松本稽古企画公演「まうしずむ」感想-悲劇を消費することに向き合う-

果たして、彼の人に罪はあったのか。


本noteは、松本稽古企画公演「まうしずむ」を阿墨恵一という男の〈罪〉という観点から感想を記していくものである。
一切配慮せず、ネタバレし放題で好き勝手書くので見ていない人は作品を見てから読んでいただきたい。
なお、私は関西在住のため、本公演は配信(11/15、19:00〜の回)で視聴した。めっっちゃ後悔している。現地で見るべきだった………。
※ちなみに、配信は12月1日までアーカイブが残っているので見ることができる方は見てみてください。極上の演劇体験が待っています。

以下公式サイトよりあらすじ
【小説家・阿墨恵一が、奇妙な踊り子の噂を聞いたのは2010年の6月であった。
『都内の寂れたストリップ小屋に、三日三晩続けて踊るストリッパーが居る。』
当時、スランプに苦しんでいた阿墨は話の種にと、このストリップ小屋を訪れる。踊り子は草薙初夏といった。不正を見破ろうとショーを見続ける阿墨の目の前で、草薙は一切休むことなく、三日三晩を踊り抜いてみせた。阿墨は目の前で行われた奇跡とも呼べる所業に打ちのめされ、終演後、草薙との接触を試みる。
恐るべき身体能力を持つ草薙であったが、その人となりは実に踊り子らしい奔放な性格の持ち主で、近づいてくる男を拒否しなかった。程なくして、阿墨は草薙と関係を持つようになる。寝物語に草薙の出自を聞いた阿墨は、驚愕した。草薙の祖母が住んでいたという埼玉県、天竺村。阿墨は子供の頃から、この村を知っていた。
阿墨が作家を志したのは、幼少期に祖父の日記を盗み見た時からだった。それは日記という名目であったが、書かれている内容はどれも信じ難いもので祖父の創作としか思えなかった。日記は1945年6月で終わっており、最後に走り書きで、『日記ノ一冊ヲ、天竺村ニテ紛失セリ。』と記してあった。阿墨は長年この日記の片割れを求め、いつか天竺村に訪れて祖父の日記を捜索しようと企てていた。日々に忙殺され、企てを実行することは出来ていなかったが、草薙との出会いにより、再び阿墨の日記に対する思いに火がつく。二人は、旅行がてら天竺村を訪ねることとなった。
埼玉県北西部、埼玉と群馬を隔てる濁酒山の谷間にある天竺村は、かつて実験用鼠の生産量、日本一を誇り、“鼠村”の別称で呼ばれた。この村に纏わる凄惨なる奇譚は、時を超え、現代に生きる阿墨と草薙の運命をも翻弄していく。】

⬇️ここからネタバレあり⬇️
阿墨恵一はとある事件の容疑者として登場する。彼は天竺村で違法薬物を服用し死んだ初夏への自殺教唆の罪に問われていた。その担当弁護士になろうとする天海に、「弁護される気はない。何故なら…」と言った具合に天竺村で起きたことについて語りだす。
その語りは嘘か真か。阿墨は薬漬けの小説家。その属性は彼の語りを聞く我々の目を翻弄する。だがしかし、阿墨と初夏がその日天竺村を訪れ、花を手向けたことは事実であろう。

演劇最終盤に映される、枯れて色を失った手向の花。それは誰に向けられた物なのか。
筋書き通りに見ると、手向の花は初夏の祖母、飛田正子から天竺村で死んでいった者達への花束だ。そしてこれが物語最終盤に再び登場する意図としては、阿墨の語りが薬物及び小説家の手による「創作」ではなく、「事実」であると示唆しているように見える。
ただ私は、この花束にそれ以上の意図があるのではないかと思ってしまう。
これは、天竺村で死んでいった人々への弔いであると同時に、この物語が孕む因業が続くことを暗示しているように思えた。初夏はもういない。阿墨恵一は罪人として裁かれる。飛田絹から始まった物語は、一旦は終わりを迎えたように思える。
だがしかし、弔いとは、生者が死者を思うことだ。人が本当の意味で死を迎えるのは、忘れられた時だとはよくある言説。弔われなくなった時、人は完全に死に絶える。そして、この天竺村をめぐる物語にも同じことが言えるのではないかと私は思う。
飛田正子は、阿墨恵一はまだ生きている。弁護士・天海も天竺村のことを知った。作中で明示されてはいないが、恵一は作家としてこの村のことを本にするだろう。天竺村を襲った悲劇は、人々の記憶に残り続ける。真の意味で終わることはないのだと、私は思う。

さて、本noteはじめに示した命題に戻ろう。阿墨恵一は罪人なのか?
彼は己の罪を告げる。
祖父が犯した凄惨な歴史を語り、だからこそ自分は罰せられるべきだと。

恵一は平蔵の、子孫は先祖の罪を背負うべきなのか。これに関しては議論が分かれるところであろう。私個人の考えとしては、その答えは否である。罪は罪を犯した個人にのみ帰属し、その子らには問われない。個人主義的な考えを持っている。
しかし、恵一は祖父の罪を自らの罪と言う。何故か。私はこれに2つの解釈を与えたい。

