年収を2割減らして幸せを買うことにした
先月から、夫の仕事時間を減らして家族の時間を増やすことにした。
それにより、我が家の世帯年収が約2割落ち込むことになる。
前提として、私たち一家はニュージーランド在住10年目の三人家族。夫は調理師、私はフリーのライター。娘はもうすぐ6歳。
夫婦ふたりとも30代半ばで、日本でいえば「働き盛り」。子どもの教育費も、年齢が上がるにつれて増えていく。客観的にみれば、いまが稼げる時期であり稼がなければいけない時期だ。
でも、私たちはペースダウンする決断をした。ニュージーランドの移民1世の私たち。世帯収入は裕福とはいいがたい。それでも、なんで年収を下げることにしたのか。今回は、家族での生き方を考えるお話。
幸せに暮らすにはお金が必要だ
移住してから10年、夫は働き続けていた。
移住と同時に調理師にキャリアチェンジしたため、はじめは経験がなにより必要だった。
学生時代はアルバイトを掛け持ち。就職してからはファインダイニングで長時間労働。娘が産まれてからは自営業とレストラン勤務のダブルワーク。自営業を売却後も昼と夜と2つ仕事をもった。
「のんびり」のイメージが強いニュージーランドで、なんでそんなに働くのか。単純に、時給が低いからだ。
業界別の年収幅を公開しているCareersNZによれば、2018年の調査では、シェフやレストランマネージャーが属する「Hospitality and tourism」の中央賃金は年間$45,000。
いっぽう、国勢調査を担当しているStatsNZによれば、2018年の個人年収平均値は$51,527である。調理師の業界は、賃金レンジが低い。
では、ニュージーランドの世帯収入の平均値はいくらか。2018年のデータでは、$105,719(約750万円・税引き前)。約480万人しかいない小国ながら、年々増加する人口と上昇する不動産で物価は右肩上がり。
たいして、我が家の世帯収入は残念ながら中央値には届いていない。
「幸せに暮らすにはお金を稼がないと」
娘が赤ちゃんの頃は、夫は週7日で働きワンオペ育児が普通だった。家を購入して少し安定したかなという時期でも、昼間と夜数時間の仕事の掛け持ち。週に4日、夫は夜は不在。家族そろってご飯を食べるのは金曜日含む週末の3日のみ。
日本だったら、普通の働き方かもしれない。週に3日そろってご飯を食べられるならマシと言われてしまうかも。でも、ずっと思っていた。
私たち、なんのためにニュージーランドまで来たんだっけ?
あこがれていたのは、ワークとライフのバランスがとれた生活
10年前、夫の学生時代からの夢をかなえるために移住した。そのとき思い描いていたのは、仕事とプライベートのバランスがとれた生活だった。
日本では、お互いに終電帰り。一緒に暮らしていても、顔を合わせるのは週末のみ。そんな状態で、一緒に生きている意味はあるのだろうか? その生活を変えるための移住でもあった。
それでも、最初の数年はよかった。学生生活から、共働きへ。ニュージーランドの家賃もいまほど高くはなく、ある程度のゆとりをもって生活できる。移住したての新鮮さも相まって、楽しかった。
バランスが大幅に崩れたのは、子どもが産まれてから。もう少し自然に近い場所で暮らしたいと、地方都市に移り住んだ。都会とくらべて、当然仕事の数は減る。
夫は調理師だから、どこでも働ける。けれど、私に職はない。それではじめた自営業。小さな飲食店。当たり前だが忙しい。
新しい経験を積むことは、楽しくはある。移民として知り合いも少ない私たち。地元でビジネスをすることは、知り合いを増やすことにもつながった。
けれども、気づけば働きづめの生活。20代後半で移住した私たちも、30代半ばを過ぎて。徹夜はできなくなったし、肉体労働の疲労は翌日に残る。風邪もめっきり引きやすくなった。
体を酷使したら、たぶんこの先続かないなと二人とも感じていた。そして、娘はあっという間に5歳になってしまった。
ほんとうに、いましかない
子どもは、日々成長する。
育てることは楽ではない。立てるようになるまで1年、ひとりでご飯が食べられるまで2年~3年。とんでもないくらい、手がかかる。けれど、着実に大きくなり親の手を離れていく。
ニュージーランドでは、5歳の誕生日から小学校に入学できる。半年前に入学した娘は、学校で字を覚え算数を習い、めきめきと成長している。もう、赤ちゃんだった面影はどこにもない。
親と一緒に遊んでくれるのも、あと数年だよね。
今年に入ってから、夫がそんなことを口にするようになった。夫は、けして「子煩悩」ではない。子どもの泣き声や理にかなわない行動に、精神的に参ってしまうタイプである。
けれども、親としての責任感はある。子どもの世話は一通りできるし、家にいるときは肩車からレゴ遊びまで全力で相手をしている(そして、後々疲れている)。
娘がティーンエイジャーになって、「もっと一緒に過ごしたかったなあ」という親側の後悔はどうとでもなるかもしれない。けれど、子どもの気持ちは?
