今年一年を振り返って
今年一年は新型コロナウイルスの流行や、直近だと「自分の生まれた西暦と自分の今の年齢足すとちょうど2020になる!1000年に一度らしい!まじやばい!」と世間が騒ぐなど、将来が不安になるようなまじやばいことだらけだった。
コロナもデマでした。で済ませられたらいいのだが、これからも長い付き合いになりそうで幻滅している。テレビの話題も職場の話題もコロナで、年の前半はコロナのこと以外あまり覚えていない。それほど大きな話題だったのだろうし、これからも続くのだろう。
日々刻々と変わる状況とその報道による「情報の渦」に辟易し、飲み込まれないよう必死だった。
もうひとつ、世間を騒がせたものに『鬼滅の刃』がある。『鬼滅の刃』は、世間や周りの人が推せば推すほど観たくなくなった。
昔から流行りモノをどこか毛嫌いする節があるだけで、決して『鬼滅の刃』が悪いわけではない。が、ガースー()が全集中の呼吸で答弁したり、各所からキメハラを受けたりもし、完全に観る気は失せた。
個人的に大きなことといえば、noteを始めたことだ。
半年くらい前まで副業としてWebライターまがいのことしていたのだが、どうも型にはまった文章を書き続けることに違和感があった。いかがでしたか?で締めくくる文章に嫌気がさし、好き勝手に文章を書きたくなり11月頃noteのアカウントを作成した。
ただ、始めたはいいものの最初は何を書けばいいのか全くわからず、「編集部のおすすめ」記事を読むことに没頭していた。
ちょうどApple Arcadeに登録したタイミングだったので、達成項目を満たすついでにnoteにも書くことにしたのだが、まあ泣かず飛ばず(笑)
書きたい、伝えたいことは山ほどあるのだが、それを文章にすることってこんなにも難しいものかと自分の至らなさを思い知った。
でも、なにかを紹介する文章を書くことで文章力がつく(ような気がしている)し、文章でなにかを表現することに楽しさにも気づけた。これからも自分のペースで続けていきたい。
そうそう、日記もつけることにした。
ふとしたとき「あの日ってどんな日だったっけ?」と顧みても、なにも思い出せないことが多くなってきた。そこで見つけたのがこの記事。
iPhoneの標準メモに日別に日記を書けるショートカットを紹介した記事だ。
これまで日記アプリや手書きの日記には幾度となく挑戦してきた。そしてその度に挫折してきたのだが、このショートカットを使った方法だと長く続けられそうだと思った。
いつからだったか、iPhoneには「背面タップ」にさまざまな機能を割り振れるようになった。
「日記を書くショートカット」を背面タップに割り振れば、日記帳を開く手間もアプリを開く手間もなくなる。iPhoneの背面を「トントン」するだけで日記が書けるのだ。画期的すぎる。
さらに、「感情日記」風に喜怒哀楽を絵文字で残せるよう、リストから絵文字を選ぶ仕組みを簡単に付け加えた。
この方法で、そのとき思ったことをできるだけ詳しく書き、加えて絵文字で自身の感情の波を残すようにした。
後から見返すと、これがなかなか面白い。
「このときこんなこと思ってたっけ?」ということがよくあるし、「人間の記憶はこんなにも脆いものなのか」と少し寂しくもなる。
日記として文章に残すことで薄れゆく記憶をあとから取り戻すことができるし、新たな発見にもなる。思っていることを文字にする練習にもなると思う。
最初は、なにか嬉しいことがあったら「嬉しかった」と書き残すだけでもいい。ただ、それだけだとなにが嬉しかったのかが「将来の自分」に伝わらない。
今後見返すであろう自分のために、具体的に書くことを意識すると、自然と具体的に書けるようになってくる。
「文章を書くことは筋トレみたいなモノだ」とどこかで聞いたことがある。
日記をつけ始めて、まさにその通りだと思った。最初は数十文字程度の「仕事疲れた。」「〇〇があった」だけだったものが、いまではもっと具体的に書けるようになっている。
「そのとき思ったこと」なんてどんどん忘れていくし、どんなに小さなアイデアやくだらない思いつきだったとしても忘れてしまってはもったいない。
あとから見返したとき、「くだらない発想」どうしがうまくリンクして、新しい発想を得ることもある。noteのネタなど、なにか新しい発想を得たい人にぜひおすすめしたい。
と、いま思っていることをだらだらと書いてみたが、まとまりのない文章になってしまった。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。