人間がいる限りは
7/10(水)は主治医の診断日であった。診察の前に、造影剤を入れたうえでのMRI検査を行う。造影剤を使用する目的は、炎症部分の活性度合いを確認するためとのこと。要は、まだ症状が拡大・悪化する可能性があるのか、それとも活性度合いは低く、現状維持の傾向なのかを判断することのようだ。仮に、活性度合いが低い場合については、現在残存している足のしびれや違和感は「後遺症」である可能性が高く、完全にゼロにすることは困難であり、対処療法的な治療に移ることになるという。
今後、画期的な根治療法が見つからない限りは、ずっとこの違和感と付き合うことになりそうだ。以前の僕であれば、動揺や後悔の気持ちを持っていたのかもしれないが、自分でも驚くほど、今の状況に対して冷静に受け入れることができている。だって、その事実は変えようがないし、コントロールできるものではないからね。コントロールできるのは、その絶対的に動かしようがない事実を「どう受け止め、判断・思考するか」のみ。
あとはもっと根本的な話として、今の症状で収まっていること自体に感謝している。僕の病気のワーストケースは、車いす必須の歩行障害や失明だ。多少のしびれ・違和感などは、あってないようなものである。制限なく生活でき、家族との時間も、仕事も何ら問題なく過ごせている時点で幸運だよね。
このような思考ができるようになったのは、過去の日記で何度も書いた、「自省録」「人生談議」の二つの書籍の影響が大きい。現在進行系で繰り返し読んでいるが、日に日に書いてある内容の解像度が上がり、自らの思考に浸透している感覚がある。
その影響は完全にポジティブ側で、今後の人生においてもこの信念は変わらずに持ち続けることになると思う。なぜならその考えは、複雑ではなくいたってシンプルで人間社会の本質をとらえているからだ。今後、世界が時代の流れでどう変わろうとも、人間という存在がある限り、古びれることはない。