捻り出すものと滴るもの
今日出逢ったことば0917
関係案内所はつひのでのルーティンを終えて、キッチン近くの席に座って作業を始めた。
10:30くらいだったか、近所のツッチーさんが来てくれて
「今日お昼食べる?」という確認。
ツッチーさんははつひのでから徒歩3分ほどの場所に住まれていて、はつひので含めて近くでお店を営む人たちのお姉さんとして時々腕を振るってくれる。
11:00前だったか、アメリカからmidoriさんがパートナーさんと一緒に鎌倉に帰ってきてくれた。midoriさんは7月に来てくれて数日間ではあったがとても良くしてくれて、とても愉しい時間を過ごしてくれた方だ。帰ってきてくれて、心の底から嬉しかった。
アメリカのローカルデザイナーが作ったステッカーをたくさんお土産に持ってきてくれた。
「鎌倉のひとたちはパソコンにステッカー貼ってる人がたくさんいたのを覚えていて。ななさんにはこの透けるお花が似合いそう。」
そんな言葉に感動した。
優しさとは搾り出すものではなく、自然と滴るものなのかもしれない。
ツッチーさんとmidoriさんとハーディングさんとお昼ご飯を食べた。3人はアメリカ文学の話で盛り上がっていて、ハミングウェイと源氏物語ということばだけは正確に聴き取れて、それ以外は23%くらいの理解力だった。
お昼過ぎに余吾さんが久しぶりに鎌倉に来た。明日に向けての打ち合わせ。
作った内容を余吾さんにブラッシュアップしてもらい、どうにか形になった。
15:00前まで打ち合わせをして、優しめの嵐のように余吾さんは去っていった。
夕方から夜にかけてもう1件。
その会話の中で、「どうやって言葉を考えているか」という質問をいただいた。
「コーヒーを濾過するようなものです。」と応えるようにしているのだが、ふと、本当にそうだろうかと思った。
搾り出すものと、滴るものがあると思ったのだ。
今頭に浮かんでいる2つの言葉は、ひとつは搾り出したもの、ひとつは滴ったものな気がする。
この違いはなんなんだろうか。
搾り出すものは、少し発酵に近い気もする。
電車の中にいるのだが、隣に座る方の足から、発酵の香りがする。
いとフレーバーだ。目にもクる。
次の駅で降りるのが待ち遠しい。