もし、娘が「あのとき、もっとお父さんとお母さんと遊びたかった」と言ったら?
大きくなってから、砂時計を巻き戻すようにその時間を取り戻しにいくことはできない。そして、夫が仕事を掛け持ちする生活を続ける限り、失われる家族の時間が絶対にある。
お父さんは疲れているから、寝かしてあげようね。
そうやって、土曜日に娘と二人で公園にでかける。それも、楽しい時間だ。けれど、「お父さんと遊びたい」娘の気持ちを満たすことはできない。もっというと、「家族三人で一緒にいたい」娘の願いは置き去りになってしまう。
健康と家族の時間と。いま生活を変えなければ、大きなものをなくしてしまうのではないか。
娘が産まれてから、ずっとそれは私たちの間に横たわる問題だった。幸いにして、1年前からはじめた私のライターの仕事が、わずかばかりだが軌道にのった。稼ぎは十分ではないが、ギリギリマイナスにはならない。
そうして半年に続く話し合いの末、夫が夜の仕事を辞めることにした。
まいにち、夕飯の食卓を三人で囲む
夫はいまカフェで働いているので、午後3時には仕事が終わる。週に4日は、夫が娘のお迎え担当だ。
平日休みの日は、夫婦そろって娘の学校にお迎えにいくこともある。
私の仕事に余裕があれば、家族三人でスーパーによってお買い物をする。おやつ買ってー!という娘を制しながら、食材を購入。こんな日の夕食当番は、だいたい夫になる。
干していたシーツを取り込み、ベッドにセットしているとキッチンから夫と娘の声が聞こえてくる。今日はハンバーグだね。娘ちゃんがこねるよ。続いて、ガチャンとボウルを落とす音。
話が通じる5歳児とはいえ、お手伝い係としては手がかかる。結果として、私が娘の要望を聞きながら三人でキッチンに立つ。
夫が作ってくれたハンバーグは、私のより数倍見栄えが良い。もちろん味も。
おいしいね、娘ちゃんもお手伝いしてくれてありがとうと声をかけると、娘がうれしそうに笑う。いつもは小食な娘も、がんばって作ったハンバーグはよく食べた。
夫が食器の片づけをしている間、私と娘はお風呂へ。寝るまでの空き時間で、娘と本を読んだり、宿題をみてあげることもできる。
ああ、こんな生活をずっとしたかった。ほんとうは、娘が赤ちゃんのころからできればよかった。それが無理だったのは、身よりもキャリアもない異国にきた自分たちの選択だから仕方がない。
泣いている赤子をあやしながら夕飯を作り、夜遅く帰宅した夫が冷え冷えしたダイニングで一人それを食べる。あの頃を思えば、いまの暮らしはさいこうに幸せだ。
たとえ、年収が2割減ったとしても、私たちの手に入れたかったものを手にした実感がある。
さりとて、お金は必要だ
幸せだなあと、のんきに過ごしているわけにはいかない。年収2割減により、我が家の家計はカツカツである。むこう数年は貯金は見込めない。もしかしたら、貯蓄を切り崩すこともあるかもしれない。
「お金で買えない幸せ」は確かにある。一方で、世の中にはお金があれば、解決できる悩みや苦労のほうが多いと私は思っている。食洗器に乾燥機なんてのはその代表だ。
数年間はよいとしても、それ以降に世帯収入を伸ばす計画を立てないといけない。現金の価値が目減りするような経済では、不動産に突っ込むか株式に投資してお金に働いてもらうほうがいいのだろうか。突っ込むお金があれば、の話だけれど。
世帯の貯蓄運用は夫が担当しているので、私は自分の稼ぎを伸ばすほうに集中したい。
子どももいるし、家族の時間をつくると決めたわけだし、1日12時間も書き続ける生活はできない。適切なキャパをみつつ、実績を積み重ねて単価を上げるしかないのだろうなと思っている。
未来はカツカツであるが、いたしかたない。これが、いまの私たちの決断だ。いくらお金を稼いでも、時間を巻き戻して幸せを買いにいくことはできないのだから。
どうしたら幸せになれるかねえと、結婚してからずっと夫と話していた。気づいてみれば、今日の夕飯のハンバーグは、まぎれもなく幸せの味がした。
たぶん、本当は私たちはずっと幸せだったのだ。
この先はわからない。予想よりもお金のマイナスが大きければ、また身を粉にして働くことになるかもしれない。でもいまは。ほっぺたに父と母からお休みのキスを受け、にんまりと眠りにつく娘の笑顔がここにある。
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