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父子家庭で女の子が育つと言う事


父親と娘。

私自身が娘と息子の母親になって
ちょうど2人も思春期になり
その違いと言うか
性格もですが
大きく違う『性』のことで
想う事が多くなりました。

私は幼稚園の頃から皆んなより身体が
頭一つ大きな方でした。
小学校を卒業する時も158センチ。
中学2年で164センチでしたが
全く生理がきませんでした。

脳梗塞で倒れた祖母は
そんな私を小学校卒業する頃から
ずっと心配していて
色んなところにお詣りに行ったり祈願したり。

また通信販売とかがメジャーでは無かった時代、
祖母が通院の帰りに寄って来る
年配の人向けのお店。
そこで買ってくる
ダサい下着が私の下着。
自分で買いに行けば良いのに、
12歳の私は
デパートの下着コーナーに1人で行く事が
心どこかで恥ずかしくて
祖母が買って来てくれるダサい下着を
履くしかありませんでした。

中学校3年になろうかと言う時
やっと生理が来て
1番最初に相談したのは保健室の先生でした。
それから博多の叔母。
いつでも始まって良いようにと
準備だけはしてあったのですが
どうやったら良いのか、
保健室の先生に教えて貰いましたが
実際はトイレで悪戦苦闘しました。

今みたいに、ちょっと携帯で検索すりゃぁ良いって時代でもありませんでしたから
何事も人に聞く時代でした。

生理痛でお腹が痛いと思っても
家の事をするのは私しかいませんでしたし
薬を買うと言う事も
当時の私の頭にはありませんでした。
お腹にカイロを貼って
椅子に座って野菜を切ったり
煮ている鍋のそばにいたり
そんな事をしてやり過ごしました。

生理だけではありません。
ブラジャーだってそうです。
早い子は中学生になった途端に着てましたが
祖母の年代には理解及ばず
私は買って貰えるはずもなく。
自分で言えば良かったのに
『色気付いたか』と言われるのでは無いか
子どもより男に走った母親と同じ様に
思われやしないかと、
勝手に思い込んで言えないまま
2年になっても所謂、スポーツブラってやつ。

それは博多の叔母が
修学旅行に間に合うように
一緒に買いに行ってくれました。
初めて付けた時は
ペタンコな胸なのに
大人になった気持ちで凄く嬉しかった事を
覚えています。

髪の毛を結ってくれる人もおらず
ずっとショートヘアーでした。
それが似合ってる
好きだと思い込んでいましたが
それしか選択肢が無かったのですよね。
中学生になって、三つ編みも出来ないとは
周りにも言えませんでした。


どんどん成長していく娘を見て
父はどんな気持ちだったのだろうかと
思う時があります。

父と娘だから言えなかった事が山ほどあって
友達が可愛い服を着ていると
『私も一緒に買い物に行ってくれる母が居れば
違ったのかもしれない』
横目で見ながら
寂しかったのも事実です。

父が選んでくれる服は
ジーンズが多く、
リボンやフリルなんかの装飾品が付いてなくて
何なら色もピンクとかパステルじゃなくて
黒とか白とかの無地。

それでも私は嫌いじゃ無かった。
強がりだったかもしれないけれど
決して大嫌いじゃ無かった。
父が不器用ながらも
一生懸命に娘の私を育ててくれているのが
私にもわかっていたから。

それでも
『服がダサい』とか陰で言われているのは
中学生の私にはとてもキツイ事でした。

『お家が大変なのよ』と言われているのも
知っていました。

それでも私は
当時の流行の服が可愛いとは思えなかったし
理想はシンディーローパーだったから
いつか髪をピンクにして
カラフルな服をきて海外を歩くんだと
思っていました。

家が大変なのは大変だったけれど
実はクラスで1番頭が良くって運動も出来た子が
『俺んちも母親しかいないんだけど内緒な』と
話してくれたことがありました。
13歳。
どこの家も見えないだけで大変なんだと
思いました。

父の仕事は高所のクレーンを操縦する技師で
気が遠くなる様な高さに
電話ボックスの様な操縦席があって
それで地上にある鉄筋を吊る仕事をしていました。
小学生だった私を
ある時、ふと仕事場に連れて行ったのは
何か父の思いがあったのかもしれません。
そんなに動き回る仕事ではありませんが
作業服のほつれを縫う度に
父の仕事を思いました。

父が独り身になったのは30歳でしたので
再婚話は沢山あったそうです。
でも娘を育てる事を優先したいと
全て条件も何も聞く前に断っていたそうです。

私も2回目の結婚で死ぬ位の苦労をしたけど
父も相当苦労したんだなと思います。

女性的な相談は一切出来ませんでした。
生理痛の事も
下着の事も話した事はありません。
それが苦痛だった時もありますが
乗り越えてきた自分も誇らしく思えます。

可哀想、そう言ってしまえばお終い。
でも真相はそれだけじゃない。
可哀想だって思っているのは周りだけで
本人は至って必死で
可哀想とかそんな感傷に浸ってる暇がない。
それに、愛も間違いなくありました。

女子力なんてものからは程遠く
家庭的なことはさっさと身に付けて
男だ
女だとそんな事は全く気にする事なく
お転婆だと言われ
男勝りだと言われ
それでも本を読んでは号泣する繊細さもある
そんな私が出来上がったのです。

父子家庭で女の子が育っていくのは
そんな環境でした。
これに私は
祖母の介助・介護がついて来るのですが
それはまた違う話。

リビングに飾っている2000年頃の家族写真❤️



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