第一に、蔭山平蔵(恵一祖父)が犯したのが戦争犯罪であるということだ。「御国のため」、その大義の下、天竺村の住民は殺された。
朝鮮人虐殺は実在した。ホロコーストは否定してはならない。過去の過ちに我々現代を生きる者たちがどう向き合うか。それは「その罪深さを忘却しない」ということだ。
過去の残虐な出来事を繰り返さない、そのために私たちは加害の歴史と向き合わなくてはならない。それがどんなに苦しくても。
ただ、これは苦しくとも「忘れずに向き合う」ことが必要であるという話であり、今を生きる人を過去の人が犯した罪で裁けというものではない。
第二に、恵一が祖父の日記をエンタメとして楽しんだということだ。彼は日記に魅せられた。小説家としての職業を選ばされるほどに。勿論、書かずにはいられないという彼自身の性もあるだろう。しかし、彼自身の在り方を決めるほどにその日記は強い引力を持っていたのだ。
描かれているのは天竺村の凄惨な歴史。大勢の人が祖父の智略の下死んでいった。しかし恵一はそれを(創作では、と疑いながらも)面白い・興味深いものとして捉えた。私は、そのことが恵一の罪なのだと思う。
interestingと感じること、それはその事象の持つ悲劇性を塗りつぶす。また、自分から離れた事象としてそれを扱う。
恵一は、天竺村のことを「書く」だろう、というのが私の解釈だ。それは祖父の、そして自らの負った罪を世に告白し、初夏を弔うためかもしれない。だが、彼は小説家だ。その作品は世に問いかける以上に、世を楽しませるものとして消費されるであろう。
恵一の本心がどこであれ、人の生き死に、悲劇をエンターテイメントとして消費すること自体が罪悪である。そう私は捉えている。

さて、ここまでは阿墨恵一の罪についてきたが、最後にこの劇自体の罪について考えてみたい。
この劇の登場人物は太平洋戦争期の731部隊そのものである。それは日本国軍が起こした許されざる事象であり、決して忘却してはならい歴史の一つだ。
また、この作品のテーマ自体も、おそらくは中世ヨーロッパのダンス=マカブルに着想を得ていると思われる。これもペストの拡大(諸説ある)が土台となった実在する悲劇である。
先ほどから私は、実在の悲劇をエンターテイメントとして消費することは罪であるとの考えを示している。それでは「まうしずむ」はどうなのか。

「まうしずむ」も、実在の悲劇をベースにエンターテイメントを成立させている以上、罪深いものである、というのが私の見方だ。
そしてそれを楽しんでいる私たち自身もまた、罪人なのである。
しかし、社会問題をエンターテイメントにすることで、よりそれを人口に膾炙したものにできる、引いては問題解決そのものに繋がるといった見方もあるだろう。
その見方は、おそらく正しい。「物語」は私たちの理解を助け、共感を呼ぶ。そして理解や共感は行動に繋がる。
だが、物語に感銘を受けて、実際に社会を変えるべく動く人は消費者の中でも微々たる存在だ。(もちろん、その微々たる存在に届けることを目的として描かれる物語もあるだろう。)
世の中の大多数の人間は物語をエンタメとして消費して、何の行動も起こさない。だからこそ、ストーリーテラーは自身が実在の悲劇を消費させていることに対して自覚的であるべきだと私は思う。

「まうしずむ」脚本家の堀越涼さんが怖い。彼はきっと、己の描いているものの露悪性に自覚的なのだと思う。それは、阿墨元親という登場人物の存在や、元親を自分の祖父と偽った恵一の行動から読み取れる。たしかな善性がそこにあるから、悪を悪として描いていることが分かる。
私たちは、堀越さんの紡ぐ物語を消費する。実在の社会について考えさせられることもあるが、舞台を見終わって最初に出てくる思いとしては「面白かった」であり、その先の社会問題ではない。
作劇に込めたメッセージが私たち観劇者に届くのは、いつだってその内容を咀嚼してからだ。はじめはただただ物語を「面白いもの」として消費する。観劇者は悲劇をエンタメとして消費するというステップを一度は必ず踏まねばならない。
今回、阿墨恵一という存在を「書かずにはいられない」罪深い存在として描いた堀越さんは、自らのことをどう評しているのだろうか。社会問題を、実在の悲劇をエンターテイメントに昇華させ、私たち観劇する者に供する。自分の行動をどう考えているのだろう。

私は堀越涼脚本が好きだ。その緻密な伏線、思いもよらぬ着眼点、アッと驚くどんでん返しに魅せられている。ただ、その作品を面白いと思うことに何とも言えない居心地の悪さも感じていた。今回「まうしずむ」の感想を書く中で、その居心地の悪さの正体を言語化できた気がする。
堀越涼脚本はもうめっちゃめちゃに面白い。何回でも見たくなるし、何回見ても新しい発見がある。だが、その面白さに覆われた「悲劇の消費」という罪悪を忘れないでいたい。

さて、この心境で今週末には堀越さん脚本の「長崎蝗駆經」を見に行くので今だいぶん怖いし期待しています。何が見られるのだろう。

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