なぜ左翼は自然保護が好きで 右翼は自己責任論者なのか〜脳構造との相関
日々ニュースを見て心動かされながらも、自分の思想が右や左に極端に寄らないように注意している。
身内に極左がいて、思想が極端な人間は物事を二極化でしか見られなくなり、話が通じない世界に行ってしまうことをよく知っているから。
以前、某自民党議員がちびまる子ちゃんの映画のキャッチコピー「友達に国境はない」に難癖をつけた。
〈私は、このポスターを見て、思わず仰け反りそうになりました。国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しないと機会あるごとに言ってきたのに・・・〉等
思想が左右に振り切った人間は、「ちびまる子ちゃん」さえ自分の思想に敵対する「間違った部分」がないか、プロバガンダの材料になるか、という視点でしか見ることができず、「友情は国境を越える」という小学生ですら瞬時に理解できる普遍的なテーマも意識化できくなってしまう。
保守もリベラルも、両極に偏るほど分厚いフィルターを通してしか世界を見られなくなる。
全ての物事に対して、自分の思想を肯定する材料になるかどうかという観点しかないので、頑固で独断的になり、思考は単純化する。
フラットにありのままに物事を受け止めることはできなくなり、「ちびまる子ちゃん」においてさえ、作者の意図もストーリーの意味も理解できず、「国境がないだと!?けしからん!!」と脊髄反射してしまう。
極右や極左を批判したいわけではなく、
身内にそのような人がいて話が通じないことは、私にとってとても悲しくさみしいことだった。
そんな人とは一緒に楽しくアニメを見ることもできないから。
それとは別に、極端な保守主義やリベラルになるほど、共通するキャラクター性が顕著になっていくことが長年ずっと不思議だった。
単純にとても興味があった。
タイトルにもある通り、リベラルの人は自然保護に傾倒する人が多い。
反原発派が多いのも、そもそも原発は自然に反するものという考えがあるように思われる。
自然食を推奨し、動物は食べないヴィーガンやベジタリアンの人も、リベラルに多い印象がある。
リベラルな人は同性愛、夫婦別姓など、進歩的なもの、新しいものに関して寛容なイメージがある。
政治的意見に限ったことではなく、例えば「原宿系ファッションで同性愛者でイルカが大好きな保守派」というのはどうしても想像しにくい。
もちろん探せばいるのだろうが、かなりの少数派ではないかと思う。
これは想像だが、保守派の人にとってのオシャレは、モードや奇抜な個性のことではなく、多少形が古くてもトラッドで質の良い高級なもなを言うのではないかと保守派の政治家のファッションを見て思う。
保守派の人はホラー映画は嫌いそうだ。
エキセントリックなものや伝統的な世の秩序を乱すようなわけのわからない珍奇なものは不快だろうと予想する。
そして保守派には自己責任論者が多いイメージが強くある。
戦場ジャーナリストや海外ボランティアが他国で人質に取られるような事件に対しては、保守派の激しいバッシングが巻き起こる。
個人的な印象を羅列しただけなので、自分は保守だけどそんなんじゃないと怒る人は居るだろうけど、政治的な意見だけでなく、趣味嗜好においても右左それぞれに共通する特徴があり、
両極へ偏った人ほどその特徴も顕著になるということは何となくわかって頂けると思う。
「脳に刻まれたモラルの起源」という本に、とても興味深い記述がある。
政治的信条と脳の構造には相関する部分があり、脳のMRI画像から、個人が保守的であるかリベラルであるか、ある程度予想がつくという。
保守的な人は右の扁桃体と島皮質前部が大きいのだそう。
扁桃体というのは不安や恐怖を司る部位として有名。
島皮質前部というのは汚いものなどを見せて嫌悪感を感じた時に激しく活動する部位であるとのこと。
別のネット記事によると
保守的な人とリベラルな人に様々な画像を見せて脳の反応を調べると、残酷な画像や不衛生な画像を見たときに保守的な人の脳は激しく反応するという実験結果があるらしい。
これは保守派の扁桃体と島皮質前部が発達しているという脳の構造と相関する結果と言える。
保守派の人はホラー映画を嫌いそうという私の想像も当たっているかもしれない。
これらの事から、保守的な人は危険や未知なるもの、外部からの脅威に強く反応して身を守ろうというする脳の働きが強いと思われる。
一方リベラルな人に発達が見られるのは共感力だ。
・状況から他人の気持ちを想像することができる(視点取得)
・他人の苦悩を「かわいそうだ」と思い、自分のことのように同情する(共感的配慮)
といった共感力の素質は、脳の前帯状回、楔前部の大きさと関わりがある。
前帯状回はリベラルな人の脳で大きかった部分だ。
保守派の人に自己責任論者が多い印象であるのに対して、リベラルな人は弱者に過剰に共感同情しすぎる傾向があるように思う。
前述の書籍には
