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焼いてまへん、ふやかしてます
昨日、カップ焼きそばの作り方を
文芸的に紹介して欲しいなの、と
お願いしたところ
一瞬で書いてくださった方がいました
ぎょー!
一瞬でこのクオリティ!!!
感謝カンゲキ雨嵐であります
まだまだみなわんの作品
お待ちしておりますが
本日は少しだけ見本作品をご紹介いたしまする
焼きそば失格
【第二の手記】
私は賭けに出て、最後の戸棚を開きました。
カップ焼きそばがありました。
カップ焼きそばは、まずお湯を入れなければいけません。
私に立ちはだかったこの敢然たる事実は、私を湯の沸騰へと
向かわせました。
点線まで蓋を開け、かやくを振りかけて、お湯をかける。
そうれ、俺ならできる。
自分で自分を鼓舞しながら、私はお湯を注ぎこみました。
私に湯切りをする資格があるのでしょうか。
きっと、あるのです。あるはずなのです。
「許してくれ。」
そう呟きながら、私はお湯をすてました。
焼きそば恥だがカップ立つ
カップ焼きそばが嫌いである。そもそもあれは焼きそばではないと僕は思っている。だって炒めてないんだもの。強いて言うならゆでそばだ。カップゆでそばだ。
こんなことを言っているから彼女もできないし、周りから星野さんまためんどくさいことを言っていると言われるのだろうけど。その他にも嫌いな面はいくつかある。まず、かやく。かやくって何だよ。普通に具でいいじゃないか。
あとは、湯切り。あれがまったく進化していない。いつまでたっても完璧にできた試しがない。あれを克服しない限り、人類はまだまだだ。こんなことを言ってるから彼女もできないし、周りから星野さんがまためんどくさいことを言っていると言われるのだろうけど(2回目)。あとシンクにお湯を捨てたときにボンッ!ってなるのもやめてもらいたい。あれはシンクのせいじゃなくてカップ焼きそば側の問題だ。要するに、お湯を使わなくてもいいように作って欲しい。こんなこと言ってるから……。
1973年のカップ焼きそば
きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。
*
勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。
*
読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分間待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
*
ただ、一つだけ確実に言えることがある。
*
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
カップ焼きそばだもの
湯を入れる
五分まつ
湯切りをする
これだけなのに
むずかしい
すぐに食べたい
人間のわたし
やきそば、新発見
カップ焼きそばは、
「適当」に作れるところが、よいところだと思う。
やかんに水をいれて、ぴーっとなったら、
じょぼじょぼと容器にながしこんで、
ふふんと鼻歌でもうたって、
そのうちになったら湯切りをして食べる。
適当に作っても、うまいんだ、これが。
こういう適当さが、
人間の適当さにぴったりだとつくづく思います。
2017-03-08-THU
みなわんの力作
楽しみに待ってまーす!!!!
へば🐰
追伸(番外編):
ほんの少し前、焼きそばの作り方をご紹介(?)してる方がいました
併せてどうぞなのだ