全てが二流、それで良し。痛烈なケニアへの批判と、我が社のいくべき道は
最近私が最も面白いと感じた他者のオピニオンは、この見知らぬどなたかのツイートである。
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『ケニアの全てが二流で人々はそれで良しとしている。優れたものを経験したことのないケニア人は、知らない方が幸せなのだ』と。
どこまでも皮肉なことに真実である。
賛同者は、ケニアの首都で少し新しいコンセプトや商品で名をあげている製造メーカーの食品やレストラン、小売チェーンの名を連ね、価格も味もサービスもこき下ろしている。
これらの会社がすでに社会に貢献している証である一方、優れたものを知る消費者にとっては値段と価値が釣り合わず、そもそも価値が安定していないことを痛烈に指摘している。
メーカー側、小売側である当社とすれば、価値の不安定さと値段との釣り合わなさがどこからくるか良くわかっており、ツラツラと課題の原因を挙げることができ、非常に身につまされる思いである。
しかしその前に。
まずアルファジリは、このように公共で賛否されるレベルの会社にならなくてはいけない。「応援されてる」程度のレベルなど、社会に貢献していないに等しいと自社を痛烈に批判したい。
また、Mediocreを超えExcellenceにたどり着くには、徹底した「アルファジリの世界」を作らなくてはならない。商品と値段が釣り合わないと評価されるのは、味の好みの問題ではなくMEDIOCREと評価されるのは、「これが我が社の味だ」と納得させるに足りないだけのことであり、また自社の世界に顧客を巻き込めていないからである。
改めて年末に、アルファジリは「絶対貧困をなくす」ために、どのような世界を作るかを内省していたが、
「調味料が新しい食文化をつくる」ことをミッションに、国産農産物を使った国産調味料を開発し(まさに当社が加工している味噌をはじめとする)、この国、大陸でExcellenceを生み出さなくてはならないと考えていた。
ポトフに味噌汁にシチューに、具材は何を入れても良い。
「どこの食文化のスープか」を決定的に変えるのは、調味料である。
一言で焼肉と言っても、「どこの食文化の焼肉か」を左右するのは調味料である。
郷土の調理方法も、伝統食材も、捨てる必要など何もない。ただ、調味料ひとつで、人生で経験する味の幅は一気に広がる。
調味料の加工ひとつで、この国で生産される作物は一気に多様化する。
アルファジリは、誰1人としてMediocreであると評価しない、ユニークでエクセレントなブランドを作る。それが、私たちのできる最高の貧困削減であり、社会貢献である。