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「ひとり」を漕ぐ時間
今の家のことは、気に入っている。ドラム式洗濯機が入らないとか、玄関が狭いとか、日当たりが良くないとか、悪口は出てくるけれど、それは無い物ねだりと思っている。
このあたりの賃貸価格に似合わず安いし、オートロック。追い焚き機能、カウンターキッチン。
床の焦茶っぽい色味も気に入っていて、半年ほど前に更新した。
職場への交通便もそこそこで、気軽にいけるレストランこそ少ないけれどそれは逆に自炊の役にたっているし。
遊びに来た友達はその家賃と広さに驚く。私もここに巡り合ったのは本当に運が良かったと思っている。自分の嗅覚がちょっと誇らしい。
そんな家に住んでおきながら最近家を探してしまう浮ついた心がある。
賃貸、一軒家。都心、郊外。新築、中古。
リノベ済み物件に、リノベ前提の中古物件。
ポータルサイトを眺めては、固めるどころか草案すらない条件を入れてみたり、一戸建てを建てるのにどのくらい費用がかかるのか調べたりしている。
空が遮られないところに住みたいとふと思って、移住を推す市区町村のホームページで資料請求しそうになっている。
そんな私を見て、夫は「どこに住みたいの?」と聞いた。夫は不動産関連の仕事をしているから、やはり場所が一番に気になるのだろう。
賃貸ポータルでも最初に都道府県や最寄駅を選ぶし、それが重要なことだとはわかってる。
けれど私は、別にどこに住みたいわけでもないのだ。まあまあ治安がよければいいなとか、家を建てるのなら液状化しそうなところは嫌だなとかはあるけれど。あるのは減点要素だけで、加点はない。
私は、木漏れ日の入る小さな書斎が欲しい。
4畳くらいの、本当に小さな部屋がいい。
実家には祖母の書斎があって、そこは祖母の半生が詰まった空間だ。昔作っていた人形の材料や、切手を収集しているアルバム。しっとりとした冷たさのギーギーする椅子、家計簿、アイロン台。足踏みミシン。窓の外には木漏れ日がチラチラとした。電気を付けるとカチンと音がして、オレンジっぽい電灯が付く。
私が小学生の頃に、祖母はよくそこでそろばんを弾いていた。誰もいない日はたまにこっそり入って、足踏みミシンの中に入り込んだ。
本来なら膝から下をいれて、前後に足を滑らせるところに座って、左右に揺れていた。右側にある、ちょうど船の舵のような部分が、私が左右に揺れるたびに動くのを見ていた。
あの頃からだ。
私は一人の空間がないとたまにすごく、空気に押しつぶされそうになる。
あの頃は子供部屋もあったけれど、姉と共用でソワソワ、ともすればイライラした。姉がいない時でも一人でいるには広くて、体がすっぽり入る足踏みミシンの中にそろりと入った。そこでは、静かに息をしているだけで心が落ち着いて、「一人」に漕ぎ出でては自分の心と対話するのだ。
今夫と暮らす1LDKは、一人になれるのはお手洗いと風呂場くらいである。物理的に寝室とリビングで離れることはできるけれど、引き戸は視線を遮るだけで音は筒抜けである。恥ずかしがり屋なのか、私の心は少しでも物音がすると喋らない。
そんな空間でも夫とは持ちつ持たれつで暮らせているから、それはそれでありがたいと感じながら。
書き物をしたり、自分の人生を詰め込んでいくようなこぢんまりとした書斎が欲しい。色々な家の写真を見ながら理想の書斎を描いては消して、また実家の祖母の小さな書斎が頭に浮かぶ。
あの足踏みミシンの中のような書斎を、いつか手に入れたい。
そこで今日のように言葉を書いていられたら、幸せを信じられると思うのだ