「政治的に保守的な人は、死への不安、社会の不安定さへの不安、曖昧さへの不寛容、秩序を求める気持ちなどを強く感じている」
「リベラルな人の特徴は、新しい経験に関してオープンであること、認知的に複雑な状況を好むこと、不確かさへの寛容など」
とある。
ここまでのことをまとめて、私が想像するのは
他人がひどい目にあっているのを見た時の咄嗟の反応として
「自分があんな目に遭ったらどうしよう! 怖い!」と心配してしまうのが保守寄りの脳
「かわいそう! 助けなければ!」と同情が先立つのがリベラル寄りの脳
ではないか。
そうすると保守派に自己責任論者が多い理由も説明できる。
保守的な人は不確かなものに不安を感じる。
なんの理由もなく理不尽にひどい目に遭っている人を見れば、自分も同じ目に遭うかもしれないという恐怖を感じる。
そこで「ひどい目に遭う人には相応の落ち度があるはずだ」と考える。
かわいそうな人にはその人本人にその状況を引き起こした理由があり、自己責任だと考えることで、
ひどい目に遭っている人と自分を切り離し、心理的に身を守ることができる。
リベラルな人が自然保護に傾倒する理由はいまだによく分からないが、共感力を動物や自然にまで広げた結果と仮説を立てることができる。
「脳に刻まれたモラルの起源」を更に読み進める。
保守的な人は常日頃から恐怖に対して敏感で、不確かなことも避けたいと思い、不浄なものにも嫌悪感を感じているということで、不安の多い人生観なのかと思えるが、2006年の統計ではアメリカの共和党支持者の46%が自分たちは「極めて幸せだ」と感じているのに対して、民主党支持者で同じように感じている人は26%に留まる。
そして国民の貧富の格差が大きくなるほどリベラルの人たちの幸福感は下がる傾向にあり、保守の人たちの幸福度は変化がないそう。
おそらく共感力の強いリベラル脳にとって、たとえ自分の生活が豊かで安全なものであったとしても、同じ世界に貧しく不遇な人がいることは耐え難いことなのだろう。
保守脳とリベラル脳では重視しているモラル、倫理観に違いがある
リベラルの人たちは皆が平等であること、弱い人や傷つきやすい人に配慮することを重要と考え、他者への思いやりや平等精神こそ正義と感じている
保守的な人は伝統を大切にし、集団への忠誠を重んじる。
権威や目上の人を敬う気持ちが強いので、むしろ縦社会の方が居心地が良く、全ての人が平等でなくても気にならないのかもしれない。
もちろんリベラルな人にも伝統を愛し目上の人を敬う気持ちはあるし、保守的な人も思いやりや同情心を持っている。
ただどれを一番重要と考えるか、保守とリベラルでは優先順位が少し違うということだ。
リベラルの人たちは人間は徹底的に平等であるべきと考えるので、差別や不公平は許し難く、政府に対してのデモや、ボランティア活動なども活発に行う。
保守の人たちにとって貧しい他国にまでボランティアに出向いて、挙句テロリストに捕まって自国政府に迷惑をかけるような行為は、集団の秩序や権威に反する愚かな行為でしかない。
保守にとってリベラルの行動は時に理解不能であり、リベラルの人には保守の人は思いやりがなく感じられ、両者はネット上でも常に激しく議論を戦わせ、時に罵り合っている。
しかし根本のところで、相手が自分と全く違う考え方を持つことを理解できないのは、脳の情動系の構造的な違いが原因の可能性がある。
未知のものや不確かなものをなんでも受け入れ、権威を無視して伝統や慣習をないがしろにしては、社会はめちゃくちゃになってしまう。
弱いものや間違いを犯した人を切り捨て、価値観の変化にも扉を閉ざしていたら、社会の変化や成長もありえない。
右翼と左翼は社会の両輪として絶対に必要であり、どちらが正しいわけでもない。
片翼の思想が完全に正しく、対抗する思想は滅びなければならないと思い込むと、柔軟な思考力を失い、物事を単純な二極化でしか見られなくなってしまう。
脳の傾向のままに反応を起こしているだけなのに、それを自分で考え出した正しさだと信じ切ってしまう。
大切なのはフラットな視点を持って自分自身で柔軟に考えること。
考え方の違う人間を理解できない、許せない、と思った時は、
そもそもの脳の違いによって、相手と自分は世界を全く違う色で見て、違うように味わっているいるのかもしれない、と少し想像してみること。
そして世界の感じ方にどちらが正しいとか間違いはないと自分に言い聞かせてみる。
私はきっと、最初から理解できない相手のことを嫌いだったわけではなくて、理解しあえないことが悲しくて、仕方がないから嫌いになることにしたんだと思う。
だとしたら本当の望みは理解し合うことのはずだ。
相手には相手にだけ見える世界があると気づき尊重することは、両翼がお互いを頼り補い合い、世界を豊かにする一助になるのではないか。
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