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本屋の袋には何故マチがないのか

ホームビデオのような日記を書きました。

本屋の袋には何故マチがないのか

本屋の袋にはマチがない。いや、もしかすると数十冊という単位で買い物すればマチがある袋がもらえるのかもしれないけれど、少なくとも4-5冊程度の買い物ではもらったことがない。30年近く生きていて記憶の限りそうだから、的外れではないと思う。
紙袋だと逆に底が抜けやすいとか、ページが折れやすいとかあるのかなと考えを巡らせた。が、基本的には本は厚みがあるものなのでマチがあった方が適役なのではないかという自論にたどり着く。
先ほど本を3冊買ったときに書店員さんが袋(やはりマチはない)に入れるのに苦心していたので、左目でレジ横のポップを、右目でその格闘を見守りつつ、頭では『本屋の袋には何故マチがないのか』を考えていた。
ただ、苦慮しながら丁寧に本を袋に収めるその所作が、本への愛とリスペクトに満ちていて美しく、もしかするとこのマチなしの袋は本への愛を試しているのだろうかと思い至る。

我が家の本事情

本を買ったときは、ブックカバーをつけてほしい。本を裸で持ち歩くのはなんとなく心もとないのと、外で読む時に都合がいいからである。ただ、最近はブックカバーをつけた本が家の至るところにあるため、「あの本が読みたいなあ」となったときに家の中をまわり、サイズが似通った本の内表紙をめくって神経衰弱のごとく確認せねばならぬという問題が起きている。
シンプルに、カバーを外せばいいんだ。そうなのだけど、読んでる途中の本や、「この本また電車の中で読みたいな〜」みたいな本が多くて、結局カバーが外せず堆積していく。そんな状態を放置していると、ふとした瞬間に以前オーディブルで聞いた『人生がときめく片付けの魔法』のコンマリがスーッと降りてきて「そのカバー、本当に必要ですか」という声が脳内で再生される。
全く反論できないのにやる気にはならないということは、今はその時ではないんだ。明日か明後日か明明後日か、いつかはやるけどそれは今日ではないので、それまでは目当ての本にたどり着く神経衰弱を続けていく。

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