リカレント教育への不理解
今回は一年目に経験したことを書いてみる。私は社会人をしながら大学院へ通っている。これまでも書いてきたような内容の講義である研究は、直接今の仕事に役立つものでもない。本学を修了したからといって何も変わらない。本学の場合、何かの資格取得ができることもない。リカレント教育=学びなおしと呼ばれる。まさにそれだと私は理解している。社会人が何かの勉強をしていると、何かの資格をとっているのかとか、転職を考えているのかとイメージされることが多い。
私の場合、ある人に学んでいることは今の仕事に不満があったり、よそ見をしていたりというイメージで言われることがあった。とても残念に感じた。大学院にいっていることは、いろんな意味で生意気とか余裕があるとか、仕事に集中していないと評価されることは本当に残念だ。私も当初は少し新しいことに挑戦しているということと、挑戦出来ている自分に嬉しくて、人に話していた時期もあった。それがそんな風に言われたことで、人はそんな感じなのかと思い、それからはほとんど本学のことは会社で口にしない。リカレント教育への理解が進んでいない現状では、非難の対象となるだけだ。そうした風土を絶対に変えないといけないと篤い思いはあるのだが。時が必要ということもあるのだろう。
誰かがリカレント教育を頑張っているなら絶対に支持したいと思っている。一年目の時、私はそのことで嫌な思いをしたので、それが修了に向けての原動力になっている部分もある。そして、そのことを理解してくれた社内の先輩も何人かいた。そして同級生は支持してくれた。同じ思いで共に学ぶ本学の同級生に心から感謝している。(つづく)