【昨年まで行けなかった場所/宮城県名取市閖上】~世界もココロもグラデーションでできている~558
こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。
福島県いわき市をあとに宮城県名取市閖上に向かいました。
私が今回行きたかった場所のひとつ
こちらの『慰霊碑』に・・・
震災から1年経った2012年3月11日に閖上中学校遺族会が閖上中学校敷地内に慰霊碑を建立されました。
東日本大震災で犠牲になった宮城県名取市閖上中学校の生徒14人の名前を刻んだ慰霊碑です。
☆昨年来れなかった場所に来ることができました。14人の名前を一人一人心の中で呼びかけながら手を合わせていると胸がいっぱいになって😢が溢れました。今を生きることができなかった子どもたちに今を生きる私たちは恥じない生き方が出来ているだろうか・・・せめて毎日をせいいっぱい生きようと思いました。
2012年3月11日に旧閖上中学校に建立ののち、まちの移り変わりとともに2018年4月に開校した閖上中学校の隣接地、「閖上プラザ」内に移設した。震災から何年経っても子どもたちが生きた証が残り、学校に通う子どもたちやそこに訪れる方たちに命の大切さと震災の記憶を伝え続ける。学校隣接地スペースのため、いつでも誰でもフリーで訪れることができます。
☆可愛らしいピンクが子どもたちの姿のようでした。
『閖上の記憶』
慰霊碑を守る社務所、閖上の方たちが集える場所、震災を伝える場所として2012年4月に「閖上の記憶」を開所。
津波復興祈念資料館として先駆的な活動を続け、全国、世界からの訪問者を受け入れる施設へと発展させてきました。
閖上の記憶の建物前にあるガードレールは、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われた宮城県名取市閖上地区の旧閖上中学校の入り口にあったものです。津波の力でグニャっと曲がったままの姿で残されています。
「閖上の記憶」は、津波復興祈念資料館の名称で、2012年4月に開館しました。震災から1年後に閖上中学校遺族会が慰霊碑を建立したことを受け、その慰霊碑を守る社務所や、閖上の方たちが集える場所、震災を伝える場所として開館されました。
☆こちらのシアタールームで津波映像の上映を視聴させていただきました。2011年3月11日、閖上中学校から撮影されたものです。壊れた家屋がぶつかり合う音や避難した人たちの悲鳴に胸が押しつぶされそうになり、途中思わず目を覆ってしまうようなシーンもありましたが、本当に起きたことなのだとあらためて思いました。
そういえば、震災後ニュースでたくさん津波の映像を目にした私は、津波の夢を見て飛び起きた事がありました。どんなに怖かったでしょう・・・その恐怖ははかり知れません。
このグニャっと曲がったままのガードレールには言葉もありませんでした。
閖上の記憶さんの受付カウンターでは『あみーず』さんの手により一つひとつ丁寧に作られた手編みのグッズが販売されています。
かわいい💗
大事にします🥰
『富主姫神社』(トミヌシヒメジンジャ)
平成23年3月11日の東日本大震災による津波によって御社が流失しましたが、平成25年5月に新たな御社が建立され、閖上の地を見守られておられます。
☆これからの閖上をずっとお見守りください。
今日はここまでになります。
昨年まで行けなかった閖上の地に立つことができました。
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。
大切なお時間をありがとうございました。
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