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これからの「正義」の話をしよう③



奴隷制度があった時代について皆さんはどういったことを想像しますか?そういった時代に自分が生まれなくてよかったと思いますか?


これを読んでいる皆さん全員、自分の命や時間、お金をどのように使うかを自由に決めることができますよね。欲しい物を欲しい時に買えて、お腹が空いた時は食べたい物を買えます。これは奴隷とは真逆の人生だと思うでしょうが、案外そうとも言い切れないことがこの記事を読んでいく上でわかってきます。


義務と道徳

皆さんがもし億万長者だとして、お金をたくさん持っているのだから少しくらいいいだろうと貧しい人に500万円を盗まれた場合あなたはその盗みを許せますか?

500万円くらいいいやと思ってしまう方もいるでしょうが、それをこれから繰り返されると考えればその盗み行為自体を許容する人は少ないでしょう。

日本では「貧しい人」のために「稼いでいる人」から多くの税金を納めてもらう累進課税制度があります。稼いでいる金額が大きければ大きいだけ国に収める税金が高くなるというものです。

もっと言い方を変えれば、あなたのお金が何に使うのか、誰のために使うのかという決定権は無く、強制的に集められるということです。


稼いだお金というのはどのようにして得られたものでしょうか。あなたの時間を使って働き、その労働の対価として支払われたお金ですよね。その労働は何のために行われるでしょうか。「自分の家族のため」「生活費のため」「趣味・娯楽を楽しむため」など様々な理由があると思います。稼いだお金から不公平に徴収されるというこの制度は、今挙げたような「何のために働くのか」という自由が奪われているということもできるのです。自分で使い道を決めることができないとはそういうことです。


貧困者にはお金が必要だから仕方ないという反論は非常に有力だと思います。大金持ちにとっての100万円と、貧しい人にとっての100万円とでは重要度にかなり差があるでしょう。しかしその重要度だけで「人の自由」を奪うことは許されるのでしょうか。次の事例を考えてみましょう。


臓器売買

臓器がとても健康である人から2つある腎臓のうち片方を、腎臓が末期な患者に提供するということを国が法律で定めるとしたらあなたは賛成できますか?多くの人は反対の声を上げると思います。なぜなら臓器移植の意思は個人の善意で決めるものであり、他者から強制されるものではないからです。

しかし先程の重要度の話で考えてみると、健康な腎臓を持っているあなたより、臓器移植を必要とする患者の方が重要度が高いです。臓器提供が無ければ死んでしまいます。

この事例はフィクションではなく実際にこういった患者は世界中にいます。重要度が低い人が負担するという仕組みは全体の利益を考えると理にかなっているように思えますが、倫理的に正しいとは言えないことも多いのです。



自分の「物」や「時間」を何に使うか自由に決めることができないということは、度合いが違うだけで
奴隷と変わりないのです。


個人の自由を尊重するのか、国民の義務を尊重するのか。この2つの見方は非常に衝突が生まれやすいということが本書を読み進めていくと分かります。前者がいわゆる自由至上主義と呼ばれるものですが、自分のモノ・時間・お金は自分で好きなように使うことができ、他人に害を及ぼさない限り守られるべき権利であると主張されます。


この「自由至上主義」の考え方は現代的であり、皆さんも賛成するかもしれませんが、厄介なことに正義とは言えないこともあります。次回の投稿では「徴兵制」という身近な制度の話を用いて考えてみたいと思います。



ここまで読んでいただきありがとうございました。



追記))
私の投稿では「本で得た知見を具体的にどう生活に活かすことができるのか」を自分なりにアプローチしたコンテンツを配信しています。「本を読みたいけど時間が無い」方も読むことができるコンテンツを発信していくのでぜひともフォローの方よろしくお願いいたします。

この記事では、マイケル・サンデル(2010)『これからの「正義」の話をしよう ーいまを生き延びるための哲学』 を参考に書いてます。本の内容を通して一緒に考える時間を過ごしましょう。

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