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時を呼び起こす時 ~「猫を棄てる」感想文~

2回目の読書感想文です。

どうぞよろしくお願いいたします。

今回も村上春樹の本です。「猫を棄てる~父親について語るとき~」を先週読みましたので、書かせていただきます。

読み終わった直後、読書の感触としましては、圧が低く、浸透力は強めで、読みやすく、価値あるものを買ったなという、晴れやかな気持ちでした。

「騎士団長殺し」の頃から感じる、落ち着いて整理された文章が、父親との記憶を語るというシステムに凄くマッチしています。

それは若き日の村上春樹の文章とは良くも悪くも、全然違うものです。

さらに日本人離れした感もあります。

この変化は、変化したという事象自体が素晴らしいことだと思います。

「変化は進化だ」とその昔、上岡龍太郎が言っていました。

人の何かが変わったとき(趣味趣向、性格、考え方、声、歩くペース…その他おそらく何でも)それは必ずその人が進化したということなのだ。

そう私は捉えています。変化に、退化はないのだと。

この、上岡龍太郎の言葉には当時からずっと救われています。

話を戻します。

この「猫を棄てる」を読んで印象的だった所が2つあります。

1つは本の前半と後半に「ささやかな家庭」というような文章が2度出てきたことです。

前半の「ささやかな家庭」は村上春樹の父親が護るべき家庭のことで、後半の「ささやかな家庭」は村上春樹自身が護るべき家庭のことなのですが、「ささやかな」という言葉遣いに少し考えさせられました。

響きが良いようで、悪いようで、いや良いのかなと、一回、目を止めてから、考えました。

ここに村上春樹の文章の厚みをまた感じた気がしたのでした。

そして、「ささやかな家庭」の父親から息子への継承から、本の中での時代の流れを感じました。

2つ目は、村上春樹の考え方として書いてあった「…人の頭が良いか悪いかというのは、さして大事な問題ではない…頭の良さよりはむしろ、心の自由な動き、勘の鋭さのようなものの方が重用される…」という部分だ。

大変勉強になったし、人付き合いにおいて、大切にするべきことだなと思った。

私は結婚しておらず、護るべき「ささやかな家庭」はまだないが、両親と弟について、また思い出して、書き残したいと思った。

訳あって弟とはもう20年会っていないが、いつか会えるのだろうかと、いつも心の隅で考えている。

生きていれば塵が心に降り積もってくるものだが、それもきっと心象風景という風景を見るときに必要なものなのだろう。

明日は月曜日、さあまた仕事頑張ろう。


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