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老年学特講、そして「なぜ学ぶ」

学生の中には、教員の方も多い。大学や専門学校、幼稚園などの方がいたかな。看護師は特に多い。私のような一般企業の社会人は少数派かもしれない。しかし、そんなことを悲観する必要は全くない。私の経験もほかの方には新鮮に聞こえるみたいだった。そうしたお互いに学べることだけで講義の価値は高い。

他者の経験から老年学を捉えた意見は、私にはすべてが想定外のことばかり。「なぜそう感じるのか」「その時どう思ったのか」と質問すると、さらにリアルになる。いけない、いけない、カウンセラー癖が出ている(笑)

老年学の最大の魅力は将来自分に役立つことだ。いずれは自分だって老年期に入る。その時の課題について考えることだから、非常に身近なことだ。さらに言うと、自分の親や親族などで老年期の方がいれば、まさにイメージしやすい。

私は学部時代に恩師に聞いた印象的な言葉がある。学生の私が、「先生はなぜ老年期の問題を研究するのか」と聞いたとき、「自分が将来、年老いたとき今の老年者に対する今のケア制度では嫌だからだ」と言われたことだ。世の中のためとか、誰かのため、みたいなカッコいい言葉ではなくて「自分が嫌だから」と実に純粋でスッキリなことばが印象的だった。肩ひじ張らずに、スマートさに共感したことを覚えている。

私の学びの原動力は、まさにその言葉通りだ。世の中のためを目指すのでなく、もっとシンプルに私が嫌だから変えたい!が、結果的に世の中の私と同じように感じる人に役に立てばいいのだとおもう。

老年学はそうした意義ある講義だった。レポートも結構スピーディーにかけた。楽しいなぁと感じながら書いたことを思い出す。そうそう、このレポートでは、例題に挙げられた場所が近かったこともあり、実際に行ってみて肌で感じたことを書いた覚えがある。現地で感じた課題は、先生が感じられていることと異なっていたので、丁寧な批判的意見として自分の考えを書いたことを思い出す。異なる意見に対して先生の丁寧な回答がまた嬉しかった(つづく)