2023年、いろいろありましたがnoteのおかげでなんとか乗り切れました
今年一年、前半は狼狽して、後半は濁流の中を流されるような年でした。
ホテルに勤めて定年退職を迎えたこの年は、長く勤めて来られたことに感謝し、人生の節目を迎えたことを実感する。そんなことを考えながら過ごすと思っていたのですが・・・・。
コロナから、ようやく通常の業務が行われてきた今年の前半、職場は人員不足で日常の業務を回すのも大変でした。単純に私の能力の限界をこえてしまったというのもあるのですが・・。
介護している母を昼間デイケアにあずけてその間は会社へ行く。自分は朝早く家を出なければなりません。母の送迎の様子を部屋に取付けた見守りカメラでスマホから確認していました。
会社に出社して、自宅の送迎の様子をライブで見ることもあれば、空のベッドを見てデイケアのスタッフが連れて行ったことを確認して安心する。
仕事が終わったら定時で帰り、施設から帰っている母の介護をすると決めていた。でも仕事が定時の5時30分に終わらせることができず、2時間押して帰宅することもありました。帰宅して介護のルーチンをあわててこなす日々。
そこで会社に定時より1時間はやく帰れるよう時短の申請をして承認してもらえたのですが、圧倒的な人手不足の中で仕事の量は変わらず、帰れないのは自己責任になるのです。
毎日、自宅にすぐに帰れないプレッシャーのなかで、仕事でのモチベーションを維持するにも苦しみました。早朝に起きても母の体調によっては、出勤ができない日もあり、精神的にもゆとりがなくなりました。
心もからだもバラバラになり、電車に乗って立っているのに眠ってしまい、 はっと目を覚ましてつり革をつかむ手をぐっと握りしめたまま半回転まわってしまう。(不審者?)
ときには通勤途中の電車で自分が出社しているのか、帰宅中なのかわからなくなりパニックで途中の駅のホームで降りてしまうこともあった。(もはや笑うしかない)
もう、限界だ・・・。今の仕事に責任を持って続けることはできない。
このままだと母親のことも仕事もどっちもできなくなる。
ついに定年後の雇用延長の申請を取り下げて退職させていただくようお願いしました。生活のことや仕事、今後のことが不安ではありましたが、仕事をしている自分の姿をもうイメージできなくなっていました。
退職の数日前、ロッカーのかたずけをして、できる人にだけ挨拶をしました。ユニフォーム、社員証、社章、健康保険証を返却する。ホテルの業界に入って40年以上、自分を守っていた鎧を脱ぎ捨てていく・・・。
この世界のことしか知らないのに、この世界では生きられなくなった。
なんて感傷にひたっているひまなどなく、6月に退職をしてから数ヶ月後に母の状況が悪化して、1ヶ月ごとに計3回も入退院を繰り返しました。
そして今、母の体調はようやく安定している。前よりも介護の状況は進んでしまったけれど・・・。
思い返せば、noteを続けることで自分を取り戻していた気がします。投稿もあまりできず、文章もなかなか出てこないけど取り組んでいるということが精神的に良かったです。
今は失速してきりもみ状態で落ちていく小型機の操縦桿をむりやりに引き上げて、なんとか安定飛行にもどせた感じです。まだなんとかまだ飛べそう。
みなさまの投稿を読ませていただくと、いろいろな話や意見、投稿スタイルで感心させられます。
ときに、旅先での写真に話を織り交ぜている投稿には、旅などとうに忘れた私にとって、そこに行ったように感じられて楽しんで拝見しています。
読んで楽しい、面白い、だけではなくてたいへんなことやつらいこと、いろいろな考えや想いがある。表現も様々でとても勉強になります。noteにふれている間は良い時間をすごしているという実感があるのです。
当初は副業を目的で始めたブログでしたが、余裕が無く継続するのがやっとになりました。まだまだ視界不良といった感じですが、諦めずにがんばろうと思います。
noteというプラットホームを利用できることは、ほんとうによかったと思っています。
いつも私の記事を読んでいただいたり、スキをつけていただくみなさまありがとうございます。また、私がスキをつけさせていただいたとき、お礼にと私のページを読みに来ていただけるみなさまも本当に感謝しています。
私は投稿が少ないので、読んでいただける記事もすぐになくなってしまいます。お気遣いいただくのが逆に申し訳ないです。読んでもらえるだけでも、うれしく思っております。
1年間、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございます。