痛みは果てしなく「ズキズキ」膝から流れたポエム
痛みは果てしなく、「ズキズキ」膝から流れた血は丘の向こうへ流れていく。
夏の記憶が部屋に溢れていく。扇風機の風で銀河のように 、天の羽衣のように、蚊取り線香の煙のように俺の周りを舞う。
幼少の頃からちょっと、いやかなり変わっていたと思う。
嫉妬深く、我の強い性格。
よく泣いた。泣く行為は・・・心の中から飛び出そうとした、濁った気持ちが、内壁にぶつかって、それは当時からカビの生えた、ジメジメした、下水道のように、汚く、でも必要なことだった。
こびりついた、気持ちは排泄されることもなく、俺の人生と俺の記憶のクラウドに絡まり、時にそれにより、金縛りにあうのだ。
しかたの無いことだ。太陽に嫌われているから。ギラギラした太陽、俺に黒い汗をかかせる。
しかし、それでも太陽の恩恵を受けている。
時に倉庫いっぱいの旬の果物と野菜のような幸福な一瞬をいただけるのだ。
それの代わりに、俺は何をさしだせばよいか?
この世界のなにかで感動して涙を流すとき、俺は世界に祝福されていると気づく。
クリスタルの延べ棒を手にして、井戸の底で真昼の太陽を浴びているのだ。
世界は迷宮のようで楽しい。
全ての事象は資本主義に飲み込まれていくのだと思っていた。
人の人生は社会の歯車という観念を持っていた。
俺達、海賊のような心を持ったものの船にはあちらから、必ず運命が襲ってくるのだ。
それがとても正しいことなのだ。
人生の醍醐味は逆境の中にある。
必ず道はある。道を見つけたら、次は道を開け。己だけの道を開拓するのだ。答えは己の中にある。それを世界に示せ。
大切な道具は、それぞれの人間の感覚と獲得した人生観、できるだけ多くの人のそれに触れ、それで動かなくなった、運命の歯車を動かすのだ。
音楽には感謝している。
音楽が次々産まれる、この星に感謝している。それを俺に届けてくれる、社会の仕組みに感謝している。
自由に絵を描かせてくれる社会に感謝している。
自由に「想わせて」くれる社会に感謝している。
たくさんの、知識を提供してくれる社会に感謝している。
良いも悪いもまだ、現像されていない。
現像されるのは違う世界だ。
今はただ日々を時を大切に生きよう。