まらない(いや、まぁ、この歌が写実的かといわれればそうじゃないんだけど)水源氏の力を感じる。

「とにかく」は、知らない青を知ることが、「嬉しいこと~悲しいこと」という線上(グラデーション)に位置するものではないことを示している。理屈を破壊している。

知らない青を知ることは、嬉しいこと?、悲しいこと?。いやいや。

嬉しくもあり、悲しくもあり。
嬉しくもなく、悲しくもなく。

驚嘆した時の自分の境地が、ハイテンションしか想像できなかった自分がお恥ずかしい。

青なのだ。知った色は『青』なんだ。

『まだ知らない青』を知る時、間違いなく誰の心も驚嘆する。

幸も不幸も保証はしない。だけど、驚嘆だけはする。

その一点の確信のみで、
この歌は、読み手を励ましてくる。

水源氏に余裕があるわけでもなければ、理屈があるわけでもない。
それでも、この歌は、ある意味、水源氏の手を離れ、私を励ましてくる。

とにかく歩こう、と。

正直、この歌集の全体で一番胸に沁みた歌が多かったのは「楔 哀悼の歌」という章の歌群だった。
でも、最後から2番目の章に位置したこの歌のフレーズから本のタイトルをチョイスしたのは、水源氏のワードセンスというより、人間力をだろう。

言葉の柔らかさ、繊細さを評価される歌人だけど、その底辺には間違いなく逞しさが存在する。

明日につづく。

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